花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

和の神 菊理媛神 中篇

2016年12月03日 21時10分10秒 | 謙虚の心柱

こんにちは。上の写真は,奈良の長谷寺「御本尊:十一面観世音菩薩」の登廊です。この長谷寺にも実は,菊理媛神様をお祀りしている場所があるのです。小さな御宮ですが,その昔,白山比咩(ひめ)神社から勧請を受けていたと云うのですから御本尊「十一面観世音菩薩」がこの長谷寺に御鎮座されているのも理由のあってのことだと思います。ちょっとした歴史探究も面白いものです。

ちなみに,長谷寺さんの白山神社へのお参りは通常,出来ません。境内の裏山に御鎮座されております。下座からは参拝できます。

さっそく,先日の記事「和の神 菊理媛神 前篇」の続きを書かせて頂きます。私なりの想像では,菊理媛神と云う神様は,紛議や紛争を円く治めることが出来る御働きも言葉が適切であるかどうか解りませんが,兼ね備えている神様であると考えております。さらに,言葉の神様でもあると感じていて,そのヒントとなったものは縄文神代以前から先住民族が暮らす地区や地域には,白山神様をお祀りされているようなのです。そして,その縄文人が最も恐れと敬遠していたことは何かと言いますと争いや紛争でした。その証拠に全国の縄文遺跡から唯一,発掘されていないものが武器です。つまり,人を殺傷するような武器は縄文遺跡からは見つかっておりません。したがいまして,戦い方も知らなかったはずです。そのことは,これまでも記事で何度か書かせて頂いて参りました。

しかし,なぜ縄文人は争うことを嫌っていたのでしょうか。好きや嫌いなどと言う感情だけではなく,もっと大きな理由が存在していたのではないでしょうか。勿論,死後の世界に対する死生観も存在していたことですし,停留思想も既にありました。この世に恨みや辛み,憎しみや怨念を残すと人(霊)は,あの世に帰ることが出来ず,この世の低い次元に停留してしまい子孫を見守ることが出来ないと云う思想です。日本仏教の死生観にある成仏と云う考え方は,この縄文人の死生観が元でもあると思っています。

今から何万年も前の私たちの祖先は,神様と直接,交信が出来ていて神様の御心をとても良く理解し,実生活の上で活かし,平和で豊かな暮らしをしていたのです。又,現代に生きる私たちとは全く違った言葉や文字(神代文字)を使い,その言葉や文字には霊が宿っていると考えていました。それを現代でも言葉や文字には霊が宿る言霊として受け継がれている精神的面があります。

争いや紛争を円く治めることの出来る神様(自論です)であり,言葉の神様(これも自論です)でもある菊理媛神様は,縄文以前から深く人々によって信仰されて来た神様ではないかと思っているのです。私も調べたことはありませんが,きっと,遙か昔の居住地や集落では菊理媛神様をお祀りしていたと思います。その名残も相まって,全国に分布されている白山神社は太古の集落地であった場所に多いのではないでしょうか。きっと,考古学を研究されていたり,個人で探求されている方であれば北陸地方や白山地区さらに,菊理媛神様に想いを馳せることがあると思います。ただ,弥生時代以降の古代日本史からを基準に考えると,結局,天津神か国津神のどちらかと云う偏った話になってしまうのです。もしかしたら隠された神様かも知れませんし,弥生時代の戦国の世から菊理媛神様みずから御隠れになられたのかも知れません。話が飛びますが,カゴメ歌伝説の謎なる解説は結構,インターネットや雑誌などでも盛んに取り上げられていますが,このカゴメ歌の最後の「後ろの正面」とは誰なのでしょうか?鶴と亀が統べった。

後ろの正面だぁ~れ?


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