花咲あさひ の 心神とともに。古神道と和の仕組の復活への道

感謝・反省・謙虚・奉仕・素直・勇気・結び・歓び・怒りあと1つの心柱は?
観世音菩薩は裸足で山を飛び出して行きました。

貧すれば鈍するって?何を指しているのでしょう?

2019年11月05日 08時22分10秒 | 豊葦原瑞穂国新聞

 

追記:コメント欄を一時期,開放致しました。

時間の許す限り,皆様方と有意義なやり取りが出来ればと考えております。

但し,如何なる宗教団体・その他の団体・個人等を誹謗中傷するようなコメントは一切,掲載致しませんので,予めご了承下さい。今後とも末永く,宜しくお願い申し上げます。拝

こんにちは。

とあるブログを興味深く読んでいたら「貧すれば鈍する」と云う言葉が書いてありました。

最初は,なるほど!と感心して読んでいたのですが,このまま「貧すれば鈍する」と云う言葉だけを意味も理解しないままを暗記するのは良くないような気がして自分なりにいろいろと考えて見ました。日本や中国にはことわざが沢山残っています。その一つひとつのことわざには,先人の体験に基づいた事や知恵を含んだ言葉として短く上手く表現されたものばかりであります。私もことわざから多くの事を学びましたが,ことわざと云うのは奥が深く,受け取る側の解釈によっては意味合いが全く違って来ます。

次の故事ことわざ辞典には,このように書いてありました。

貧すれば鈍する 

読み:ひんすればどんする。

意味:貧すれば鈍するとは,人は,貧乏になると利口な人でも愚かになるということ。

 参照ページ:http://kotowaza-allguide.com/hi/hinsurebadonsuru.html

他にもインターネットで普段みなさんが「貧すれば鈍する」と云う言葉をどのような理解でいるのか知りたくなっていろいろ調べてみましたが,だいたい皆さん同じような意味で使われているようです。今,このブログを読まれている皆さまは如何でしょうか?やはり,辞典に書かれているような意味で使われているでしょうか?しかし,貧すれば鈍すると云う言葉は,一体何を指しているのでしょうか?金銭を指すのか?それとも心の内を指すものなのか?つまり,2つの大きな区分けが必要ではないかと思います。

先ず,1つ目は「経済」の問題。そして,2つ目は「心」の問題です。

心と云うと判りにくいかもしれませんので,少し想像しやすいように「道徳」としても良いと思います。きっと,私も含め言葉だけを読んでみると経済的な金銭を見据えて書かれている様に思います。しかしながら,少し深く考えて想像して見ますと,いやいや経済的な金銭だけでは何とも理解しがたいことが判りました。私なりの結論は「心」の方を指しているのであると考えます。

実は,何故この様なことを考えていたのかと云うと,常日頃,私たち人は苦労する為に生まれて来たのではないと云うことを感じているからであります。苦労の為の苦労は,苦労でしかなく,それでは苦労する為に生まれて来たようなもので,無意味な苦労だと思うのです。過去においても苦労と云う言葉を用いて様々な引用がされて来ました。ちなみに,成長の為の苦労は努力です。

たとえば「若いうちの苦労は買ってでもしろ」「苦労している人は人の苦労が良く解る」などなど。

しかし,私は本当にそうですか?と聞きたいのです。言葉が独り歩きしている様にも感じます。

ちょっと違う気がしています。私は,苦労しなくてもよい苦労はする必要がないと考えます。それは何故かと申しますと一言で申し上げるなら「穢れ」を「畏れ」るからです。いつも書かせて頂いておりますが,穢れとは汚れや汚いと云う言葉の意味ではなく,気が枯れると云う意味での「穢れ=気枯れ」です。人は誰でも気枯れを持つと心と身体に異変が起きて行きます。精神疾患や身体の多機能不全です。疾病などもそうかも知れません。それだけではなく,日常の生活面でもだらしない生活になってしまいます。

これが一番ダメな理由です。 要はこれを「畏れ」ているのです。

成長の為の苦労は,私は努力としていますので苦労ではないのです。たとえば,仕事などで目的を達成する為に努力するのですから努力するのは当然であります。しかしながら,そこを苦労と言われてしまうと少し違和感があるのです。苦労は,自分の力だけではどうすることも出来ない事柄に直面した時に当てはまる言葉ではないかと考えます。つまり,自分以外の存在の力が必要な状況です。したがいまして,その様な自分だけの力ではどうすることも出来ない事柄に直面した時は,躊躇することなく他の存在の力を借りる勇気も必要だと思うのです。ひとりで抱えず,悩まずに他の力を頼って欲しいと思います。他力本願の意味はここにあります。

なにも恥ずかしいことではありません。自分の心を傷つけることを罪と申します。

互いに支え,助け合い,足りないところを補い続け,ともに手を取り,手を握り,

互いの違いを認め合い,互いの違いを尊重し合う。如何なることにも先ずは感謝を。

謙虚さ忘れず頭を垂れて,自ら手をあげ名乗り出る真の勇気と素直さと。

時には省み反省し,人への奉仕を忘れずに,歓びもちて結びとすれば,怒りの心も鎮められる。

こころのみはしら(心柱)祝詞の一部より。

きっと,私たち和の民であれば出来るのではないでしょうか。

花咲 あさひ 拝