┌───今日の注目の人───────────────────────┐
トーマス・エジソンの発想法
浜田和幸(国際未来科学研究所代表)
『致知』2004年7月号
特集「熱意・誠意・創意」より
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「天才とは、1%のひらめきと99%の努力の賜物である」
1929年2月11日、エジソン82歳の誕生日に残したこの名言は、
おそらく世界中で一番よく知られている「格言の王様」でしょう。
「あの発明王エジソンですら、努力の大切さを言っているではないか。
やはり人は才能ではない、努力こそが大事なのだ」
と、努力を重んじる我々日本人にも、たいへん受け入れやすい言葉として愛され、
多くの人たちに、夢や希望を与えてきた言葉です。
ところが残念ながら、この言葉ほど間違った意味が世の中に流布し、
多くの人の誤解を受けている言葉はないのです。
エジソンは、肉体や精神、宇宙などに対し、
独特の世界観のようなものを持っていて、
自身の発明の原動力についてこう述べています。
「人間、自然界すべての現象は、われわれの思いもよらぬ
はるかに大きな未知の知性によって
運命づけられている気がしてなりません。
私自身も、これらのより大きな力によって動かされて、
数多くの発明を成し遂げることができました」
と。
この「はるかに大きな未知の知性」のことを
「リトル・ピープル・イン・マイ・ブレイン(頭の中に住む小人)」
と呼んでいたエジソンは、発想の原点である
リトル・ピープルの声を聞くこと、
つまり1%のひらめきを得ることが大事だと、
日記の中で繰り返し述べています。
「最初のひらめきがよくなければ、いくら努力しても無駄である。
ひらめきを得るためにこそ努力はするべきなのに、
このことをわかっていない人があまりにも多い」
と、自分の発言が世の中に誤った解釈で伝わってしまったことを
嘆いているくらいです。
エジソンは、発明や研究に行き詰まると、海辺に行き、
釣り糸を垂れるのが常でした。
ただし糸の先に餌はつけません。
潮風に吹かれ波音を聞き、自然の中に身を置くことで、
不思議と頭を悩ませていた問題の解決策が浮かんでくるというのです。
自然界や宇宙から流れてくる未知の知性のアイデアをキャッチし、
新しいひらめきを釣る。
エジソンの釣りには、そんな意味が込められていました。
しかし、これは天才・エジソンだからこそできることです。
では、私たちはどうすればよいのでしょうか。
エジソンは、研究に行き詰まったエンジニアにこんなアドバイスをしています。
「問題は君の考え方にある。
大事なことは、頭の中に巣食っている『常識』という理性を
きれいさっぱり捨てることだ。
もっともらしい考えの中に新しい問題解決の糸ロはない」
石田梅岩が説いた石門心学の教えを商いの根幹に据え、
京都の地で323年にわたり麩屋(ふや)を営む半兵衛麩。
現在発行中の『致知』10月号にて、
11代当主の玉置半兵衛会長に
事業永続の秘訣をお話しいただいております。
本日はその記事の中から一部をご紹介いたします。
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「老舗(しにせ)ではなく、しんみせであれ」
玉置半兵衛(半兵衛麩会長・11代目当主)
『致知』2012年10月号
特集「心を高める 運命を伸ばす」より
http://www.chichi.co.jp/monthly/201210_pickup.html
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私の父は「老舗(しにせ)」という言葉が
一番嫌いだったんです。
老舗は老に舗(みせ)と書くけれど、
こんなに失礼な言葉はない。
うちの店は老いていない。
舗(みせ)は老いたらあかんのや。
舗が老いたら死を待って潰れるだけやと。
しにせの「し」は止とも表せますが、
進化を止めてしまったらそこで終わり。
だからしにせではなく、
新しい舗、しんみせでいきなさいと言うんです。
一代一代が、自分が新しい舗の創業者になったつもりで
商売をしなさい。常に新しいことをしていきなさい。
商売の本質
「先義後利(せんぎこうり=義を先にして、利を後にする者は栄える)」
を変えずに、常に時代の流れに合わせて革新の連続をしなさいと。
まさに「不易流行」です。
しんみせの「しん」は「真」の字で「しんみせ」とも表せます。
お客様に真心を尽くしなさいと。
他にも、信用、信頼を大切にの「信(しん)」。
驕らず控えめにせよの「慎(しん)」。
思いやりや仁の精神の「心(しん)」。
先祖を大切にしたり、お客様に親しみを感じてもらうの「親(しん)」、
規則を守り常に清らかの「清(しん)」、
