金沢発 あれやこれや

-ヒントをくれる存在に感謝しつつ物語をすすめます-

自覚前の日々3

2015-08-09 12:31:13 | スピリチュアルコラム
≪加賀藩処刑場のこと≫
この題で、実家のある金沢の話題を紹介するのは変ですが
鎮魂の時期であるのと、自分の人生に大きな影響を与え続け
てるため、このタイミングで書き留めることにしました。

私の実家は、金沢の観光対象にもなってる浅野川の下流、
土手から100メートルも離れてない所にあります。
その土手ですが、どうも江戸時代は人があまり近づかない
場所だったようです。子供のころは土手に地蔵堂があり、
6つの地蔵が並んでて、いかにもなにかあった場所と思わせ
る雰囲気がありました。
しかし、その地蔵は近所の寺に移設され、長らく放置された
ままの土手も近年になって犀川のように整備が進み、今や
散歩やランニングにいそしむ市民が集まる明るい場所に変わ
りました。

そういう歴史は、思い起こせば自分が生まれたときから影響
を与えてきてます。子供のとき、昼寝してて、しんどいなと
思って起き上がると、上に黒いかたまりのようなものが乗っ
てたり、夜寝てると、ふとんを押されたり、ひっぱがされそ
うになったりとまるでエクソシストのような体験が続きまし
た。
子供なので今のような正しい霊の知識も持たず、おばけと考
え、どうやって対抗すればいいのか変な対抗意識を持ったこ
とを覚えてます。

明確な記録は探せないが、恐らく処刑場のような場所だった
かもと知ったのは大人になってから。
改めて土手を見渡すと、おとなしい霊もいますが、一部しゃ
れにならないほどの怨霊群がいました。どれだけひどい目に
あえばこれほどの執着をもつ存在になるのか、深く考えさせ
られるほどです。
外様の筆頭大名でしたので、徳川に目をつけられないよう
体裁を保つため、理不尽な処刑も数多くあったでしょう。

滋賀の日々2で スピリチャルウイズダム を紹介しました。

霊との交流で相手が何をしたくて接触してきたのか、当時は
わからず何年もたってから、その時の気の流れを思い出し、
牛が食べ物を胃で反すうするように繰り返し考えたりします。
子供のときの体験を反すうすると、自分たちの存在を知って
ほしい気持ちもあったのかなと思いました。命をとりたけれ
ばたちどころに殺せてますから。

浅野川のこの土手は子供のときからの遊び場です。
ふなやなまずを追っかけたり、石の下にいるかにをつかまえ
たり、とにかく駆けずり回ってました。
あくまで想像ですが、そのさいに大きな怪我なくこれたのは、
霊のみなさんに見守られてたのかもしれません。

今は、実家に帰ったときは土手のえのきの大木に向いて 
ただいま帰りました と言い、滋賀に行くときは またしば
らく離れます とあいさつしてます。
土手にある一番大きなえのきの大木にはひときわ強烈な怨霊
群が宿られているからです。不思議なことに、最近この大木
が地獄に現れた菩薩のように見えてきました。

もはや鎮めることもかなわずもはやたたりマシーン化してま
す。近くを開発するだけでたたられるので、そのまわりだけ
昔のままで手をつけられなかったようですが、新幹線が通り、
そこも開発が進むような兆しがあります。
いったいどこの業者がそんな恐ろしい仕事を引き受けるのか。
一族がほろぶ可能性あるかも。
自分は霊に対し、ひどいめにあってやっとこの大木に宿って
安住してるのに、そこを追い出す心無い行為に対しては
全力で立ち向かわれてかまいません。と言ってます。

町内では年に一度の地蔵盆が催されます。
私は怨霊を助ける力はありませんし、表面だけの祈りを
することもしません。ただ、もはや自分にとって昔からの
ご近所さんである怨霊の方々のことが心配なのです。
金沢市に対して、この土手の歴史に
見合った整備をし、霊の安住の地にしてほしいです。

※霊感のある方ほど影響を受けかねないので、具体的な場所
 はふせます。しゃれにならないので、念を飛ばして想像す
 ることは絶対しないでください。

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