中国ビジネスブログ「漢和塾の窓」

中国語や中国ビジネスに関連するテーマを、漢和塾の小川がつらつらと書き綴る・・・

1989年6月4日「天安門事件」と現在の中国!

2011-06-05 00:56:41 | 中国
日中の時差は1時間、腕時計を調整していなかったために、6月4日に書くつもりのブログが5日になってしまいました。1989年6月4日、当時、私はリクルートと言う会社で、ABROADと言う旅行雑誌の営業をしており、日中旅行社など中国専門旅行会社を担当していましたが、事件の真相より、毎月の目標(広告収入)が減ることだけを気にしている、まったくもって無知な若造でした。実際、数年前までは、「9・11」などの世界の大事件についても、自分が見たニュースソース以外に、さしたる分析もせず、「中国は悪い!」「アルカイダは悪い!」と決めつける人間に成り下がっていたように思います。ちょっとまともに考えてみれば、事件の裏側ぐらいは見えたのに・・・

天安門事件は二つありますが、日本、世界に衝撃的だったのは1989年6月4日でしょう。1976年4月5日の天安門事件と並べて、第一次、第二次と呼ぶ向きもありますが、まずは、この二つの事件の本質が、まったく別のものであることを理解しないと、単純に民衆と軍の衝突、あるいは、民主化と独裁のような構図にしてしまっては、本質が何も見えなくなってしまいます。いわゆる四五天安門事件は、文革末期、四人組の悪政への不満が高まる中、周恩来氏の死去を弔い集まった民衆を当局が襲撃したもの。結果的には事件は捻じ曲げられましたが、その後の奇跡的な四人組の逮捕で、小平氏の改革開放路線が始まります。

改革開放政策は、社会主義資本経済と言う言葉が語るように、当時の中国では矛盾に満ちたもの。2011年現在まで時計の針を戻すと、この矛盾は、強力な指導体制と、積極的な外資導入による資本経済で、中国を発展に導いているわけで、今のところは、小平氏の事業計画は功を奏しています。が、1989年時点では、政治基盤も人民の意識・知識も脆弱な状態であり、こんなところに民主化などを持ち込めば、恐らく中国は、台湾・香港どころか、7つや8つの国に分裂していたかも知れません。自由とはエゴでもあり、最終的には、戦乱の時代か、独裁者の出現でしか片が着かないのが現実であり、「秩序あってこその自由(孔子)」は的を得ています。

当時、学生を中心とする抗議者で犠牲になった方々の冥福をお祈りします。しかし、アメリカの仕掛けでもある「民主化」と言う他国への揺さぶりは、世紀が変わっても常套手段であり、自分に都合の悪い他国の政権を倒す絶好の言い訳が「民主化」でもあります。自由、民主化で成功しているはずのアメリカ本国が、何ゆえ外敵ばかりを作らなければいけないか?世界の矛盾も、少し冷静に見ればわかることです。もちろん全面的に支持はできませんが、国家として、あの日、あの時、国の分裂を救い、その後の発展のシナリオを途切れさせないようにするには、小平氏の武力弾圧は、これしかない!と言う政治判断だったと私は思います。天安門には、いまだに毛沢東氏の写真が飾ってあるので、印象として勘違いしそうですが、苦難を乗り越え、国を発展させた希有な政治家、小平氏の人生の歩みは、中国ビジネスに関わる人なら一度研究してみる価値はあると思います。