辛い苦しいことでも辛抱できる「辛(しん)」、
人柄、家柄のよい紳士としての「紳(しん)」……、
こういう商売をしていけば自ずとしんみせになると。
延べ1万人以上のクライアントを導いてきた
メンタルトレーナー・久瑠あさ美さんの
心を創り、人生を発展させる言葉集
『致知』2012年10月号
特集「心を高める 運命を伸ばす」より
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◆ 多くの人は自分が見えていることや認識できていること、
つまり、顕在意識がすべてだと思っています。
しかし、その顕在意識が脳に占める割合は
僅か3%から10%だといわれているんです。
ですから、残りの90%以上の潜在意識、
自分の中に眠っている底知れぬ力の存在に、
自ら気づいていくことが大切です。
◆ どんなトップアスリートでも、
ヒットが打てなかったり、パットが入らなかったりと、
失敗が続けば落ち込んで自分の才能を疑い始めます。
しかし、自分を疑うことがパフォーマンスに
最も悪影響を及ぼしてしまうのです。
◆ 人生の成功を分けるもの、
それはやはり、「自分を信じる勇気」が
あるかどうかだと思います。
どんなに周りから無理だと言われようとも、
過去の自分ではなく、未来の自分を信じて進む。
◆ 私がクライアントに最初にする質問は、
「自らの人生を懸けて何がしたいのか」
「その仕事を通してあなたは何を伝えていきたいのか」
ということです。
使命感を持った人間はとにかく強い。
打たれようが、スランプだろうが、
心の次元がそこまで高まっていれば決して諦めません。
だからこそ、その道で成功できるんです。
◆ 私は、心のあり方が人生の価値とクオリティーを
変えていくと思っています。
目に見えるもの、形あるものは有限ですが、
人間の内にある心の世界は無限です
桶狭間の戦いの折、織田信長は圧倒的に不利な状況のなかで、
出陣にあたり熱田神宮に集まり必勝祈願をした。
部下の武将たちの前で、小銭を投げ、「表が出れば必勝間違いなし」と言って、
表だけが出るように張り合わせた小銭を投げたという。
また、必勝祈願の最中に、熱田神宮の社殿から、なんと白鷺が二羽飛び立った。
「これは吉兆だ!」と武将たちがざわめいたが、これも前もって先に仕組んでおいたことだった。
「験(げん)を担(かつ)ぐ」、という言葉がある。
自分にとってよいことが起きると信じて行っている行為のことだ。
例えば、受験生が「キットカット」や「カツ丼」を食べるとか、大事な試合やプレゼンのときなど、
勝負服と言って、自分のラッキーカラーの服を着る人もいる。
ラッキーな人は、気分がよくなる迷信だけを信じる。
しかし、アンラッキーな人は、不安がさらに深まる迷信を信じる。
「験を担ぐ」ことにとらわれすぎてはいけないが、信長のようにそれを、自分に都合よく使うことは大事だ。
迷信を上手に使いこなして、ラッキーな人になりたい。
それは面白いか? |
酒井穣氏の心に響く言葉より…
|
現在発行中の『致知』8月号に、
日本のフレンチレストランの最高峰と称される
コート・ドールのオーナーシェフ・斉須政雄氏の
20代の頃の逸話が掲載されています。
本日はその記事の一部をご紹介いたします。
┌───今日の注目の人───────────────────────┐
「最も強いインパクトを持つもの」
斉須政雄(「コート・ドール」オーナーシェフ)
『致知』2012年8月号
連載「20代をどう生きるか」より
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東京でフランス料理店「コート・ドール」を開いて26年。
小中学校の同級生には、私が料理人という
職業人になっていることが納得し難いらしく、
「本当にあの時の斉須か?」と怪訝そうに尋ねられる。
当時の私はそう言われても仕方がないほど、
周りに流されがちの優柔不断な少年で、
常に自己嫌悪や挫折感に苛まれていた。
甘い物が好きだという単純な理由で
料理の世界に入ったものの、
最初のうちは何が何やら分からない。
先輩方から集中砲火を浴びるが、
怒られている意味さえ分からず、
常に喉がカラカラの状態だった。
しかしいつまでもこの壁の前で
立ち尽くしているわけにはいかない。
なんとか状況を打破したいと起死回生を懸けたのが、
フランスへ行くという決断だった。
チャンスが訪れたのは23歳の時。
知人の勧めで新しくできた店に面接に行ったが、
希望した条件では受け入れてもらえない。
もう一度その知人に相談したところ、
「提示されたとおりの条件でまず店に入って、
オープン前にフランスから料理長が技術指導に来るから、
その人をつかまえろ」
と助言を受けた。
同じ時期にフランス行きをアピールしていた人は
