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金沢発 あれやこれや

-ヒントをくれる存在に感謝しつつ物語をすすめます-

自覚の日々3

2016-05-28 22:48:48 | スピリチュアルコラム
≪若冲という人≫
私は大学時代を京都で過ごしました。
鴨川のほとり、北区の下の端に下宿を借り、
学校に通いました。新町校舎に行くときにある寺を
横からつっきると一番近道でした。
相国寺といいます。

お寺のすぐ近くにパンやお菓子の販売店があり、
そこのご主人が優しい人で、ビン牛乳を温めて出して
くれたりしました。

毎日行き来してたので、数百回は通ってます。
時々、時代劇のロケしてて、それを見つけるのも
楽しいことでした。

しかし、有名な画家と縁の深い寺と知ったのは
つい昨年です。
その前、私が昔を懐かしんで京都を訪ねたとき、
当然その販売店のあった場所にも行きました。
そこは跡形もなくなってたのですが、そのとき
相国寺で若冲展してたように記憶してます。
門前をうろうろしてたので警備の人に目を
つけられ、若冲なんて知らん なんで
こんなところで展示会するんや他でやれ と
暴言を思ったことをおぼえています。

昨年から今年にかけて、夜テレビをつけると
若冲特集してて、何者かに見せられてるように
も感じ始めてました。生誕300年であり、
かなり力を入れてイベントしてるので、
頻繁に見れてもとくに不思議でありません。

ただ、有名な絵だけでなく、若冲本人のこと
や相国寺に奉納した絵までも細かく画面で
紹介されてきたところで、
「おやっ、この人ただ絵がうまい変人の
ひきこもり系なだけではなさそうかも」
と思い始めてきました。
虫や小動物を書いた絵を見てると、私と同じよう
にアナハタで交信できてて、そのときの表情を
とらえてるようにも見えてきたのです。

昔、相国寺に出入りした人に
ちょっと興味持ちました。

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自覚の日々2

2016-04-23 01:20:21 | スピリチュアルコラム
≪みなさんは人間について≫
どれだけ興味を持ってますか。
これまで深く考えたことありますか。

私はスピリチャルの道を脱線せずに進んでおれば
必ずとは言いませんがこの問題につきあたり、
悩むだろう、それがないと不自然と思ってます。

・人間が無駄に殺生するのはなぜでしょう
・人間の行動が結局、欲で決まるのはなぜでしょう
・人間が他の動物と協調性が低いのはなぜ
・人間が地球をも滅ぼしかねない物を作ってしまい、
 そのあげくその管理もおそまつで滅裂なのはなぜ
 どうして地球を大事にしないの
・人間が歴史的に見て上のことを考えた結果行ってる
 のはなぜ、単純に頭よくないからなの

これらに加え、地球の他種と比べ、人間がスピリッツ
交流で疎外感を強く感じることは、まず修行を
始めた頃の自分を何度もくじけさせました。
人間ってそもそも地球に愛された存在なのかなと。

人間が、進化論で言うツリーからすんなり派生した
とはどうしても信じ難い気持ちさえ浮かびます。
そうであれば、他種とのコミュニケーションにこれほど
苦労するはずないから。進化の末に当然身につけたで
あろう能力に欠けてるものが目立ちます。

別に皆さんを哲学や生物学の話に引き込みはしません。
世の中のほとんどの人が非科学的とみなすだろうこの点
はそこそこの高みを極めたスピリチュアリストなら
ぶち当たってるはずと私は推測いたしております。
人間という動物の立ち位置を探る行為です。

あの方はどうくぐり抜けたのかな。

※うまく書ききれずすいません。
 後日修正するつもりです。
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自覚の日々1

2016-03-03 01:48:51 | スピリチュアルコラム
≪努めてなんとなく≫
私が知る神様は、人間にはまず関心がありません。
神様が喜ばないことしかしてないからです。

そういうのを横目にみてると、天罰が下るのも当然だな
と身にしみてわかるようになります。霊的に人を見る目
が育つにつれ、向上の可能性が無いこともわかるように
なり人間に全く期待しなくなり、いわゆる時間の無駄で
神様が好む対象にもっぱら関わるようになりました。

