花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

咲かせよ咲かせ 豊葦原瑞穂国に。

2016年12月04日 21時12分04秒 | 反省の心柱

 

こんにちは。いきなり,大きな画像を2枚掲載させて頂きました。どちらも聖観世音菩薩様です。私のお客さんでもある寺院さんでもあるのですが,2枚目の写真の観音様正面に何やら光り輝くものが造成してあります。これは,芝桜で今年の4月頃に植えたものです。以前も少し記事にさせて頂いた「音霊は無音に始まり有音に終わる。これ音霊の正体なり。」場所と同じ寺院さんです。

先日,生育観察と清掃のために伺いましたら立派に育っておりました。今年は,秋頃より雨の続く日がとても多く,生育に影響があるのではないかと心配しておりましたが,7月に行ったきりだったのですが大丈夫でした。来年の春には紫色の芝桜を咲かせてくれると思います。年末にまた伺って肥料と清掃をしたいと考えています。実は,この芝桜を植えたきっかけは,ここのお寺で観音様の化身と出会ったからでした。そんな訳ないだろ?と思われることは十分承知です。しかし,本当に本当なことなのです。

しかも,その観音様は一般女性の姿に変身していて,境内にあるお墓の辺りから現れたのでした。それはどう云うことかと申しますと,ある日,いつもの様に住職さんとこれからの寺院の運営や護持について打ち合わせをするためにお寺へ向かいました。そして,手水舎で禊を済ませ,本堂に挨拶,観音堂に挨拶,お地蔵さんへ挨拶をして住職さんのいる寺務所へ行こうとした時でした。お墓の方から一人の女性,年齢にしたら30代後半から40代前半くらいと思われる女性が泣きながら歩いてくるのです。それもメソメソとしたような泣き方ではありません。誰が見ても一目で泣いていると判るような感じです。

私もこれまで,いろいろな寺院を仕事で訪問させて頂いて来ましたが,こんな経験は初めてです。何か声を掛けようにも何と声を掛けてよいのか解らず「こんにちは」とだけ挨拶をさせて頂きました。するとその女性も私の挨拶に対し「こんにちは」と挨拶をして下さいました。何かあったのですか?と声を掛けるべきであったと思いますが,私の方が躊躇してしまい,それ以上の声を掛けることが出来ませんでした。寺務所に着いて直ぐ,その出来事を住職さんへも報告すると,住職さんも,きっと何か辛い事でもあったのかも知れないと話していました。その日は,その程度の話でしかありませんでしたが,私は帰宅した後もどうしてもあの泣いていた女性が気になって気になって仕方がありませんでした。何故,あんなに泣いていたんだろう?あの人は誰なんだろう?

そんなある日,ふと想うことがありました「音霊が言霊に変換できたのです」もしかしたら,泣いていたあの女性は観音様の化身ではないか?きっと,観音様がもっと謙虚になって物事を見極める行をしなさいと言われているように感じたのです。何か困ったことがあったときに自分の先祖がいるお寺に相談できる環境があれば御役に立てるし,お寺の護持にも繋がる。それを観音様は,一般女性に変身して私に見せてくれたのだと感じました。その後,何度もお寺に行っていますが一度もその女性に会っていません。

その後,再び,お寺で打ち合わせのために伺った際に,思い切って住職さんへ「檀信徒さんや参拝者に喜んでもらえるよに芝桜を造成させて下さい」と心願することにしました。それで考えたのが芝桜計画です。参拝に来られる人々が,このお寺に来て良かったと思って頂ければそれで良いと思いますし,現実的な困り事があればいくらでも相談に乗ることや解決することは出来ます。そんな寺院を住職さんとも協議して行きます。芝桜は,まだ畳1畳程の小さなスペースですが,将来的には拡張して観音様と協同して参拝者に喜んで頂けるよう励みます。神様から教えてもらった事があります。それは,神社と寺院の総代を動かせ。と云うことでした。

天に向かって咲けよ咲け。


感謝・反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えさせて下さい! あさひは負けねぇ。クリック応援お願いします。

                            

 

宮柱太如き立て 高天原に千木高しりて 相互扶助立国を目指して。                                                                感謝反省謙虚奉仕素直の五つの心柱を伝えに来ました。                                            仕送りの御役 花咲 あさひ 拝                             ブログ開設175日目 記事数第179記 反省の心柱 編