他にもいたはずだが、選ばれたのは私だった。
その理由を料理長が後に教えてくれた。
昼のサービスが終わると彼は必ず洗い場で手を洗うのだが、
そこは洗うべき鍋がいっぱいで、
私は料理長が手を洗う所だけでもきれいにしようと心掛け、
鍋を洗い場の下のスペースに片づけておいた。
そのことを評価してくれたのだった。
いまとなれば、彼が私を選んだ理由がよく分かる。
一つひとつの工程を丁寧にクリアしていなければ、
よい料理を作ることなどできない。
そのちょっとした気遣いができるかどうか。
だが日頃やらないようなことを急にやっても、
そんなものはすぐ見破られてしまう。
私は殊更何をしたわけでもなかったが、
特別ではないことこそが最も強いインパクトを持つのだと、
後年実感するようになった。
┌───きょうの名言────────────────────────┐
成功志向の人たちがよく言うような、
「目標達成のために」とか
「世の中で認められるために」
っていうことではなくて、
「ああ、私はこれをするために生まれてきたんだな」
という天命のようなもの。
それも決して重たい使命じゃなくて、
自分が心の底から喜びを感じることのできる天命。
それがなんなのかを自分に問いかけて、
感じることが大切だと思います。
國分利江子(アメリカNY州政府認定マッサージセラピスト)
『致知』2012年7月号
特集「将の資格」より
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3つの承認
1、存在の承認
2、行動の容認
3、結果の承認
長野市内で断トツの業績を誇る
中央タクシーの創業者で、会長の
宇都宮恒久氏のお話をご紹介します。
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「お客様が先、利益は後」
宇都宮恒久(中央タクシー会長)
『致知』2012年3月号
特集「常に前進」より
※肩書は『致知』掲載当時です
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MKタクシー創業者の青木定雄オーナーとの出会いです。
創業して1、2か月たった頃、友人から
凄いタクシー会社があると聞いてビックリしまして、
アポイントも取らずに夜行列車を乗り継いで京都に行ったんです。
京都駅からMKタクシーに乗って本社まで伺ったんですが、
早速驚いたのが、助手席の安全枕に
「お客様へのお願い」とありましてね、
次の4つを怠った乗務員には運賃を払わないでくださいとあるんです。
・「ありがとうございます」と挨拶をします。
・「MKの○○です」と社員名を明らかにします。
・「どちらまでですか」と行き先を確認します。
・「ありがとうございました。お忘れ物はございませんか」
とお礼を言います。
感服しながら本社に着いたのですが、
やはりオーナーはご不在で翌朝3、40分なら時間を取れると。
その日は市内で何度もMKの車に乗り、
行き届いたサービスにつくづく感服しました。
翌朝お会いするとオーナーは開口一番
「君、年はいくつだ?」と聞かれました。
28歳で、まだ10台しか車を持っていないと申し上げると、
「そうか、実は私も32歳で始めた時はやっぱり10台だったんだ」
とたちまち話が弾んで、3、40分の面会予定が
3、4時間になったんです(笑)。
以来30年、青木オーナーを師匠と思い定めて
毎月のように通い詰め、頑張れ、頑張れと
励まし続けていただきました。
その青木オーナーからある時、
今度こんなことをやるんだと紹介されたのが
空港便だったのです。
数人乗りのジャンボタクシーで
お客様をご自宅から空港までお送りするサービスで、
素晴らしい業績を上げている。
ぜひ君もやりなさいと。
ところが地元の松本空港では便数、乗車率ともに
低くてとても採算が合わない。
諦めかけたところでパッと浮かんだのが、
成田空港だったんです。
すぐに長野から成田まで走ってみると、3時間半で着きました。
これならいけるということで、価格を
JRより安い8500円に設定し、24時間受付、
1名様からでもお送りするということで立ち上げたんです。
【記者:1名でも採算は合うのですか?】
1名の時は難しくても、トータルでは利益が上がるのです。
けれども当初はほとんど引き合いがなく、
やればやるほど赤字が積み上がりました。
3、4か月も続くと、やめたほうがいいかなと迷い始めたんです。
そんな時に出合ったのが宅急便の生みの親・ヤマト運輸の
小倉昌男さんの本でした。
宅急便も最初は5年間も赤字が続いたそうです。
しかし、それでも必ず逆転をすると信念を貫いて、
ついに翌日配送のシステムを確立したとのことでした。
その話に意を強くして、もう少し粘ってみようと思い直したわけです。