最近やっと慣れてきたのは生き物との関わりかた。
本来は神様とのつながりのもとで暮らすもので、なぜ
自分のそばに寄ってくるのか今も全然わかりませんが、
心が通じあってからはお兄さん的にかかわってます。

イメージとしては滋賀県東半分のすべての存在に、
アナハタで心の交流を積んでます。
大きさは大は山から小はウイルスまで。
毎日の挨拶、天気の話、健康かどうかとか。

このところやっと虫のお母さんが自分の子供を全部
ひきつれて自分に見せに来る気持ちが理解できるように
なってきました。

基本「人知れない」。正確に言うと「人だけ知れない」
生活を送ってます。

このあいだ、自分でもびっくりしたのですが、ショッピ
ングセンターで前を歩いてる親子を見て、知らないうち
に、連れてる幼いお子さんの周囲に気で草をビュッと
生やしてました。ディズニー映画の演出のように
ちゃめっけたっぷりに植物たちを動かしてました。

どうやらその子はその草が見えたらしく、
ぎゃっと驚いて、親御さんの足にだきつきつつ、その
足のすきまから花がポンポン咲き出してる気で作った
草を興味深く見てました。

生まれてからあまり時が経ってないとこれが見える
子供も世の中にはいるんだと思いました。
こういういたずらをしたらきまって神様から怒られるの
で普段絶対しないのですが、なにかフィーリングが
合ったのかもしれません。


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自覚前の日々5

2015-10-06 00:44:01 | スピリチュアルコラム
≪うちなる神について≫
先日、実家で園芸作業をする機会がありました。
ブルーベリーが茂りすぎたので、剪定をしたのです。
直径50センチほどの果樹用鉢に植えるまで大きくなっており、
夢中になって剪定してると、その鉢にやもりが現れました。
昼間、それも人間がわさわさ作業してる最中にでてくるなんて
そうないことです。

爬虫類のほうから近づかれる経験はカエルが最初でしたが、
近頃はアパートの窓にやもりを見かけます。これまでと異なり、
すぐ逃げたりせず、見つめあったりします。

一方、虫との関係は相当深まってます。

蚊に刺されなくなったと以前報告しました。
刺されなくなった代わりにじやれつかれることが続いてます。
アパートの中に長くいると乾燥して死んでしまうので、
探し回ったりするのですが、見つからないことがあります。
そのうちに蚊のほうから手に止まって、出してくれとせがみます。
手を動かさずに玄関に移動し、外で息をふきかけて離します。

蚊も大胆なものから恥ずかしがりなものと性格があるようで
恥ずかしがりな蚊は出て来い出て来いと言いながら探します。

そうなった原因は不明でした。が、そんな交流するなかで、
台風のときは「安全な場所でやり過ごして」とか、大雨のときは
「溺れないよう注意して」とか、冷え込むときは「少しでも
暖かい場所で耐えて」とか一帯にアナハタで発信するほか、
朝昼晩で気づいたときにアナハタを介しあいさつをするよう
になりました。

数日前、久しぶりにラムサ聖なる予言を読み返しました。
漠然とした説明が多く、ピンとこない部分が多い本ですが、
客観的に現状を見つめることができ、次の仮説を得ました。

爬虫類、虫、犬、猫、鳥たち、見えない存在の自分への
風がわりな接触は、自分のなかに発現した神性による。
しかし私はまだそれを実感できずにいる。

自分自身のなかに神を見ること、そしてその神自身になることが
彼(釈迦)が体得しなければならなかったこと
というラムサによる説明があります。

お釈迦さまと私は格が違いすぎますが、自分なりに霊長の努め
を果たせたら。そう思います。

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自覚前の日々4

2015-08-10 00:38:17 | スピリチュアルコラム
≪宇宙戦争?の話≫
前回が重い話だったので、現実からはなれて
想像が膨らむ話をします。

前章のおわりに、虫との関係が一段進んだと書きました。
昨年12月、会社から帰ったとき、アパート入口のコンクリート段に
部屋のほうを向いたこおろぎがいました。見ると片足です。
それでも踏ん張って立ってました。数秒考えてこう言いました。
「代表でお別れのあいさつにきたのかい」
すると少し離れた場所から、同じくとうに死んでておかしくない
バッタがリーンと鳴きました。
こおろぎは実にかたくななほど律儀な虫です。