和の神 菊理媛神 中篇

2016年12月03日 21時10分10秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。上の写真は,奈良の長谷寺「御本尊:十一面観世音菩薩」の登廊です。この長谷寺にも実は,菊理媛神様をお祀りしている場所があるのです。小さな御宮ですが,その昔,白山比咩(ひめ)神社から勧請を受けていたと云うのですから御本尊「十一面観世音菩薩」がこの長谷寺に御鎮座されているのも理由のあってのことだと思います。ちょっとした歴史探究も面白いものです。

ちなみに,長谷寺さんの白山神社へのお参りは通常,出来ません。境内の裏山に御鎮座されております。下座からは参拝できます。

さっそく,先日の記事「和の神 菊理媛神 前篇」の続きを書かせて頂きます。私なりの想像では,菊理媛神と云う神様は,紛議や紛争を円く治めることが出来る御働きも言葉が適切であるかどうか解りませんが,兼ね備えている神様であると考えております。さらに,言葉の神様でもあると感じていて,そのヒントとなったものは縄文神代以前から先住民族が暮らす地区や地域には,白山神様をお祀りされているようなのです。そして,その縄文人が最も恐れと敬遠していたことは何かと言いますと争いや紛争でした。その証拠に全国の縄文遺跡から唯一,発掘されていないものが武器です。つまり,人を殺傷するような武器は縄文遺跡からは見つかっておりません。したがいまして,戦い方も知らなかったはずです。そのことは,これまでも記事で何度か書かせて頂いて参りました。

しかし,なぜ縄文人は争うことを嫌っていたのでしょうか。好きや嫌いなどと言う感情だけではなく,もっと大きな理由が存在していたのではないでしょうか。勿論,死後の世界に対する死生観も存在していたことですし,停留思想も既にありました。この世に恨みや辛み,憎しみや怨念を残すと人(霊)は,あの世に帰ることが出来ず,この世の低い次元に停留してしまい子孫を見守ることが出来ないと云う思想です。日本仏教の死生観にある成仏と云う考え方は,この縄文人の死生観が元でもあると思っています。

今から何万年も前の私たちの祖先は,神様と直接,交信が出来ていて神様の御心をとても良く理解し,実生活の上で活かし,平和で豊かな暮らしをしていたのです。又,現代に生きる私たちとは全く違った言葉や文字(神代文字)を使い,その言葉や文字には霊が宿っていると考えていました。それを現代でも言葉や文字には霊が宿る言霊として受け継がれている精神的面があります。

争いや紛争を円く治めることの出来る神様(自論です)であり,言葉の神様(これも自論です)でもある菊理媛神様は,縄文以前から深く人々によって信仰されて来た神様ではないかと思っているのです。私も調べたことはありませんが,きっと,遙か昔の居住地や集落では菊理媛神様をお祀りしていたと思います。その名残も相まって,全国に分布されている白山神社は太古の集落地であった場所に多いのではないでしょうか。きっと,考古学を研究されていたり,個人で探求されている方であれば北陸地方や白山地区さらに,菊理媛神様に想いを馳せることがあると思います。ただ,弥生時代以降の古代日本史からを基準に考えると,結局,天津神か国津神のどちらかと云う偏った話になってしまうのです。もしかしたら隠された神様かも知れませんし,弥生時代の戦国の世から菊理媛神様みずから御隠れになられたのかも知れません。話が飛びますが,カゴメ歌伝説の謎なる解説は結構,インターネットや雑誌などでも盛んに取り上げられていますが,このカゴメ歌の最後の「後ろの正面」とは誰なのでしょうか?鶴と亀が統べった。

後ろの正面だぁ~れ?


 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


ガンダーラ伝説 心の中に生きる幻なのか。

2016年12月02日 21時21分37秒 | 素直の心柱

 

こんにちは。今日は動画を貼り付けて見ました。ゴダイゴさんと云うバンドの方々が唄うガンダーラと云う楽曲です。とても好きな曲でもあり且つ,不思議な歌詞だと思います。伝説のガンダーラを思い描く歌詞に妙に共感と云うか親近感を覚えてしまいます。その歌詞の一説に,ガンダーラは「心の中に生きる幻なのか」と云う歌詞が登場します。このガンダーラは人の心に存在する高天原です。それを探し求める人の苦悩と煩悩を見事に歌詞で表現されていると思います。外の世界に「ガンダーラ」を探しても探し求めても果てしなく遠く,決して行くことの出来ない世界が「ガンダーラ」即ち,高天原です。今日はこの辺で失礼します。拝


