花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

祖霊祭祀の日本人 祈りの民族

2016年06月22日 00時00分00秒 | 感謝の心柱

 

私は「あさひの心得10ヶ条」にもある通り,日々,神様のお祀りと祖霊祭祀(先祖供養)を欠かしませんが,もともと祖霊祭祀と云う概念は仏教思想の根本ではなく,もっともっと遥か昔から形として存在していたものです現に,仏教の開祖であるお釈迦様も先祖供養を勧めてもいません。お釈迦様は一切の苦行は無駄であるから,自分自身の心を唯一の拠り所(灯火)として生きて行きなさいという教えです。そして,外にあるものや存在に頼ってはいけないと偶像崇拝は禁止れていたようです。さまざまな苦行を体感したお釈迦様だからこそ,そのような言葉を伝えようとされたのではないかと思います。(本当かどうかは判りません)                                               ただ,そのように解釈すると,今の仏教はお釈迦様の仏教思想とは全く違います。幾多の年月を経て,シルクロードを渡り中国や朝鮮半島をさらに経由して我が国,日本に伝来されたものです。したがいますと,現在の仏教とは我が国固有のものであると云えるかもしれません。

なぜならば,遙か縄文時代には祖霊祭祀が確立され,実に丁寧な追善供養も斎行されていたからです。                         時代年表からも仏教伝来はずっとあとです。私個人的には,元々,先祖の御霊を供養すると云う祭事は,神道が主体であったのではないかと考えています。何故?神道が日本仏教に祖霊崇拝を譲ってしまったのか?飛鳥の時代に何があったのか?今後も探求して行きたいと考えています。

又,縄文人の祖霊崇拝における根本的な考え方の中に「この世」の想念が「あの世」でも継続すると考えれていたようです。つまりは「この世」で恨みを抱いて死を迎えると「あの世」には行けず,「この世」に留まり続ける(停留思想)と言える考え方です。現代で云えば成仏できないということに近いかもしれません。もしかすると,不成仏という元の意味(概念)は縄文時代の停留思想から来ているのかもしれませんね。

その上記のような事実が,現代に生きる我々の遺伝子にちゃんと組み込まれていて,同じような死生観や何の疑問も違和感を感じずに先祖の御霊を供養すると云う形が浸透しているのではないかと思います。

 

上の写真は, 三重県伊勢市 二見興玉神社にて撮影させて頂きました。日の丸と鳥居です。

祈りの民族 仕送りの御役 花咲 あさひ 拝



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