花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

心優しき動物たちへのオウムの恩返し。物語後段 再掲載

2019年05月12日 04時30分00秒 | 勇気の心柱

 

こんにちは。仏教の経典である雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の121物語中のオウムの恩返し「雑宝蔵経 天はすべてを観ています。」「オウムの恩返しと動物たちの優しさ。物語前段」を2日程,記事にさせて頂きましたが,このオウムの恩返しの前段部分は,鎮守の森で平和に暮らしている心優しき動物たちが,エサを探し求めて森の中で迷っている一羽のオウムに優しく声を掛け,木の実や美味しい御水などをたくさんあげて夜は,オウムが寂しくないようにと安心して寝ているオウムの回りを動物たちが囲んで寝ていましたと云うお話でした。そして,翌朝,たくさんの心優しい動物たちの愛情でグッスリと寝ることができたオウムは自分の故郷を目指し,たくさんの動物たちに見送られながら飛んで行きました。ここまでが,このオウムの恩返し物語の前段部分です。

そして物語は,後段に入ります。物語の後段では,

自分の故郷に何とか戻ることが出来たオウムは,鎮守の森で出会った沢山の動物たちの真心とその恩を感じ,鎮守の森での出来事を他の動物たちへ話していました。その様子を想像すると余程,オウムは嬉しかったようです。私たち人間でも自分の力だけではどうすることも出来ない事柄がたくさんあります。たった1人の力には限界もあります。そんな時,友人や知人などの協力者が居てくれるおかげで何とか問題を解決出来たり,難問を乗り越えることが出来た経験は少なからず誰にでもあると思います。助け合ったり,補いあったり,支え合ったりと本来,人間社会においてもお互い様のはずです。いつの間にか,私たちは臆病者になってしまったのかも知れません。このオウムの恩返しの物語は前段と後段で観ると興味深い点がたくさんあるように思えます。前段では,自分から率先して困っている存在に対し積極的に語りかけ,ひとり一人が自分の出来る範囲で皆で協力している様子を物語っています。又,後段では,困っている時に助けられた恩を忘れずに感謝し,相手が困った時に自分から率先して行動に移す様子を語っています。

つまり,前段も自分に置き換え,後段も自分に置き換えた場合の両面を考えることが出来る訳です。これは,神道で云うところの一霊四魂「魂の働き」と呼ばれる思想に似ていると私は感じています。機会があればまた記事で書かせて頂きたいと思いますが,一霊四魂と云う神道の思想概念には,人は誰でも「荒魂」(あらみたま)と云う働きと「和魂」(にぎみたま)と云う働きと「幸魂」(さきみたま)と云う働きと「奇魂」(くしみたま)と云う魂には四つの働きがあると言われています。たとえば,前段の勇気を以て,自分から率先して行く勇ましさは正に「荒魂」の働きですし,困っている人の役に立ちたいと云う思いと皆で協力する姿勢は正に「和魂」の働きそのものです。物語の前段を読んだだけでも,この作者は人間の本来の在り様を動物に例えて書かれたのではないかと思います。本当に,このオウムの恩返しに学ぶところは沢山あります。見方を少し変えるだけでもいろいろ勉強もできます。

そして後段,最後の箇所では,

親切にしてくれた鎮守の森が山火事になってしまい,いてもたってもいられないオウムは,とっさに川へ飛び込み自分の身体をビショビショに濡らして山火事を消そうと鎮守の森に向かいました。しかし,山火事の現場に着くころには身体の水が乾いてしまって,自分の身体をブルブル降っても数滴しか落ちて行きません。それでも構わず,何度もなんども川に飛び込み身体をビショビショに濡らし再び,山火事を消しに向かいますが,結果は同じで数滴しか水が落ちて行きません。無理だと判っていても助けたい一心で山火事に向かうオウムの姿は,災害活動に従事される警察・消防・自衛隊の救済活動によく似ていますし,私たちの日常生活の場や企業社会でも聞くことがあります。そして,一生懸命に努力している人を努力をしない人が嘲笑い,そんな利益にならないことをよくやるな。そんなことしても無理だ。無駄なことだよ。と云う場面はどんな社会でもあることです。それでも,諦めずにただ「助けたい」と云う一心で純粋な心が天津神と国津神,八百万の神々にも通じ,神様の御加護あったのです。神様が放って置くはずがありません。オウムも突然,これまで晴天だった空が曇りだして大雨が降って来たのですからビックリしたのではないでようか(笑)

オウムも自分が困っている時に優しく,助けてくれた動物たちの恩を忘れず,自分の力だけでは到底,為し得ない困難なことであっても決して諦めず果敢に挑戦する態度とその姿勢は物語とは云え,今の現代でも理想とされ求められる人物像であるのかも知れません。その姿は天津神,国津神,八百万の神々様もずっとご覧になられています。そして私たちの祖先もすべてを観ています。果敢に挑戦する勇者(子孫)を誇らしく思っているのではないでしょうか。もしかすると,天国で友人や知人に自慢しているかもしれませんね。又,祈るとは行ずることだと云うことはひふみ神示「日月神示」にも多く書かれています。祈りと行ずることで結びます。拝

  

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。日本が和の国と呼ばれる所以です。

又,人にはそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

菊の紋章は世界祭祀の継承者としての証であり,世界で唯一,太陽を国旗にする国でもあるのです。

わたし達の心の中には根源神の分魂が内在しています。高天原は,わたし達の心の中に存在します。

心柱神社 心神とともに。花咲あさひ 拝


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