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広島食い道楽雑記
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五十六皿目 サラダ菜の悲劇

2009-05-27 | 食雑記
五十六皿目 サラダ菜の悲劇


あらたまの年の経ぬれば 今しはとゆめよわが背子 わが名告らすな

百積の船こぎいるや 占さして母は問ふとも その名は告らじ

玉かぎる岩垣淵の 隠には伏して死ぬとも 汝が名は告らじ


突然ですが、『万葉集』です。

最初の歌は笠女朗(かさのいらつめ)が大伴家持(おおとものやかもち)に
贈った歌で、大筋の意味は、
『お付き合いしてだいぶたったけど、あなた、どうか私の名を人に言わないで』
と、いうこと。
二番目は、
『母親が聞いても恋人の名は漏らさないぞ』
三番目は、
『伏して死んでも恋人の名は漏らさないぜ』
と、いう意味です。

恋人の名前を言うなんて当たり前の事なのに、万葉集の方々は何言ってるの?
と、お思いのあなたそれは間違いです。

それは古来、日本人は言葉そのものに『力』が宿っていると考えていて、
これを言霊(ことだま)と言います。
広辞苑で言葉の意味を調べてみると
「言葉に宿っている不思議な霊威」と書いてあります。

簡単にいうと、
「ある言葉を言う事によって、その言葉の内容が実現する」という考え方の事。

この考えで先ほどの歌を読んでみると、
当時の人々にとって、人の名前を知る・知られるという事は、その人を
支配する事になっていたのです。
恋人同士なら身も心も捧げる事なのです。

名前を知られる=実体(人そのもの)だから、もし人に名前を知られたとして
その「名」に呪いをかけられた場合その呪いが効果あるものになってしまう訳です。
※ちなみに言霊を発動する為には言葉を発する事が必要になります。
この言葉を発する行為を『言挙げ』といいます。

だから、うっかり名を人に知られてはならないという考え方が成立するのです。


ちなみにみなさんは星飛雄馬という人物をご存知でしょうか。

某球団の星のお方ではありません。
お笑い芸人の『星飛雄馬』さんです。
最近、テレビで知ったのですが、この方は本名が星飛雄馬さんとおっしゃいます。

この方をご存じない方の為にネタの最初の部分を。

『私の名前は星飛雄馬といいます。芸名ではなく本名で星飛雄馬です。
たまたま星という家に生まれ、まさかまさかで飛雄馬と名付けられた星飛雄馬です。』
という始まりなのですが、この人の歩んできた人生はどのようなものだったのでしょう。
(ちなみに今の時点でyoutubeを検索してみましたが削除されていました)

この方の人生は星飛雄馬という架空の人物に生まれた時から支配されているといっても過言ではないでしょう。
そして野菜界にも名前に支配されている方がおわします。

それがサラダ菜です。
彼は名前が知られているどころか、その後食卓に登場する際の料理名が
自分自身の名前になっているではないですか!!
言霊世界においてはこれは大事件です。
名を知られて他者に支配されるどころか料理名まで指定されててはどうやっても
彼が逃げることが可能とは思えません。
たしかにサラダ菜が属しているレタス族は仲間が多く、抜きん出た才能でもない限り
頭角を現すことは大変難しいと思われます。

**************************************************************
レタス族にはいくつかの派閥があります
・ヘッドレタス
・リーフレタス
・立ちレタス
・カッティングレタス
・ステムレタス
サラダ菜はその中のヘッドレタスに属しています。
ヘッドレタス自体もクリスプヘッド型とバターヘッド型に細分することが出来、
サラダ菜はそのうちのバターヘッド型に属しています。
ちなみに通常のレタスはクリスプヘッド型レタスといいます
**************************************************************
だから彼は活路をサラダに絞ることで見出そうとしたのかもしれません。

我が家の食卓にもたびたび現れる事を考えれば一見それは成功したかに思います。

しかし我々日本人は先にも書きました通り言霊に支配されている国民なのです。

サラダ菜という『名』をスーパーなどで『言挙げ』している限り我々日本人は彼を
サラダ以外の料理に使うとは考えられないのです。

サラダ菜という名前を聞いた瞬間、我々日本人は思考停止状態におちいり、
『今日はサラダ菜のおひたしよ
とか
『今日はあなたの大好きなサラダ菜の炒め物よー
とかいう料理を考えもしなくなるのです。

あくまでサラダの具として使い続けるのです。
哀れサラダ菜、違う名前でさえいれば、炒め物・蒸し物etc
いろいろな料理に登場できたものを・・
これって我々がサラダ菜の将来の可能性を潰しているんではないでしょうか?

それとも先人達がいろいろ試した結果、サラダにしか使えないと判断して
この名前になったんでしょうか?
これをサラダ菜の悲劇といわずしてなんというのでしょうか。
サラダ菜自身の意見を聞いてみたいものです。

広島ブログ
サラダ菜って誰が名付けたんだろう?

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ARAKI☆)
2009-05-28 00:33:27
『言霊』は『言葉』にして発してはじめて意味があるんでしょうね。
言葉に魂が宿るのですから、願い事も『言霊』で声に出して叶うということも昔の人は分かっていたのでしょうね。

確かに、『サラダ菜』はサラダ以外に食べ方が無いですね
『サラダ菜』として存在する限り、宿命なのでしょうか
少し可哀そうな気がしますね。
サラダ以外に何か食べ方が無いか探してあげたくなるような。
もしくは、『サラダ菜』のように同じ宿命を背負った仲間を見つけてあげたい気持ちになりました。
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ARAKI☆さんへ (かっしー)
2009-06-02 22:30:27
そうです。
『ことだま』は『ことあげ』して初めて効力を発揮するのです。
だとしたらこの不況の昨今、暗いニュースばかりが口に出ますけど、意識して極力前向きな言葉を言っていきたいものです。

サラダ菜の新しい食べ方ぜひ見つけて教えて下さいね!
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