相変わらず、飛鳥・白鳳・天平時代の古寺や史跡を訪ね歩いています。
はじめた当初はこれほど続くとは思っていませんでしたが、
今ではライフワークのようになってしまいました。
今日は「水間寺」を紹介したいと思います。
水間寺は、大阪府の貝塚市にあります。最寄りの駅は水間鉄道の水間観音駅です。
水間鉄道水間線 水間観音駅
水間寺は、古くから大阪では水間の観音さんとして信仰を集め、
貝塚・岸和田近郊は無論のこと、遠来からも日々多くの参詣者がありました。
これら多くの参詣者の利用を見込み大正15年に貝塚市と
水間の約5.5kmを結ぶ水間鉄道水間線が開業します。
終点は水間観音駅です。この駅舎は開業の由来そのままに寺院風に建築されました。
なお、現在の駅舎はこの開業時のものです。平成12年に始まった「近畿の駅百選」に、
その大正期の寺院風の瀟洒な駅舎であるとして、この水間観音駅は第一回認定駅に選ばれています。
水間観音駅から南に約600m歩くと水間寺の真新しい白い石造りの厄除け橋に至ります。
水間寺は天平16年(744年)に聖武天皇の勅願によって、
天平の高僧・行基が開いたお寺であると言い伝えられています。
「かつては多宝塔で多宝如来を安置した。
古い記録に依れば孝謙天皇が舎利塔を安置したと伝える。
天正の兵乱に焼亡したので萬治年間に改めて三重層の塔を建て、
釈迦仏の像を安置した。
井原西鶴の「日本永代蔵」に記載されたモデルの塔と考えられる。
現塔は天保5年(1834)の再建となる。」(境内の説明文より)
降臨の滝・聖観世音出現滝
この「降臨の滝・聖観世音出現滝」は本堂の右奥にあります。
この滝には水間寺草創に纏わる次のような伝承があり、水間寺にとって非常に大切な地です。
聖武天皇の命により、行基は観世音菩薩降臨の地を探索するために奈良の西南方の地に出向き、
到達したのがこの水間の地でありました。到達した行基の前に、
突然「十六人の童子」が出現し、誘うともなく行基菩薩を谷間に導きました。
谷間の美しい水の流れる巨岩の上に白髪の老人がおり、手に一体の仏様を捧げ、
「汝を待つこと久し」と言って、自分の手首を自ら噛み切って、
その尊像を行基菩薩に手渡し、そうして自分は龍となって昇天した」とあり、
この「谷間の美しい水の流れる巨岩」がこの場所であると言われています。
END