金沢発 あれやこれや

-ヒントをくれる存在に感謝しつつ物語をすすめます-

ビジョンについて

2007-05-27 04:42:39 | スピリチュアルコラム
先のコラムで人の目を見て知恵の程度を層別する感覚があることは
精神世界の入口に立ったことを意味すると申しました。

では、具体的にどんなことが自分の身におきるのか。
紹介しておかねばならないことがあります。それはビジョンの送受信です。

「ビジョン」とは私が仮につけた名称です。魂のあいだで映像の
やりとりをする行為をいいます。音声は無く、映像のみで昔のトーキー
のようですが、その時の感情をのせられます。

「ビジョン」の受発信は正確にいうと最初に述べた感覚の持ち主
でなくてもできます。ただし、その現象を正しくは理解できないでしょう。
例えば、私は交通事故死した知人からビジョンを受け取ったことがあります。
交通事故の情景とともに取り返せない深い後悔の気持ちがきて、
心身ともにショックを受けました。本人はビジョンを送っている
という認識がなくても死んでしまったという強い悲しみの念から
発することがあります。

印象に残っているビジョンは、天安門事件の際に受信したものです。
突然、眼の前に戦車のようにごつい乗り物に轢かれそうになっている
群衆の映像がとびこんできました。いったい何なのか、混乱した私は
夜11時のニュースで中国の天安門広場で騒動が起きたことを知りました。
ああ、この映像だったのか。私はひとり納得し、発信した人が死んで
ないことを祈りました。

ビジョンは受信する側に受信するかどうかの選択はないようです。
受けたとたんに目の機能は遮断され、脳の中で映像の再生が始まります。
そのために不都合も生じます。天安門事件のビジョンは自動車の
運転中に受信したので私は急ブレーキをかけて道端によせねば
なりませんでした。

ビジョンをやりとりしている様子を見る機会はそうありません。
オーラの泉で江原さんが霊と交信している時に視線が定まらず
うつろな様子をされる時があります。もしかしたらビジョンを
受信しているのかもしれません。

ビジョンはくっきりとした映像なので目にゴミがはいったとか
でやり過ごすことはできません。最初に見た時は相当なショック
を受けます。
まわりに頼れる人がいなければ、幻覚を見てしまったと思い
おろおろして心の内にしまいこんでしまうでしょう。
この能力も決して邪魔なものではありません。
どうかくじけずに自己を否定せずに生きてまいりましょう。
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短命な人とどうつきあうか

2007-05-26 00:18:50 | スピリチュアルコラム
短命な人が自然とわかるといいましたが、自分のことを特別だ
とは思っていません。案外存在していると感じています。

オカルトっぽく言われたくないので「そんな感じがする」と表現してますが、
詳しくいうと、相手の目を見て、その人が身体を何年健康に保つ知恵を
備えているかを見ているのです。目は脳と直結した器官です。そのまなざし
で知恵の程度がわかります。

この表現で違和感を生じた人はギブアップされてください。
この感覚世界とは無縁なのです。

大変興味深いことに、すべての動作に寿命へのヒントがあります。
歩き方、いすへの座り方、いすからの立ち方、食べ方、選んだメニュー、
食べるときの姿勢、机へのひじのつき方などです。
それら全てに50代で亡くなる人、60代で亡くなる人、70代まで
生きる人のやり方というものがあります。
私の会社の食堂はセルフなので、食べたあとに自分で食事の残りを水洗い
したあと、食器を洗浄器の大きな槽に入れるのですが、感心するくらいに
動作が寿命別に分かれます。

簡単な動作ですが、すなわち生きるためのひとつの局面です。
人生はその積み重ねで成り立っています。
ある動作だけ70代まで生きる人の知恵を発揮し、その他は50代という
ちぐはぐはないようです。おしなべて同程度の知恵が発揮されてます。

この感覚を共有する人はわかると思いますが、相手が短命だとわかった
場合、同時にそれを回避する手立ての有無までわかってしまいます。

どうやっても助からない場合、以後その人と会うことは寿命が順調に
削れていることを確認するだけとなり、じかに目を見て話せません。
見れば見るほどあと何年なのか詳しい情報が返ってくるからです。
声(言葉)にのっかってくる「気」でさらによくわかります。
その時期を逃すと医者にかかっても手遅れになる、いわゆる
ポイントオブノーリターンが見えてくるのは本当に嫌です。

私は自分の父親が60歳くらいの寿命だということを成人する前に
わかっちゃいました。そのことを父親に言って節制を求めても
「お前はそんな変なことをまわりにいっているのか」といわれ
相手にしてもらえず。終始おかしな人扱いでした。
年金ももらわずに死んでいく父親を前にして、食事の時は暴食し
ないようににらみつけてましたが、かえるの面に小便で全く
健康に配慮せず。墓穴につき進みジエンドを迎えました。

自分も同様な感覚を持っていて、皆と違うので邪魔なだけと思って
いた方、邪魔ではないのですよ。
ただ、感覚を持たない人とはたとえ相手が親や兄弟でも永久に平行線
なので暴言が返ってきても熱くならずに世の中の常識とからめて話す
ことが必要です。

知恵のレベルを層別する感覚を備えていることは、精神世界の入口に
はいれる最低条件と思っています。ただ、あくまで入場許可証であって、
その後どう生きるかは自分にかかっています。
信じられないことでしょうが、そのレベルに達しているのならその事は
自分をとりまく世界からは、人を除き認識されています。
後悔なく過されますように。
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