虫について少し前、夢想することがよくありました。
その舞台はなんと 宇宙戦争 でした。

虫たちは普段はミニマムサイズで惑星の守護を努めてますが、
宇宙から侵略されたときは本来の大きさに戻り戦います。

宇宙戦闘の主役は黄金虫たち。光速に近い速さで飛び、身体ごと相手に
ぶつかります。光速だと目で見て飛ぶことは不可能。心の目で
飛びます。ぶつかっていかに粉々になって死ぬかに武士道的な
こだわりを持ちます。

ハチはいろんな場面に応じて変身します。地上用、成層圏用、宇宙用と
まゆの時に言われた場面で使い分けます。

くもはあっというまに地球をくもの巣で覆い、防衛線をはります。

蚊は地上を超音速で飛び進路のあらゆるものを竜巻にまきこみます。

戦闘で死んだ虫の魂はただちに味方の陣地に戻り、用意された卵に
はいり、脅威的なペースで育ち、再び前線に向かいます。
前線で戦うか、後方支援にまわるかは虫の種類で決まります。
ここまで書くとわかると思います。そう、最初から戦闘を
想定してDNA設計されてます。

虫のことに詳しい人ならば、身体が半分にちぎれてもけっこう
長い間生きてることをご存知でしょう。

本格的な戦闘形態に変身すると、身体の一部が欠けても相当な
年月生きれるため、負傷イコール戦闘離脱となります。
脱落が増えると敗戦につながりかねません。

それを解決する手段は、すべての虫の行動を把握し、
虫の命を自由に操れる者が指揮すること。
負傷して戦闘から脱落したり、敵につかまった場合、その者が遠く
から死を与え、魂を身体から開放し自由にします。

こうすることで、負傷による脱落者がいなくなるだけでなく、
前線で死に、魂で帰ってくる虫と、これから前線に向かう虫が
情報交流し、効率良く戦闘展開できます。

その指揮者は生き物の生死をコントロールできるので
神、もしくは神の力を授かった者です。

将軍と呼ばれるその指揮者は、虫たちから絶大な信頼を寄せられた
存在で、将軍のもとでは虫はまさに命を投げ打って闘い、
宇宙に敵無しの軍隊として恐れられています。


最初にきっかけとなる夢を見、そこから想像がどんどん膨らみました。
たまにこういうこと想像するのも面白く、楽しいですね。
昔、小説にしようとしましたが、あまりにもSFの枠から飛び出てて
あきらめました。
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自覚前の日々3

2015-08-09 12:31:13 | スピリチュアルコラム
≪加賀藩処刑場のこと≫
この題で、実家のある金沢の話題を紹介するのは変ですが
鎮魂の時期であるのと、自分の人生に大きな影響を与え続け
てるため、このタイミングで書き留めることにしました。

私の実家は、金沢の観光対象にもなってる浅野川の下流、
土手から100メートルも離れてない所にあります。
その土手ですが、どうも江戸時代は人があまり近づかない
場所だったようです。子供のころは土手に地蔵堂があり、
6つの地蔵が並んでて、いかにもなにかあった場所と思わせ
る雰囲気がありました。
しかし、その地蔵は近所の寺に移設され、長らく放置された
ままの土手も近年になって犀川のように整備が進み、今や
散歩やランニングにいそしむ市民が集まる明るい場所に変わ
りました。

そういう歴史は、思い起こせば自分が生まれたときから影響
を与えてきてます。子供のとき、昼寝してて、しんどいなと
思って起き上がると、上に黒いかたまりのようなものが乗っ
てたり、夜寝てると、ふとんを押されたり、ひっぱがされそ
うになったりとまるでエクソシストのような体験が続きまし
た。
子供なので今のような正しい霊の知識も持たず、おばけと考
え、どうやって対抗すればいいのか変な対抗意識を持ったこ
とを覚えてます。

明確な記録は探せないが、恐らく処刑場のような場所だった
かもと知ったのは大人になってから。
改めて土手を見渡すと、おとなしい霊もいますが、一部しゃ
れにならないほどの怨霊群がいました。どれだけひどい目に
あえばこれほどの執着をもつ存在になるのか、深く考えさせ
られるほどです。
外様の筆頭大名でしたので、徳川に目をつけられないよう
体裁を保つため、理不尽な処刑も数多くあったでしょう。

