交野市立第3中学校 卒業生のブログ

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「どん底の淵から私を救った母の一言」  奥野博(オークスグループ会長) 

2012-01-30 16:45:11 | 建て直し

『致知』1998年8月号より、北陸地方随一の冠婚葬祭チェーンを育て上げた
オークスグループ創業者・奥野博氏の心にしみるお話。
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        「どん底の淵から私を救った母の一言」
      
       
            奥野博(オークスグループ会長)
        
            『致知』1998年8月号
             特集「命の呼応」より
 

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【記者:昭和四十二年、四十歳のときに経験された倒産が、
    今日の奥野会長の土台になっているようですね】
    
 
倒産が土台とは、自分の至らなさを
さらけ出すようなものですが、
認めないわけにはいきません。
 
戦後軍隊から復員し、商社勤務などを経て、
兄弟親戚に金を出してもらい、
事業を興したのは三十歳のときでした。
 
室内設計の会社です。
仕事は順風満帆でした。
私は全国展開を考えて飛び回っていました。
 
だが、いつか有頂天になっていたのですね。
足元に忍び寄っている破綻に気づかずにいたのです。
それが一挙に口を開いて。
 

【記者:倒産の原因は?】
 


「滅びる者は、滅びるようにして滅びる」。
 


これは今度出した本の書き出しの一行です。
 
倒産の原因はいろいろありますが、
つまるところはこれに尽きるというのが実感です。
私が滅びるような生き方をしていたのです。
 

出資者、債権者、取引先、従業員と、
倒産が社会に及ぼす迷惑は大きい。
倒産は経営に携わる者の最大の悪です。
 
世間に顔向けができず、私は妻がやっている美容院の二階に
閉じこもり、なぜこういうことになったのか、考え続けました。
 
すると、浮かんでくるのは、
あいつがもう少し金を貸してくれたら、
あの取引先が手形の期日を延ばしてくれたら、
あの部長がヘマをやりやがって、
あの下請けが不渡りを出しやがって、
といった恨みつらみばかり。
 
つまり、私はすべてを他人のせいにして、
自分で引き受けようとしない生き方をしていたのです。
 
だが、人間の迷妄の深さは底知れませんね。
そこにこそ倒産の真因があるのに、気づこうとしない。
 
築き上げた社会的地位、評価、人格が倒産によって
全否定された悔しさがこみあげてくる。
 
すると、他人への恨みつらみで血管がはち切れそうになる。
その渦のなかで堂々めぐりを繰り返す毎日でした。
 

【記者:しかし、会長はその堂々めぐりの渦から抜け出されましたね】
 

いや、何かのきっかけで一気に目覚めたのなら、
悟りと言えるのでしょうが、凡夫の悲しさで、
徐々に這い出すしかありませんでした。
 

【記者:徐々にしろ、這い出すきっかけとなったものは何ですか】
 


やはり母親の言葉ですね。
 
父は私が幼いころに死んだのですが、
その三十三回忌法要の案内を受けたのは、
奈落の底に沈んでいるときでした。
 
倒産後、実家には顔を出さずにいたのですが、
法事では行かないわけにいかない。
行きました。
 
案の定、しらじらとした空気が寄せてきました。
 
無理もありません。
そこにいる兄弟や親族は、私の頼みに応じて金を用立て、
迷惑を被った人ばかりなのですから。
 

【記者:針の莚(むしろ)ですね】
 

視線に耐えて隅のほうで小さくなっていたのですが、
とうとう母のいる仏間に逃げ出してしまいました。
 

【記者:そのとき、お母さんはおいくつでした?】
 

八十四歳です。母が「いまどうしているのか」と聞くので、
 

「これから絶対失敗しないように、
 なんで失敗したのか
徹底的に考えているところなんだ」


と答えました。
すると、母が言うのです。
 

「そんなこと、考えんでもわかる」
 

私は聞き返しました。
 

「何がわかるんだ」
 

「聞きたいか」
 

「聞きたい」
 

「なら、正座せっしゃい」
 

威厳に満ちた迫力のある声でした。
 

【記者:八十四歳のお母さんが】
 

「倒産したのは会社に愛情がなかったからだ」
 

と母は言います。心外でした。
自分のつくった会社です。
だれよりも愛情を持っていたつもりです。
 


母は言いました。
 


「あんたはみんなにお金を用立ててもらって、
 やすやすと会社をつくった。
 
 やすやすとできたものに愛情など持てるわけがない。
 
 母親が子どもを産むには、死ぬほどの苦しみがある。
 だから、子どもが可愛いのだ。
 
 あんたは逆子で、私を一番苦しめた。
 だから、あんたが一番可愛い」
 
 
 
母の目に涙が溢れていました。
 

「あんたは逆子で、私を一番苦しめた。
 だから、あんたが一番可愛い」
 

母の言葉が胸に響きました。
 
母は私の失態を自分のことのように引き受けて、
私に身を寄せて悩み苦しんでくれる。
愛情とはどういうものかが、痛いようにしみてきました。
 
このような愛情を私は会社に抱いていただろうか。
いやなこと、苦しいことはすべて人のせいにしていた
自分の姿が浮き彫りになってくるようでした。
 

「わかった。お袋、俺が悪かった」
 

私は両手をつきました。
ついた両手の間に涙がぽとぽととこぼれ落ちました。
 
涙を流すなんて、何年ぶりだったでしょうか。
あの涙は自分というものに気づかせてくれるきっかけでした。
 

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