1987年に「バングラデシュに小学校をつくる会」がカラムディ村に小学校建設を開始し、
2年後に多くの方々の協力で完成し、開校式を迎えた。
小学校の完成とともに「小学校をつくる会」は解散。
信頼関係を築いたこの村とその後も協力関係を継続するという目的で
日本側には「バングラデシュと手をつなぐ会」、現地側では「ションダニ・ションスタ」を発足。
この小学校の正式名は「カラムディ東小学校」だが、
一般的に人々は「ジャパニ小学校」とよぶ。
建設当初、4人の教員と300人以上の生徒が在籍していた。
その後村のほかの地区にも小学校が建設され、生徒数が減っている。
2011年度に約220人の生徒が在籍している。
ジャパニ小学校建設の方針として、
建設費は日本側と現地ともに負担する、
運営費(特に教職員の給料)は政府に出してもらうとしていた。
しかし政府から簡単に認可が下りず、教職員たちは困っていた。
その間、ションダニは教員の給料を含む運営費用の一部を負担していた。
後に政府から認可が下り、
現在国立小学校の教員とほぼ同じ額の給料が支給されるようになった。
ションダニもこのような状況の下で一度手を引いた。
建設当初の4人の教員は今やみんな退職していった。
昨年初めころまでに3人の教員が定年退職を迎え、
その代わりに2人の女教師が採用された。
昨年12月に最後の教員(校長)が突然脳梗塞で倒れ、他界した。
結果的に2人の教員だけになった。
小学校は5年制だが、小学校入学前の子供を集めもうひとクラスがある。
日本で言うと、年長さんのことで、全部で6学年になる。
2人の教員で6学年を担当するというのは到底困難である。
また一人の教員が時々教育委員会の会議に参加しなければいけない時もある。
そのときに教員は一人になる。
このような状況があるが、ジャパニ小学校の運営委員会と
ションダニの間にこのような問題に対する解決策について
意見や考え方のギャップがあった。
しかし、どんな問題があっても結局犠牲になっているのは子供たちである。
このことをみんな忘れていた気がする。
今回双方が数回話し合いを持ち、臨時教員を採用することになった。
9月9日に採用試験を実施した。
受験者は15名、3人を採用、3人をwaiting listに置いた。
3人の内一人は辞退。繰上げ採用として一人を選び、任命。
1.ションダニは新任教員の給料(月間4,000タカ)を支給する。
2.ションダニ学校で3日間の研修を受けさせる。
3.一年間の契約をする。
4.運営委員会は自費で学校の前に竹を使ってフェンスを作り、
学校の環境整備に努める。
5.ションダニ側から一人と運営委員会から一人は毎日学校の朝礼に参加し、
何か問題があれば直ちに対応する。
6.授業が行われていなかったので一部の生徒は私立学校や他校に転校した。
運営委員会はそれらの生徒が戻れるように保護者や生徒に働きかける。
運営委員会は合計7人の教員を求めている。
政府認可の2人、新採用の3人、合計5人。
あと2人が必要だ。
状況は理解するが、財源がどうなるかが課題である。
とりあえず1,000ドル(75,000タカ)、3人の6か月分の給料の確保はできている。
その後がどうなるか、
また要求されている残りの2人の教員採用はどうなるかこれからの課題である。