滋賀の日々2で スピリチャルウイズダム を紹介しました。

霊との交流で相手が何をしたくて接触してきたのか、当時は
わからず何年もたってから、その時の気の流れを思い出し、
牛が食べ物を胃で反すうするように繰り返し考えたりします。
子供のときの体験を反すうすると、自分たちの存在を知って
ほしい気持ちもあったのかなと思いました。命をとりたけれ
ばたちどころに殺せてますから。

浅野川のこの土手は子供のときからの遊び場です。
ふなやなまずを追っかけたり、石の下にいるかにをつかまえ
たり、とにかく駆けずり回ってました。
あくまで想像ですが、そのさいに大きな怪我なくこれたのは、
霊のみなさんに見守られてたのかもしれません。

今は、実家に帰ったときは土手のえのきの大木に向いて 
ただいま帰りました と言い、滋賀に行くときは またしば
らく離れます とあいさつしてます。
土手にある一番大きなえのきの大木にはひときわ強烈な怨霊
群が宿られているからです。不思議なことに、最近この大木
が地獄に現れた菩薩のように見えてきました。

もはや鎮めることもかなわずもはやたたりマシーン化してま
す。近くを開発するだけでたたられるので、そのまわりだけ
昔のままで手をつけられなかったようですが、新幹線が通り、
そこも開発が進むような兆しがあります。
いったいどこの業者がそんな恐ろしい仕事を引き受けるのか。
一族がほろぶ可能性あるかも。
自分は霊に対し、ひどいめにあってやっとこの大木に宿って
安住してるのに、そこを追い出す心無い行為に対しては
全力で立ち向かわれてかまいません。と言ってます。

町内では年に一度の地蔵盆が催されます。
私は怨霊を助ける力はありませんし、表面だけの祈りを
することもしません。ただ、もはや自分にとって昔からの
ご近所さんである怨霊の方々のことが心配なのです。
金沢市に対して、この土手の歴史に
見合った整備をし、霊の安住の地にしてほしいです。

※霊感のある方ほど影響を受けかねないので、具体的な場所
 はふせます。しゃれにならないので、念を飛ばして想像す
 ることは絶対しないでください。
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自覚前の日々2

2015-08-02 00:29:01 | スピリチュアルコラム
≪予期せぬ節目となった高野山参り≫
先日、高野山案内犬ゴンの追悼コンサートが開かれました。その様子は
行かれた方のブログなどで見させていただいております。お山に行く
予定はまったくありませんが、同じく先日、ぶっちゃけ寺というテレビ
番組で特別に奥の院の撮影が許され、初めて空海さんがどのあたりに
いるのか具体的な説明つきで紹介される様子を見ながら、ゴンは本当に
正確に案内してたなと改めて関心しました。
お坊様は空海さんのおられる位置をあからさまに指さして説明するなど
恐れおおくて絶対しないでしょうし。2度とない機会でした。

そもそも高野山訪問は私にとって予定外の出来事でした。

昔、新潟から移り住んで能登で百姓を始めた先祖を持つことを知り、
それが越後長尾氏だとわかったとき、祖先を調べてみたい気持ちが
起きました。望んで百姓になったわけではなかったでしょうし
ある意味、先祖供養をしたかったのです。

新潟の上越で長尾氏と関わりのある建物や場所はご存知のとおり
けっこうな観光スポット。上越市の各史跡は観光向けに整備されて
おり、歴史や戦国武将マニアは満足するでしょうが、そこで
先祖調べを行うことは困難でした。

そこで、長尾氏が越後に移る前、坂東八平氏として住んでた場所を調
べてみることとし、神奈川県立図書館に行きました。しかし図書館
で半日調べてもこれといった資料は見つかりません。
あきらめて、前にネットで紹介されてた 長尾神社 のある場所に
いちかばちか行くこととしました。
果たして、到着したところ、確かに長尾氏が住んでた場所とわかり、
土地勘も無かったのに、その裏の長尾城跡という史跡も見つけました。
見たところ、竹におおわれた小山なのですが、私はそこに立って
驚きました。小山いっぱいに人がいて私によくきたと感謝したり、
これからも応援するぞと、歓声に近いものを浴びてる感じがした
からです。
これは上越のゆかりの場所を訪問してた際には出会わなかったもの
で、長尾神社から城跡まで誘導された感じもあって本当にびっくり
したのです。

