金沢発 あれやこれや

-ヒントをくれる存在に感謝しつつ物語をすすめます-

前後不覚の日々 4

2011-11-17 00:12:32 | スピリチュアルコラム
<<霊とのつきあい>>

以下は幽霊が全くダメな方は遠慮されてください。また、公的に
証明された、もしくは裏づけのある話ではなく私見が多分に占め
ております。そのようにお受けとりください。

2で気を練る訓練をしたと紹介しました。生来心身が強いほう
ではなく霊にとりつかれにくくすることも目的のひとつです。

いじめられた分、気が済むまで仕返ししたらそれで万事めでたく
収まるものではなく、むこうもどうしようもない事情からなので
、自分に乗ってきた霊が救われて正しい道にふたたび歩き出すよ
うにしてあげる他に解決はない。そう思い実際に感じています。

≪憑依霊への対処≫
霊につかれると背中の肩甲骨のあたりにくいでも刺さっている
ような感覚がします。そこから宿っているのでしょうか。
始終つっぱってけっこうしんどいです。体調にも影響します。
この状態でけんかしても自分を痛めつけてるのと同様です。

どこの誰か知りませんが、縁あって私に乗っかってきたあなた
の苦しみや迷いが減り再び輪廻の道を正しく進まれますようにと
祈ります。お願いする相手は阿弥陀仏だったり、地蔵さまだった
り、特に決めてません。
祈り続けた後、いつのまにか昇華していかれたと記憶してます。
自分の経験した最大の愛で祈り送り出してあげる。そうすると
やがて祈りが届き大いなる存在が補助してくれます。
たとえ親のかたきであっても分け隔てなく救われるよう祈れる
境地を目指せと言いますが簡単ではないです。あと少しのところ
まで至ればどこからか補助の手が伸びるそんな感じです。

再び憑依されないためには、怪しい場所や不特定多数が多く
集まる場所はなるべく行かない。しかし大型の乗り物に乗る時や
職場や学校など、避けるのが難しい場面があります。

不特定多数の集まる場所で、そろりそろりと肩ぐちから嫌な空気
とともに 憑依霊 が乗しかかってきたらどうするか。
興奮のあまり「汚らわしき霊め!」とか「俺に憑依するとは3年
早いわ」と叫ぼうものなら、なんだか頭のネジがおかしい奴が
そばにいるぞと集団で白い目で見られます、口は閉じたまま
そそくさとその場を去るのがベターです。

ただ、どうしても動きにくい、または動けない場面もあります。
劇場やホール、映画館で鑑賞中もしくは列車指定席に座っている
時などです。あなただったらどうしますか?
私は気の修練で、空中にイメージ文字を作る練習をしました。
文字を空中に電光掲示板のように漂わせ、メッセージを流して
伝え、霊に警告するのです。
これだと周囲に気づかれず警告することができます。
だいたいこれで去っていきます。警告文はご想像ください。

若かりし時は職場で近くの席の人に憑依した霊がわずらわしか
ったのでこらしめてやろうとけんか仕掛けイメージ攻撃したこと
ありますが、ほんとうに若気のいたりで、互いに消耗するだけで
何の解決にもならなかったのを覚えています。

以上が憑依霊対策です。もうひとつ心がけている事があります。
霊とのつきあいでは視点を決して合わさず気づいてる気配も
悟らせないようにしてます。ほとんどの霊は自分の姿を見る
ことのできる人間などいないと思ってますから、人間から目で
追われた時の恐怖は相当なものだと想像しております。
頭も身体の向きも動かさず気配だけ追うようにします。

霊は執着心にひきづられてる事が多いので、当然ですが
あからさまな欲をただよわせていると自ら引き寄せます。
欲を人前で出すことに躊躇のなくなった今の世では難しいかも
しれませんが思い浮かべるのもほどほどに。

≪近づいてくる霊への対処≫
憑依霊はどよんとしてて離れると気配がつかめなくなりますが
昔、会社に休日出勤した時に遠くから駆けるようなスピードで
接近された経験があります。悪い雰囲気は感じませんでしたが
とにかくその移動速度に驚き、万一に備え猫だまし程度の気を
手中に隠して備えたところ、自分がパソコンで仕事してる様子
を見学しだしました。大部屋に私ひとり仕事してたのです。
ふとした拍子にその霊のほうを向いたら、驚いたのか顔正面の
残像を空中に残して後方にふっ飛んで逃げていきました。その
残像のびっくりした表情を今でも憶えています。
たとえにこやかに微笑かけたとしてもむこうには背筋が凍る
ような恐怖になります。天狗のような素早い霊でしたが、
気づかないふりをするのも時には大切と学びました。

≪絶対絶命の場面への対処≫
これまでの人生のなかで、圧倒的なパワーをもった霊体に接近
された経験があります。この手の霊はワープでもするのか
気づいたらすぐ隣にいます。今のようにパソコンをしてた時、
ふと気づいたら横に空恐ろしいほど霊圧に満ちた霊がきてまし
た。
深い憂いを抱えてるようで何か言いたげな風もあったのですが、
とにかくすごい霊圧で一瞬でたやすく首をひねられそうで、
もう怖くて怖くてたまりませんでした。もうここは覚悟して
アホのふりしてやりすごそうと決め、
「どんな悩みを抱えた方か知りませんがあなたが苦しみ
が解決され次の段階を歩まれるよう私もお祈りいたします」
とぶつぶつ言い続けてたらそのうち去っていきました。

