昨日も記しましたとおり大法要は43もの行事が夕刻まで行われましたが、
今日はその中から、
舞楽の最初に執り行われる「舞楽 蘇利古」を取り上げました。
この舞楽は5人の舞人が異様な風貌の紙製の仮面をつけて演じられます。
私はこの大法要は今回で三度目ですが、この舞楽が最も好きで
その舞の幽玄な美しさに今回も最初に見たときと同じ感動を味わうことができました。
ご覧のようにこの仮面は「人面を抽象化・図柄化」したものとのことです
何故このような仮面にしたのか?
舞を見ているとこの舞が、素の舞人の顔は無論のこと、例え精巧に作られた木製などの仮面であっても
やはりだめだろうと素人ながら思いました
私はこの舞楽は本来の意味の他に、今ひとつ別の課せられた役割があるのではないかと思っています。
では、その別の役割とは、何でしょうか
それは、
この大法要に参集した者たちに、
これから始まる法要がただならぬ仏事であることを
見る者に雑念無く知らしめることであったと考えています。
そう考えると
何故、この舞いの面が、抽象化・図柄化されている紙の面でなければならなかったかが
見えてきます。
即ち、この抽象化・図柄化されている紙の面は、
見る者に予見を与えることが無いようにするために、
是非とも必要であったと。
大阪市天王寺区・四天王寺にて
(D7000+18-270)