花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

祈り・行じて・省みる。

2016年12月01日 21時47分37秒 | 反省の心柱

こんにちは。いよいよ今日から12月が始まりました。今年も残すところ1ヶ月のみとなり,時間(感覚)の短縮に伴い本当に時の経つのが早くなりました。あっと云う間に今年も終わることでしょう。又,15日を過ぎればお歳暮や御世話になった方への挨拶,カレンダー配りとほとんど仕事と云う仕事が出来ない時期でもあります。何とか15日前までにある程度の仕事は終えておき,残りの年末までの期間はお客さん回りと年始の準備に専念したいのですが,これもまた急な用事が突発的に入り難しいようです。

今日は,朝の祓い「掃除」をしている最中に,自分の日々の態度,どう云った生き方「姿勢」なのかを省みて観ました。ちなみに,私は掃除することを祓いと呼んでいます。御風呂に入ることは禊と呼びます。まぁ。それは良いとして,だいたい考え事をしている時は,祓いや禊の時が多いです。同時に,何か良い解決策や新しい妙案が浮かぶ時も祓いや禊をしている時です。そして今日もその祓いの時間帯に日々の態度や生き方の姿勢を自分自身に問うて観ました。すると,意外なことに不足するものを感じ,不足するものは何かを考えていましたら音霊が言霊に変換できました。内容は「祈り」「行じて」「省みる」と云う三つのキーワードでした。

いつもの如く,音霊はとても抽象的なのです。大は小を兼ねると云う言葉がありますが,まさにその通りで具体性に欠ける為,何に対してなのかが解らないのです。さっそく,音霊のキーワードを自分自身の心「高天原」の宮柱「心柱」に落としてみると,物事は三つ揃い,合わさることが重要だと云うことでした。つまり,祈りだけでも駄目。行ずるだけでも駄目。省みるだけでも駄目だと云うことです。三つ揃って一つに成るようです。祈りだけすれば豊かに平穏に暮らせるなんてことはあり得ませんし,行ずるとは仕事ですから仕事だけしていても心労や疲労だけが溜まり続けてしまいます。要は,心にゆとりもなくなり,視野も狭くなる訳です。また省みるだけでも何時も弱々しい感じもしますし,遠慮ばかりする様になってかえって自分の周りの人に気を遣わせてしまいます。

やはり,どんな物事にも「始め為り 終わり成りがあると云うように順序や順番,序列や段階が必要なのだと理解しました。

以前,第十一代垂仁天皇の皇女である倭姫命とは,どのような人物だったのか勉強していた時がありました。勉強と云っても御宮に参拝させて頂いたり,倭姫命の生涯を簡単に勉強した程度です。その倭姫命が残したと云われる御言葉が「倭姫命世記」に記載されています。そこには下記のように読むことが出来ます。今を生きる私たちにも大変,為に成ることが書かれています。

人は天下の神物なり。心神を傷ましむことなかれ。
神は垂るるに祈祷をもって先となし,冥は加うるに正直をもって本となせり。
神を祭るの礼は,清浄をもって先となし,真信をもって宗となす。

黒心なくして,丹心をもちて,清く潔く斎り慎しみ,左の物を右に移さず,右の物を左に移さずして,左を左とし右を右とし,左に帰り右に回る事も,万事違う事なくして,大神に仕え奉る。元を元とし,本を本とする故なり。

上記のような御言葉を残されております。倭姫命をお祀りされている御宮は三重県伊勢市楠部町5に御鎮座されております。

日本には,元々,御互い様と云う言葉があります。人生において自分の力だけでは困難なことがあるのだから,困った時はお互い様ですと云う意味です。最近は,意味不明な言葉に自己責任と云う言葉が流行り出し,なんでもかんでも自己責任だと云われています。今日も意味不明な終わり方ですが,祈りを以て行を成し,終わりを以て省みる。これを繰り返し,繰り返し日々の生活面で実践することで意義のある人生を送れるように感じています。幾千年時代が経過しようとも真理の言葉は変わらないようです。


 

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太古の昔から日本人の性質は互いに支え,助け合い,足りないところを補い続けた民族でした。

私たちの祖先は,それを相互扶助とし和の仕組みとしました。

又,人はそれぞれ違いがあり,その違いを認め合い,尊重し合うことを大切にして来ました。

それが祈りの民族と云われる大和の民。大和民族です。

そしてまた日本人の本当の性質を勇気を以て再び伝え広めて行きたいです。

そのことが日本を取り戻し,日本人としての誇りを取り戻す真の意味だと考えます。

観世音菩薩とともに。花咲あさひ 拝