こんにちは
17期「スケさん」こと永井裕介です
酷暑がまだまだ続きます
皆さまお体には十分ご自愛ください
「毎年のことながら、ちゃんと黙祷しましたよ」
学生時代のグループLineで、突然栃木のYからメッセージが入った。
続いて、
「母は長崎のきのこ雲を恐ろしいと思いながら見たと話していました」と熊本天草のM、
「私の祖父母、母は被爆者です」と広島のS、
私は、ようやくYのメッセージに合点がいき、遅ればせながら黙祷しました。
8月6日朝のことです。
俺たち戦争や原爆や、そのとき親がどうだったなんて話、したことなかったよな?
太平洋戦争は昔のできことでした。
私は昭和34年生まれです。
終戦から14年経ち高度成長期のまっただ中で、
過去より未来に夢中になっていた時代です。
ただ、時々祖父からフィリピン戦線での話などを聞くと、
戦争がリアルで怖いできごとに感じていました。
だから、敢えて触れようとしなかった。
でも、65歳となった今の私にとって14年前なんかほんの最近です。
そればかりか…
先月、舞鶴にある引揚記念館に立ち寄ったときのことです。
舞鶴は主にシベリアからの引揚船の入港地でした。
ソ連軍が日本兵に対し長期にわたり過酷な強制労働を強いたシベリア抑留、
そのときの手紙や写真を見る中で、
最後の引揚船入港が昭和33年9月だったことを知りました。
私の生まれるほんの半年前まで、戦争は続いていたのです。
愕然としました。
今年の10月、くだんの仲間たちと広島に集合します。
前回の天草以来、11年ぶりの再会です。
原爆ドームと平和記念公園を広島のSが引率します。
聴くこと、語り継ぐこと、そして祈ること、
未来を託す若者達への、俺たち高齢者の務めだよね
だからこそ、戦争遺構や記念館などの存在が大切なのでしょうね。
実際に経験された方がいなくなっても、語り継いでいく事で、戦争に対する抑止力にしていければ良いと思います。
実際に経験された方がいなくなっても、語り継いでいく事で、戦争に対する抑止力にしていければ良いと思います。