私もそれほど暇をもてあましておらず、へたな探偵のまねごと
はしんどいしこれっきりにしようと思ってましたが、長尾城跡の
皆さんになかば励まされるかたちで、残るゆかりの地、山形県
米沢市行きを決心しました。

米沢の長尾家ゆかりの史跡、謙信公がまつられてる上杉神社、家臣
だったみなさんのお墓をめぐりました。長尾の戦国大名としての
歴史の最後の部分、関が原の後の運命を駆け足ながら自分の目で見て
めぐれて充足したし、なにより、上杉家墓所でこれまでのことを
報告できてうれしかったです。

上越、米沢、そして坂東八平氏時代にいた場所まで巡り、供養の
旅は完了しました。
もう行くべきところはないだろうと思ったとき、謙信公が激闘の
合間をぬってわざわざ訪れた高野山というなんか変な寺。

そこにはなぜだか謙信公の墓もあるらしい。密教に興味あるし、
先祖の墓参りを目的とした以上これは行っておくべきという
気持ちが固まり訪問しました。

結局、最初の訪問が夕刻の到着ですぐに日が暮れてしまい、
暗闇でなにもわからなり、奥の院をめぐることしかできず、
次の訪問でやっと謙信公の墓に参拝できたのです。

あの墓は木造で変わってますが、米沢の上杉家墓所を知る人には
違和感ありません。

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自覚前の日々1

2015-07-26 11:31:17 | スピリチュアルコラム
≪スピリチャルの海を進むには知恵の芽生えが必要≫
この説明をしきるだけの筆の力が私には無いし、知恵が芽生えかけてない、
または知恵の芽生えに縁の無い層は世話しにくく、どれだけ努力して
書き上げてもわかりあえない結果にしかならないと思ってました。
相変わらず人間には期待してませんが、ひょんな気持ちが起こったのでしょう。
公開後も手直しが続くと思いますが
興味が沸いた方だけ読んでいただければ幸いです。


スピリチャルの海を迷わず、正確な方角に進むには第6感も動員した現状把握
と分析、まわりとのコミュニケーション、仮説設定と検証を繰り返す十分な力
が欠かせません。この力が意外と一番肝心で最も苦労するところです。

SF小説やドラマの脚本家はそもそもそんなこと知りませんから、予知夢を見たり、
導師が現れたり、進むべき道を書いた古文書を発見したりして、その過程を
端折ったり、すっとばしたりします。

これを仮に スピリチャルウイズダム と名づけましょう。

Wikipediaで 知恵 を調べると、筋道を立て、計画し、正しく処理していく能力
とあります。この知恵は、別にスピリチャルと無縁な実生活でも必要な力です。

【今の社会は知恵より効率が重視される】

単に情報をたくさん持ってるだけでは 知恵 にはなってません。

しかし、皆さんもご存知のとおり、日本に生まれ、小中高と教育を受けた場合、
そのあいだずっと詰め込み教育がされます。記憶するのみです。
受験はどの程度詰め込んだ情報を記憶できてるかが検証されます。

このように、日本の教育には知恵を習得するノウハウや訓練教育はありません。
教えられる教員もいません。

さて、そんな義務教育を受けた若者が高校や大学を卒業し社会に出たのちは
どう行動するでしょう。

もし理系なら研究開発につく人もいるかと思います。
さすがに知恵がないと困ると想像しがちですが、現場はけっこう 知恵もどき 
が占めてます。すべてを検証せず、思い込みで選んだ上位候補で始めます。

確たる裏づけないがたぶんこの3つのなかに、効果や原因となるものがあるに違いない
との半ば思い込みでぎゅっと選択を狭め、効率化してることがけっこうあります。

これがデスクワークになると、もはや混乱の極みです。
会社勤めして長いですが、平成という時代になり、仕事で道に迷ってる、もしくは、
迷子になってるのにそれすらもに気づけない人が目立つと感じてます。