その小倉さんが赤字の時に言い続けたのが、
「サービスが先で利益は後」
ということでした。
それに感動して当社も
「お客様が先、利益は後」
という理念を掲げるようになったのです。
おかげさまで空港便は半年後に黒字転換し、
いまでは毎日35台、ハイシーズンには
45台くらい走らせています。
ご注文数では1日350件にも上ります。
新潟エリアにも1日70台くらい走らせ、
空港便は売り上げの6割を占める事業の柱になりました。
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「本田宗一郎に聞く。
伸びるベンチャー経営者の条件」
城山三郎(作家)
『致知』1986年8月号
特集「開拓し、築く」より
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私はいま創業者で一番興味があるというか、
一番おもしろいと思っているのは、本田宗一郎さんですね。
で、その本田さんと話をしたときに、
伸びるベンチャーの経営者というのは
どういうタイプかと聞いたことがあるんです。
まず一つは、前へ前へと進む意欲があること。
二つは、人の意見を素直に聴くことができること。
三つは権限委譲が行われているかどうか。
四つが、よきパートナーを持っていること。
そういうものを持っている人は伸びるといったんですね。
私もそうだと思いますね。
それは全部本田さんがやったことですしね。
創業というと、革新性とか創造性とか、
なにか派手なものを考えがちだが、そうではなく、
大変地道なものなんだと思います。
創業というと、形のないところに形を作り出すわけだから、
最初は混とんとした状態にあるのが普通です。
それに、創業というからには一人ではできない。
数の多少はあっても、何人かの人間が集まって
何かをやるわけです。
混とんとしたながでそれをやる。
だから、リーダーにはある程度のカリスマ性がないと、
うまく引っ張っていけない。
しかし、このカリスマ性というのは、
神がかったものなどではなく、地道なものだと思うんです。
先にあげた四項目を着実にこなしていること。
これがカリスマ性になるんだと思うんです。
それと、会社はいつも創業時の状態ではないわけです。
変わっていく。
それに応じて創業者も変わっていかなければ、
会社は伸びていかない。
多くの経営者がこの変化の点で、失敗していますね。
本田さんはこの変身を見事にやってのけられた例だと思う。
本田さんも創業時はカリスマだった。
強烈なカリスマだったから、みんなついてきたんです。
だが、ある時期から、脱カリスマを試みられて、
それに成功している。
いまの本田さんはホンダにとって
カリスマでもなんでもなくなっている。
これは見事だというほかはない。
戦後の創業者では、本田さんは松下幸之助さんと並んで
双璧だと思うが、脱カリスマという点では、
松下さんは本田さんに一歩譲る感じがする。
その証拠に、松下さんは重い存在になったが、
本田さんは実に軽やかでしょう。
* *
「奇跡の会社』を書いた渡辺栄二さんの意見ですが、
創業者の条件は企画力、決断力、行動力、それに統率力だと。
なかでも前の三つが最初のうちは大事でしょう。
それで、会社がある程度軌道に乗ってくると、
だんだん前の三つから、統率力のほうにウエイトが移って、
それが大事になっていく。
極端にいえば、大企業の経営者は前の三つはなくても
統率力だけ持ってればいい。
じゃ、その統率力とは何かということになると、
これは中曽根さんの意見でもあるのだが、
一つは先見性といいますか、大局をつかむ力。
それからもう一つは懐の深さだと思います。
そういうものを持たないと創業者としては
大成しないというのが、結論です。
────────────────────────────────────
「仕事は自ら探し出すもの」
桜井正光(リコー会長)
『致知』2012年3月号
連載「20代をどう生きるか」より
http://www.chichi.co.jp/monthly/201203_pickup.html
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私がリコーに就職したのは一九六六年。
オリンピック景気を最後に日本の高度経済成長期が終わり、
「証券不況」という大きな不況の真っ只中だった。
そもそもなぜリコーを希望したかというと、
私は小さい頃から「これはなぜ動くのか」とその構造が知りたくて、
買ってもらったばかりのおもちゃの解体に
熱中するような子供だった。
その好奇心が高じて理工学部へ進学。
そして学生時代に熱中したのはカメラだった。
必然的に就職先は製造業で、
特にカメラを製造している企業を希望して、