 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝


祈り・行じて・省みる。

2016年12月01日 21時47分37秒 | 反省の心柱

こんにちは。いよいよ今日から12月が始まりました。今年も残すところ1ヶ月のみとなり,時間(感覚)の短縮に伴い本当に時の経つのが早くなりました。あっと云う間に今年も終わることでしょう。又,15日を過ぎればお歳暮や御世話になった方への挨拶,カレンダー配りとほとんど仕事と云う仕事が出来ない時期でもあります。何とか15日前までにある程度の仕事は終えておき,残りの年末までの期間はお客さん回りと年始の準備に専念したいのですが,これもまた急な用事が突発的に入り難しいようです。

今日は,朝の祓い「掃除」をしている最中に,自分の日々の態度,どう云った生き方「姿勢」なのかを省みて観ました。ちなみに,私は掃除することを祓いと呼んでいます。御風呂に入ることは禊と呼びます。まぁ。それは良いとして,だいたい考え事をしている時は,祓いや禊の時が多いです。同時に,何か良い解決策や新しい妙案が浮かぶ時も祓いや禊をしている時です。そして今日もその祓いの時間帯に日々の態度や生き方の姿勢を自分自身に問うて観ました。すると,意外なことに不足するものを感じ,不足するものは何かを考えていましたら音霊が言霊に変換できました。内容は「祈り」「行じて」「省みる」と云う三つのキーワードでした。

いつもの如く,音霊はとても抽象的なのです。大は小を兼ねると云う言葉がありますが,まさにその通りで具体性に欠ける為,何に対してなのかが解らないのです。さっそく,音霊のキーワードを自分自身の心「高天原」の宮柱「心柱」に落としてみると,物事は三つ揃い,合わさることが重要だと云うことでした。つまり,祈りだけでも駄目。行ずるだけでも駄目。省みるだけでも駄目だと云うことです。三つ揃って一つに成るようです。祈りだけすれば豊かに平穏に暮らせるなんてことはあり得ませんし,行ずるとは仕事ですから仕事だけしていても心労や疲労だけが溜まり続けてしまいます。要は,心にゆとりもなくなり,視野も狭くなる訳です。また省みるだけでも何時も弱々しい感じもしますし,遠慮ばかりする様になってかえって自分の周りの人に気を遣わせてしまいます。

やはり,どんな物事にも「始め為り 終わり成りがあると云うように順序や順番,序列や段階が必要なのだと理解しました。

以前,第十一代垂仁天皇の皇女である倭姫命とは,どのような人物だったのか勉強していた時がありました。勉強と云っても御宮に参拝させて頂いたり,倭姫命の生涯を簡単に勉強した程度です。その倭姫命が残したと云われる御言葉が「倭姫命世記」に記載されています。そこには下記のように読むことが出来ます。今を生きる私たちにも大変,為に成ることが書かれています。

人は天下の神物なり。心神を傷ましむことなかれ。
神は垂るるに祈祷をもって先となし,冥は加うるに正直をもって本となせり。
神を祭るの礼は,清浄をもって先となし,真信をもって宗となす。

黒心なくして,丹心をもちて,清く潔く斎り慎しみ,左の物を右に移さず,右の物を左に移さずして,左を左とし右を右とし,左に帰り右に回る事も,万事違う事なくして,大神に仕え奉る。元を元とし,本を本とする故なり。

上記のような御言葉を残されております。倭姫命をお祀りされている御宮は三重県伊勢市楠部町5に御鎮座されております。

日本には,元々,御互い様と云う言葉があります。人生において自分の力だけでは困難なことがあるのだから,困った時はお互い様ですと云う意味です。最近は,意味不明な言葉に自己責任と云う言葉が流行り出し,なんでもかんでも自己責任だと云われています。今日も意味不明な終わり方ですが,祈りを以て行を成し,終わりを以て省みる。これを繰り返し,繰り返し日々の生活面で実践することで意義のある人生を送れるように感じています。幾千年時代が経過しようとも真理の言葉は変わらないようです。


 

毎日,クリック応援ありがとう御座います。

これからも,2つクリック応援宜しくお願いします。 

太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