業務説明では、説明で話された手順だけを集中して覚えます。
業務目的と自分の作業のつながりは、説明されない限り関心を持ちません。
結果として、単にまねるだけなので、仕事の出来は自分ではわかりません。
わからないから、そんな検証をする発想すらおきません。
そんなだと、いくら正社員でも昨日配属された派遣の方と変わらない、
あるいは、派遣の方のほうが必死に周囲を見渡して作業するので、
連携の様がわかり、仕事ができたりします。

仕事の流れを熟知してる者からふいに指摘されるとフリーズしたり、逆切れしたり、
おしだまったり、退散したりします。
そういう人たちに多いのが、社内規定や要領を読んだことが無いこと。
規定や要領が存在してることも知らないというツワモノもいます。

ついでにいうと、規定や要領がどこに保管されてるかもわかってないことが多い。
こういう人は仕事に限らずあらゆることにつまずきます。

 (少し脱線しますが)
 自部門および関連部門の規定や要領は、業務知識のバイブルで、それを読む
 ことで、業務目的にかなったより良い成果が期待できるという思想が、
 最近の会社では急速に希薄化してきてるように感じます。
 少し前はISO14001ブームで、仕事を規定や要領に整理してまとめ標準化する
 ことに熱心だった時代がありました。今は新しい連携作業を設けようとしたら、
 関連部門と打合せし、それを関係者しか知らない議事録で記録しがち。
 これだと関係者しか知りえず、たまたま関わった人は混乱します。
 既存規定や要領の存在理由が忘れられ、有効のまま陳腐化するというおかしな
 ことがあちこちの会社で起こりつつあるのかもしれません。

【知恵って必要かな】

散々な書き方してますが、いったいなぜなんだろうと少し考えてみました。

そうなる人は成人するまでに、情報の波にもまれ、それを検証し、そこにある種の
法則を発見し、他でも応用が効く「知恵」に昇華させる練習をしてこなかったのか
もと思いました。

上にあげた知恵をよりわかりやすく具体的に書くと、何をどうすれば正しいのか
仕事の目的と照らし都度軌道修正できる能力 となります。

自分が求める答えにたどり着くためにどこまで手を広げて情報に目を通すべきか
この技はまさしく人生を生きる秘訣と呼べます。経験や技量に裏づけされるため、
その人なりの方法があり簡単に教わって人まねはできません。

ここでは 義務教育 を一因にとりあげましたが、最近の子供は知恵を育む
ような 遊び もしなくなってるのだろうと思います。
昔の子供は、まわりにあるものから遊び方をよく創造しました。

手元に集めた大量の情報を検証し知恵に昇華させるスキルを育んでない人は、
恐らく5つくらいの解決手段が手元に集まったら、既にストレスを感じ始める
でしょう。5つのなかから感で一番を選びますが、それが正解かは、上司やお客さんの
目の色を伺い判別するという切り抜け方をとります。
もしこれが50や100もの数だったりすると感ではどうにもならず、無能の
レッテルも貼られたくないのでそういうシチュエーションは避けます。

【メディアは読者をよくわかってる】

身近に相談できる人がいなければ、最近の人はネットに頼ります。
よく、○○するための5つの秘訣 とか米国メディアがニュースにします。
人に頼らずちゃんと生きてれば、対象はそんな単純ではないのでたった5つに
収まる訳がない。ただの釣り記事だとわかりますが、
大多数の読者はこの手の記事にひかれわりと一喜一憂しつつ読みます。

これか ○○するための50の秘訣 または100の秘訣 だったらどうでしょう。
奇をてらう記述は消え、記事は真実に近づきますが、大多数は秘訣は5個でたくさん
と非難するでしょう。50個や100個から自分で選ぶことはしませんから。

誤解を恐れず書くと、多くの人は真実よりも面白記事を好む。
自分で選択しないので失敗する経験はしないが、なにが真実かは曖昧にしがち。

スピリチャルはどうかというと、自分で自分に関係する対象を5感、時には6感で
把握し考えてどうしたらいいのか検討し取捨選択することの連続です。
よく 直感で といいますが、もしあるとしたら、ちゃんと考えられないのに
はがゆくなり業を煮やした高位霊や守護霊などから これだろ とメッセージを
受けたときかと思います。
けっこう日数かけてああでもないこうでもないと考えます。