リコーに行き着いたのだ。
ところが、面接時に衝撃的なことを言われた。
「いまほとんどカメラはやっていないよ。
いまのうちの主力は複写機(コピー機)だ」
「???」
当時、複写といえばガリ版刷りで、
私は複写機そのものがどんなものか分からなかったが、
咄嗟に「複写機でもいいです」と答えた。
さらに「なぜこの時期にリコーなんだ? うちは無配だよ」
と言われた。その瞬間、「無配」が何かが思いつかず、
「いや“無敗”は望むところです」と答えた。
いま振り返ると、よく通ったものだと思う。
そうして最初に配属されたのは原価管理課という部門だった。
しかし、不況の真っ只中、会社も無配の状態である。
上司に言われたのは「おまえたちにやる仕事はない」と
いうことだった。
最初こそ仕事がなくて楽だと思ったが、
三か月も経つと何もする仕事がないというのは
こんなにつらいものなのかと身に沁みて感じた。
他の部署の人たちが仕事をしていることへの焦り。
また、もっと本質的な部分で、
自分は会社や社会に何も貢献できていないという
「役割」のなさへの焦りがあった。
後々振り返って、社会人のスタート段階で
「仕事があるありがたさ」
「する仕事のないつらさ」
を体感できたのは幸せだったと思う。
* *
さて、そこで私は
「こうなったら、自分で仕事を探そう」と決意した。
原価管理課は、製品の原価を計算し、
コストダウンを提案して実践する部署だった。
提案は誰に対して行うのか、我われの提案を
利用する人たちにとってそれは十分な情報かどうか、
もっと欲しい情報はないのか、ヒアリングに向かったのである。
提案の利用者は、開発、設計、生産部門だから、
各部署を回ってみると次第に自分がすべき仕事が見えてきた。
複写機を取ってみても、いくつもの製品があり、
それぞれの製品間で部品が類似しながらも
微妙に違うものを使っていることに気がついた。
「本当に違う必要があるのか」
「コストアップの原因になってはいないか」……。
いまならコンピュータで類似部品一覧を管理しているだろうが、
あの当時、技術や設計の人間は手間隙かかる
類似部品のリスト化に手をつけていなかった。
私は五か月間、倉庫にこもって部品図面を種類ごとに分類。
材質や形状、原価などを加えたリストを作成し、設計部署に渡した。
その後、改善したほうがいい部分を指摘してもらい、
どんどんブラッシュアップしていった。
すると、現場は「部品を探す手間が省けた」と
重宝してくれる一方で、同じような形状であれば
一番安い部品を選ぶようになり、
大きなコストダウンに繋がったのである。
この経験から私が若い人たちに伝えたいことは、
「仕事は上司から与えられるものではなく、
自分で探し出すもの」
ということだ。
自分の仕事のアウトプットを利用するお客様は誰なのかを考え、
その人たちの役に立つことを探して実行すれば、
必ず成果となって現れる。
すなわち、それは自主自立、自己責任の全うということであり、
いま日本全体で最も求められていることではないだろうか。
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※『致知』には毎号、あなたの人間力アップに役立つ記事が満載です。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
●『致知』4月号 特集テーマ「順逆をこえる」
⇒ http://www.chichi.co.jp/monthly/201204_pickup.html
※『致知』は書店では販売しておりません。
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大阪でPR会社の社長を務める殿村美樹さん(50)。
数々のブームの仕掛け人として知られている。
「今年の漢字」の立ち上げ。
ゆるキャラブームを起こした“ひこにゃん”のPR戦略。
“讃岐うどん屋”巡りを全国に紹介したことでも知られている。
そんな殿村さんの原点は、幼い頃に母に捨てられたことだった…。
「人には三種類の師がある」 西堀榮三郎(理学博士)
『致知』1981年9月号 連載「わが人生の師」より
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先生とか師というものは如何様にも解釈することができるので、
たくさんの先生や師といわれる人たちを持ってきた。
それは時代、時代によってみな違う。
けれども、私は特定の先生とか師というものは、
むしろ、それほど重要に思っていない。
師には、解釈によっていろいろな種類があるが、
私は三通りに分けている。
・自分に知識をさずけてくださる人
次に
・人生の指針を与えてくれる人
三番目に
・自分の考えていることを
実行するのにおいて援助してくれる人