到底かないそうにない相手には死んだふりならぬアホのふり作戦
をとります。
その霊は腰まわりにきらりと光るものがいくつか見え刀で何度も
切られて死んだ侍かと思ってましたが、とにかく圧倒的な霊圧だ
ったので本当に人間霊だったのか疑いさえおきました。
しばらくしてテレビで諏訪大明神の儀式で神木にかまを打ち付け
る不思議な風習があるのを見てこれに雰囲気似てると感じ以後
関心を持ってます。諏訪明神であられる建御名方神はその昔、
大国主命が糸魚川の姫神と結び生まれた神様なのですが、能登に
その諏訪様を祭った神社があり、神木もあると聞いてます。

ここまで読んだ方はものすごくはっきりと霊が見える人のように
思われるかもしれませんが、自分は気配がようやくわかるだけで
実体はほとんど見えてません。
むしろ見えないよう制限されてると思ってます。はっきり見えた
が最後、恐らく力量もないのに個別に身の上をかまい出してしま
い収拾がつかなくなるだろうと自分予想するからです。
でも祖母の葬式で祖母が死んだのち私のアナハタに力の限りすが
った時はなんかできるようになりたいと思いました。

そんな殊勝な事を書いてますが、決心は長く続かず、俗に埋もれ
がちです。いつも 私とともにいます方 にいさめられてばかり
です。霊視のきく方はその場面を見てお笑いください。
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前後不覚の日々 3

2011-11-12 01:18:21 | スピリチュアルコラム
<地球バンジー>

高位の存在から直接パワー注入されるというあまりにも劇的な
事件があったにもかかわらず、私自身は時々アジナーチャクラ
の箇所がこれまでより多少強くつっぱる事が増えた程度でほぼ
変わらない日々を過ごしました。

確実に変わったのは 私とともにいます方 の他にも自分に
働きかける奇特な存在がいて、恐らく心情から行動まで完全に
把握されてること。窮屈と思えなくもないがそういう加護の下
に今いるという不思議な気持ちを感じるようになったこと。

気を練る訓練は時々思いついた日に寝る30分前にする程度で
したがこつこつ続けました。初心者の悪いくせで、自分の作っ
た気のかたまりをとんでもなく膨らませてみたいとか、能力の
限界をためしたい気持ちがわきましたが、そんなに成長できる
はずもなくまもなく飽きてきました。
好んでしたのが気のやりとり、水やり時の植物への声かけから
いろんな静物や植物と気のふれあいをし、果ては山や湖のよう
な大きな存在と気のやりとりを試みたりしました。(小動物は
心が変動しやすく危険であり気の交流は避けました)

私自身、なぜかわかりませんが迷った時は基本的に釈尊の歩み
を参考にしています。

地位・名誉を捨て、相当な修行を積み、修行者仲間でも一目おか
れていた釈尊ですが揺れ動く心を抑えられず、ついには山を降り
ます。疲弊していて、乳がゆを分けてもらって飲んだのを見つか
り世俗に下ったと軽蔑されました。その後、釈尊が菩提樹の下で
大覚を得るまでは動かないと言い決意の禅を組みます。
私がその心境をわかるはずもありませんが、悪魔が邪魔しようと
誘惑するのにも負けず覚りを得たと書く伝記はどうしても信じら
れませんでした。
自力にどっぶりつかった修行で答えを得られず絶望し今後の方向
性もみいだせない状態でいったい何の光を求めて座ったのか想像
してみるに、そこでまた自分にしがみつき自力の座禅を展開して
もしかたない。そこでは自分のエゴというよろいを脱いで初めて
この世界の創造者、管理者と呼ばれる今まで想像のたまものでし
かなかった存在に身を預けたのではないかと想像しました。

丁度スピリチャル系の本で肉体から抜け出し風のように好きな
場所を駆け抜ける体験を読んだ頃で、地球に身を預ける境地は
さすがに無理だが、なにかの拍子に肉体分離して風になって
みたいと考え、忍者の木の葉がくれのように自分とまわり
の一体化、イメージ的には透明人間を目指し、忍忍と励みました。
小難しい事書きましたが、要するに森林公園で寝転んで自然を
満喫する行為とほぼ同じで、完璧にリラックス主体の業です。
気を練る訓練と違い、自己を消し世界に溶け込むのはストレス
解消につながりもっぱらそれのみするようにもなりました。

そしてその日がやってきました。

これまでいろんなかたちで地球との気の交流を試しましたが、
完全にバンザイして自分の存在そのものを預ける境地には
なかなかなれませんでした。ある日ふっとそれができました。
心の自由落下とでも言うのでしょうか。
その直後すぐに全身をくるみ、ささえられる感覚を感じ、
同時に「こんにちは」という声が聞こえたようでした。
おおっと思って起き上がりかけたとき、今度は四方八方から
「こんにちは」とか「おめでとう」といっせいに言われたように
聞こえました。確かに地球だけでなく自分は膨大な数の星に
囲まれてます。地球に「こんにちは」と言われたあとにまわりの
星々からも祝福されたような感じがしました。(日本語が
飛び交ったのではなくあくまでそんな風のエモーション交流
がありました)

一瞬の出来事でしたが、自分という存在がソーラーシステムに
認識してもらえたのかもと思いました。それ以後は益々自分の
個人的な欲は2の次3の次にしてこうと決めました。

※瞑想の類の業は多少なりとも危険を伴うので遊び感覚でも
 指導者なしに行うことはお避けください。
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