守護霊はとりつく人のレベルに比例します。多くの守護霊はとりついた人と
どうやって交信したらいいのかもわからず、途方にくれてることが多いです。
そういう状況を打開するのに スピリチャルウイズダム は必要です。

今これを読んでる方のうしろで、うなずいてくれてるでしょうか。

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木之本のカエル様

2015-06-10 00:57:53 | スピリチュアルコラム
今、滋賀県東近江市の八日市側に住んでます。

年明けにどこか初詣に行こうと思い、選んだのが多賀大社でした。
しかし、実際に行ってみて自分の心をとらえたのは大社ではなく大きめの
お地蔵さまのお堂でした。昔から地蔵さまが好きです。

しばらくしてそれが木之本地蔵院から招いたものと知りました。
木之本は帰省の際よく通りますが、道が細く、駐車スペースも少なく
、今までお参りしたことありませんでした。

多賀町なら20分で行けるし、彦根方面へ行った際は寄るようにしました。

そんなある年の梅雨、ふとサッシを開けて下を眺めると、アスファルトの
すきまから雑草が1本生えてました。乾燥しやすい駐車スペースに生えてて、
根性だなと思い、顔を近づけてさらに見たら、葉にアマガエルが10匹近く
つかまってるのに気づきびっくりしました。
なにか異常な現象に映ったのでした。

なぜか自室だけカエルに襲われるとおたおたしてるうちに、
管理の人がアパートまわりの雑草掃除にきててその草も抜かれました。

カエルどうなったか心配になり、周囲を探すと、あちこちにいました。
飼うこともできないし、近くの庭に放しました。ほっとしました。

その後、しばらくしてカエル2匹が玄関先に戻り定住しました。
1匹はエアコン室外機の上、もう一匹は雨どいの下。
その2匹を探してあいさつするのが習慣となりました。

しばらくして木之本地蔵にはカエル伝説があることを偶然知りました。
目が不自由な人の症状を肩代わりするというものでした。
かくいう私はそのころ、網膜の血管が一部破れて治療中の身。
なおるかとても不安な日々をすごしてました。

伝説を知った時は、網膜の腫れがおさまり治療が一段落してました。

強引に結びつける気持ちはありませんが、今やご近所となった
カエルさんたちには感謝の気持ちでいっぱいです。
先日、木之本地蔵院にお礼に行きました。
お堂の中も外もカエルでいっぱいでした。

追記

地蔵院で求めたカエルの置物を実家に持ち帰り、一連の話をして
滋賀に戻りました。数日後、実家に電話すると、玄関にカエルが
現れたとのこと。玄関の中の鉢植えに突然現れました。
玄関は交通の激しい道路に面しており、
カエルがきたことなどかつてありません。
相当不思議な事が起こったように受け取ってます。
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前後不覚の日々14

2015-01-31 23:37:45 | スピリチュアルコラム
≪この章まとめ≫

①長生きできる才能の意味

「短命な人への助言」がけっこうなアクセスを集めてます。
でも以前紹介したように、この記事は私のそばにいる高位霊の意向を
反映させただけで、自分の作文ではありません。

神々に自分の存在を気にかけてもらうほどの第6感を持つには、
少なくとも5感をかなり研ぎ澄ませてないと無理だが、長生きする
才能はそれとほぼ等しいということを、さりげなく隠して
仕上げるのに苦労しました。
長生きして自分の力を示してみろというある意味、警告に近いのです
が、露骨に挑発的に書くと、こいつはバカかと思われて読んでもらえ
ませんので、私なりに工夫してソフトに書きました。
でも嫌々書いたので達成感はありませんでした。

それは私も人間にほぼ期待できないという高位霊の見かたに共感
してるから。

私は生まれてからずっと人間を魂で見てます。
いくらうそや化粧で飾りたてても自分には通用しません。

自分の心に正直に生きてる人、多少スピリチャルに目覚め趣味で
首つっこみはじめてる人を見てうれしさは感じますが
期待を持てたことはありません。
私と話するレベルに到達するのに何年かかるか想像できないと
わかった瞬間、私が一般の人間に合わせます。