の三通りが師と呼ばれうる人々である。
“知識を与えてくれる師”には、学校の先生がいるが、
私は自分で勉強して知識を獲得するということに重点をおいている。
文献を読むことで知識は得られる。
しかし、もっと大切な対象は、現実の現象そのものである。
いいかえれば、自分の探求心によって求めさえずれば、
だれからも、あらゆる現象のどんな事柄からも
知識は得られる。
従って、自分に知識を与えてくれる師は、
森羅万象すべてである。
第二番目の“自分に人生の指針を与えてくれる”師には、
身近な人々たちや過去のいろいろな先人の経験談がある。
自分が悩んでいるようなときに心の琴線にふれる、
そんなときに強く師を感じる。
これまた、いたるところに師あり、といってよい。
第三番目の“自分のやろうということに援助してくれる人々”は、
もしその人を師と呼びうるならば、非常に大切な師である。
特に、自分がだれもやっていないような新しい事柄、
考えを持っているときには、いっそう得難い。
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昭和35年(1960)(65才)
神様があるかないかということについては、見方がいろいろありますが、
われわれが、俗に神さんというているもの、
その神さんは結局、いっさいのものに対して非常な慈愛の心をもっている。
そういうところに神さんの尊さがある。
神さんが、人間は弱いからあいつを苦しめてやれというようなことで、
どんどん苦しめたり、勝手なことをなさるんであれば、神さんの価値がない。
弱き者も強き者も悪人も善人も同じように、
なんとかして、さらによく助けてあげたいというような慈愛の心をもっているところに、
神さんとしてのほんとうの値うち、尊さというものがあると、私はこう思うんです。
われわれ人間は神さんほどではないが、
やはりそういうような慈愛の心をもって、
強い人を恐れたり、弱い人を見下げたりしないで、
みんな平等の考えをもって奉仕していこう、
そしてお互いがよくなっていこうと努める。
そういうところに人間の高まりがあり、そうすると戦争をしていいか悪いかということも、おのずと分かってくると思うのです。
またそうなれば、自分というものを絶えず反省しますから、自分の価値判断もできる。
自分というものがどれだけのものかということが分かる、
そうするとうぬぼれたりしないということになる。
また自分がちょっと劣っていたとしても悲観しない。
劣っておれば、さらに努力して少しでもよくなって皆に喜んでもらおう、
両親にも、兄弟にも、先輩にも喜んでもらおうと心がけるから、
先輩からも、両親からも、「感心した子どもである。 いい子どもである」と言うて、
心から喜んでもらえる。
そうしてその人には、いろいろな意味において世間の導きが与えられることになると思います。
松下電器も私はそうだと思う。
今二万何千人かの人がおりますけれども、
この人たちが、みんな心を合わせて、そうして奉仕をしていくという考えをもてば、
「松下電器の人たちは立派な人だから、同じことであれば松下電器をひいきにしてやろうやないか。
松下電器をひとつ助けてやろうやないか」と言うて、
多くの方がわれわれに接触をもってこられる。
それが松下電器の繁栄の姿になってくるわけです。
そうでありますから、皆さんが両三年間いろいろ勉強してくださる。
その結果、技術は技術として高まらないといかん。
知識またしかりである。
そういうようにして一生懸命やらないといけないけれども、
同時に、そういう習った知識や学問というものを、
立派に世の中、人のために使いこなせるような精神そのものを養わないといけない。
その点を皆さんに私は特にお願いしておきます。
だから組織のナンバー1とナンバー2の一番の違いは責任の重さです。
ナンバー2も相応の責任は負っていますが、まだ竹刀の勝負だと思います。
間違えてもまだ自分の後には
社長がいるという思いがどこかにある。
しかしナンバー1が間違えたら会社が傾いてしまう。
その差はとてつもなく大きいですよ。
だからナンバー1である経営者は、
いつもヒリヒリするような緊張感、恐怖感の中で真剣勝負をしているわけです。
気魄(きはく)も違いますよね。
使命感も責任感も違う。
まぁそうならざるを得ないわけですが。
やっぱりナンバー1とナンバー2以下の意識の差は拭いきれません。
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「ナンバー1とナンバー2の違い」
古森重隆(富士フイルム社長・CEO)
『致知』2012年2月号 特集「一途一心」より
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