花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

三峯神社の護持を思う。その1

2019年12月14日 08時01分50秒 | 祭祀と和の国

こんにちは。

先日,埼玉県秩父市三峰地域の三峯山に御鎮座される三峯神社へ参拝させて頂きました。

自然豊かな場所で,埼玉県でも大自然に触れる事が出来るのだと少し嬉しく感じることが出来ました。

上の写真は,三峯神社手水舎です。私は,御社殿を撮影できないのでありません。

今日は,この三峯山を御神体とする三峯神社について私が体感したことを2~3日,書かせて頂きたいと思います。

三峯神社の創建は,今から1900年前ごろと云うことですが,私が感じますところはもっともっと古くから祭祀場として存在していたのではないかと想像しています。古神道系の神社であることは間違いないとも思っています。私は,神社や寺院に参拝しても由緒書などを見ることはほとんどありません。それは,自分自身の感覚と云うか直観力と云うか思うままに感じるままにを大切にしているからでもあります。この考えは,神社に御祭りされている御神名においても同様で,御神名はまったく気になりません。

御神名を気にし過ぎることにとても違和感や嫌悪感があります。

ただ,人々が勝手に命名した御神名と云うよりも神々の神気を感じることの方に気を向けています。

こ三峯神社でも社殿脇に立ち入った際に,本当に御祭りされている神さまが解りました。

その御社殿脇と云うのは,社殿を正面にして右側に御祭りされている御宮です。ピリッとした独特の空気感と威厳に満ちた感覚がその周辺に漂っていました。とても厳しい御眷属神が鎮まって居られるようです。あのような感じのする神社では,やはり真剣さが要求されることが多いのが特徴的で,さすがは,山岳信仰の修験道の聖地だと実感した次第です。

不敬な事があれば容赦はしないと云った感じがヒシヒシと伝わってくる古神道系の神社です。とは言っても,参拝させて頂けること,自然に触れ合うことが出来ること,そして何よりも生かされていることへの感謝の気持ちの参拝であれば何ら問題はありません。一方,社殿前では,やはり人々の欲得や欲望の気しか感じることは出来ませんでした。

明日以降,三峯神社で,私が感じた護持について具体的な事柄を書かせて頂きたいと思います。拝