外国の旅番組を見てて、歩道を歩く欧州人のなかに聖者の絵にある
ような真ん丸の後光を背負ってる人が見えてすごく驚きました。
いくらなんでも想像のたまものと思ってた後光が本当に実在するとは。
私は渋谷のような人ごみを聖人が歩いてたらわかるのかもしれません。

そんな私の目から見て
地球の将来を考えた場合、人間には期待できないとしか思えないのです。

私にはたぶんわりと高位な霊がそばにいます。
生活するうえでいろんな場所に出かけますが、その霊が自分の目を
通して世の中を見てると感じる瞬間があります。
プローブとして使ってかまいませんと伝えてあり、合意の上ですが
人とは思えない厳しい視線をひしひしと感じます。
ふざけた感じが一切なく重苦しいです。

②神様、仏様とは

私の理解では神様はこの地球上で自らが分担した地域を守ってる方です。
侵略されれば戦って撃退します。地域を霊的に治めてます。

人間は神様の所業の助けになりませんし助けようとしてもいません。
何をしてるかわかろうともせず、ただただ自分の現世利益を要求する人
が多いが、なかには一心不乱に祈る者もいます。
そういう人は自分は知らないうちに加護を受けます。

そんな神様方も仏様は理解しがたいところがあります。
どう考えても助けられないし、助けが必要とも自覚してない人間を
すべて助けると約束し、永劫に近い時間それを実現するために
努力してる仏は、神様から見ても理解を超えてます。

仏教は古臭いと避けられがちですが、そんな仏様と縁を持ちたいと
願うことは決して無駄ではありません。ほとんどの方は
恐らく人間の姿を想像されるでしょうがそれでかまいません。


③これからの話

何度も書いて大変恐縮ですが、私は人間にはなにも期待してません。
ついでに言うと、自分にも期待してません。
自分の力でなにか成し遂げれるとは思えないからです。

そのあきらめは生活態度をひくめました。
そんなある日、パソコンを操作してた時、すぐ横に人型が現れました。
突然のおでましかと思った瞬間、その人型が形はそのままで、
溶岩のかたまりと化し膨大な熱をまわりに発しはじめました。
私はいすに座ったままの形で横っとびしました。
人型はすぐ消え、部屋は何もなかったようにもどりました。

顔半分が熱でほてりながら、これは人霊にはできないこと、
神の怒りをくらったと思い、すぐ四方に向かい謝りました。
「危ないでしょうが」と怒りたかったのですが、長く肉体を持た
ない存在なのに、私にお灸をすえる絶妙の加減にびびり
何もいえなくなりました。

それからほどなく、虫を前に涙してる自分の夢を見ました。
頭がとうとうおかしくなったのかと思いました。

私と虫たちの関係が次の段階に進んだと以前書きました。
最近は蚊に刺されなくなりました。刺されないかわりにじゃれついて
きます。部屋は乾燥するので虫とり網ですくって外にはなします。
網ですくえるほどおとなしく飛ぶ蚊は珍しいと思います。
家庭菜園ではバッタだけでなく蚊もじゃれてくるので、土といっしよ
に埋めてしまわないように注意も必要で大変です。

アパートの窓にはバッタやかなぶんやだんごむしなど代わる代わる
訪れます。だいたい3泊ほどして帰ります。来たくて来てます。
その証拠に私が近づくと喜びますし、近づくほど大きく鳴きます。

この交流でチャクラへのアクセスも増して知らぬうちに開発が
進んでる気がします。ヴィシュダーも以前より動くような気が
したので、のどに近いから、鳴く動物と交信するまねごとを
してたら、私のアパートの窓だけなぜか10匹もあまがえるが
来てびっくり。かえるとのつきあいも始まりました。

そんななか、最近、金属を前に涙してる夢を見ました。
非生物はさすがにない。ついに発狂したと思いました。
ですが、空海上人も地脈を対象になにかをされてたようなので
これは全く無しではなく有りかも。
でもなにかあってもさすがにブログには書けません。

最近、頭に浮かぶ言葉があります。それは
  True Language
です。人間が使う言語は自分の考えを完全に表現し伝えることは
不可能ですが、魂と魂が直接交信できるなら、それは真の言語に
なるでしょう。
残りの人生のキーワードになると感じてます。



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