花咲 あさひ 観世音菩薩とともに。五つの心柱

高天原(心)に宮柱(心柱)太如き立て 高天原に千木高しりて

山を下りた観世音菩薩は裸足で飛び出して行きました。

音霊は無音に始まり有音に終わる。これ音霊の正体なり。

2016年10月17日 17時55分21秒 | 素直の心柱

  

こんにちは。上の写真は,ある寺院さんの護持の一環として,参拝に来られる檀家さんや一般参拝者の人々に喜んで頂きたいと考えて造成させて頂いた芝桜「品種はダニエルクッション紫」です。左の写真は造成直後の今年4月です。右側の写真は造成3か月後の7月に撮影したものです。被写体のズームが左右非対称になっているので解りにくいと思いますが,造成した時点と造成から3ヶ月を経過したものでは芝の緑色が全然違います。右の写真の方は,本当にきれいな緑色です。来年の春4月頃には紫色の桜が咲いてくれるだろうと思います。そして,芝桜を保護する為に,ヒノキのチップ材をまきました。参拝に来られた檀家さんや一般参拝者の皆さまが,このお寺に来て良かったと感じて頂けるようにと精魂込めて造成させて頂きました。まだ試験的ではありますが,上手く根を張り芝桜が咲いてくれれば,境内に拡張して行く予定です。ちなみに,写真の場所は観音様の前に造成させて頂きました。

さて,今日は,いつも書かせて頂いている音霊について書かせて頂きたいと思います。私の言っている音霊とは耳に聞こえてくるような音ではなく,耳には聞こえない音のことであります。つまり,無音の音と云う事になります。私が何故,そのようなことに関心を持ったかと云いますと,聞こえる音や見える景色や風景は,誰が聞いても見ても同じものです。しかし,同じ音を聴いても,同じ風景や景色を見ても心で想うことや感じる感覚が違うのは何故なのか?と云う素朴な疑問からでした。私はこれが不思議でならなかったのです。だって,皆さんも私も同じ音や景色を見ているのですよ。それなのに,皆さんも私も心で想うことや感じることが違うのです。本当に不可思議な事ですし,真に神秘的です。たとえば,言葉には霊(魂)が宿っていると言われています。これを言霊と云いますが,音霊と聞くとこの言霊の発音を指すものだとして捉えられていることが多いのです。ですが,私の感じる内容とは少し違います。違うからと云って,正解とか不正解とか言うものではありませんし,そう言ったことを強調したい訳でもありません。

私が感じている内容とは,言葉の発音を音霊とする前に,無の音つまり,無音が存在していて,その無音を私たちがキャッチできるから言葉に変換することが出来ているのではないかと云うことです。では,その無音とは何なのかと云いますと波動や音波です。そして,この波動や音波を発信しているのは大自然や自然の神様であります。さらに,私たち人間同士でも同じことが言え,この世のありとあらゆるものは波動や音波を発信していると私は考えています。たとえば,パソコンや携帯電話もそうですし,自動車や家などもそうです。そうなると音を聞くと云うものではなく,音を観ると云う観念がとてもピッタリと当てはまります。楽しく作られた物などには良い波動や音波を発信していて,逆に,憎しみや恨みなどを抱いて作られている物には悪い波動や音波を発信していると言えると思います。よく聞く話で,物には送り主の念や想念が入り込むと言われますが,これは本当のことだと感じています。拝


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