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広島食い道楽雑記
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百二十六皿 もみじ饅頭が先か?紅葉が先か?

2014-01-26 | 食雑記
百二十六皿 もみじ饅頭が先か?紅葉が先か?


身近すぎて意外と盲点なのが、我らがもみじ饅頭。
ここ数年、各メーカーより新時代のもみじ饅頭が次々と発売されており、
わたしのように県外に手土産として持って行く営業マンなどは話のとっかかりとして
非常に重宝するアイテムなのです。
近年のヒットは生もみじとか桐葉菓といったもちもちタイプのものだと思います。

この二つはどこに持って行っても外しませんね。お客さんのウケがいいです。

そんな県民にはおなじみのもみじ饅頭ですが皆さんはもみじ饅頭の事を
どこまで知っていますか?

まず、広島県って紅葉が有名じゃないですか。
県の木だけでなく、県の花にまで幅をきかせているくらい。

だから当然のように紅葉が有名だからもみじ饅頭が出来たと理解していたんですよ。

しかし数年前、もみじ饅頭誕生のエピソードとしてこんな話を聞きました。

伊藤博文の冗談説
もみじ饅頭の起源には伊藤博文がかかわっていたという説があり、今日でも広く流布している。
内容は伊藤博文が岩惣の茶屋で休憩していた折、給仕した娘の手を見て
「なんと可愛らしい、もみじのような手であろう。焼いて食うたらさぞ美味しかろう」
と冗談を言ったのを岩惣の女将が聞きとめ、饅頭屋がこの話をヒントに考案した。
というものである。
伊藤は当時から厳島びいきで知られ、たびたび島に滞在していた上(厳島の項目を参照)、
当時すでに総理大臣を辞して大勲位にあって「女好きの好々爺」というイメージが民衆の間に確立していたことから、
この説は広く受け入れられた。
現在でも、大手もみじ饅頭メーカー(例えばやまだ屋:もみじ饅頭の由来)や
地元の宮島観光協会(宮島観光協会:もみじ饅頭)が由来として掲げるほど
親しまれている説である。
実際にはそのようなエピソードの記録は公式に残っているわけではない。
前述の高津常助はこのあたりの状況を熟知していると考えられるが、
伊藤とのつながりを認めたことはない(ただし否定したこともない)。
そのため「茶屋の娘へのお色気冗談」説は、あくまで俗説・噂にとどまる。
ただし高津の和菓子屋「高津堂」は伊藤の定宿である岩惣の門前にあり、
取引先の岩惣の依頼でもみじ饅頭を考案したのであって、
高津と伊藤が互いを認識していた可能性はある。
またマスコミや記録媒体が発達途上であったこの時代、
休暇中の伊藤の冗談まですべて記録することには無理があり、
この冗談もすべて創作と断じることはできない。
wikipediaより抜粋



紅葉関係ないじゃん!!
ビックリするほど関係ないじゃん!

しかもその話を聞いた当時はその茶屋の娘というのも
お手伝いをしていた幼稚園児くらいの年齢だろうと
勝手に想像しておりましたが、
もしその娘が今の女子高生・女子大生くらいの年齢だったとしたら・・

そんなのただのセクハラ発言じゃん!

ただでさえ無類の女好きだったと噂される伊藤博文氏なので、信憑性は意外と高いし
おっさん冗談ではなく、案外本気で誘ったんじゃね?キモッ!と勘ぐりたくもなります。

そのもみじ饅頭が空前のヒットになった事により

広島=紅葉となったんだとしたら・・

そのイメージが県民にも広く広まり、県や市や町の植樹担当の人が紅葉を
じゃんじゃん植えて今ではすでに広島が引き返せないほどの紅葉の県になったんだとしたら・・

なにか悲しい歴史の無情を感じてしまうのはわたしだけでしょうか。

誰か、もみじ饅頭が生まれる前から広島は紅葉の街だったとわたしに教えてください。

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