はやしんばんぱくの、めげてめけめけ、言論の不自由ブログ

全国各地へ飛び回り、めげてめけめけめげまくり、色々書いていましたが、ブログ終わりました。過去を読めばいい!サラバじゃ~!

『Sunny』2巻買う。

2012年03月03日 08時48分40秒 | 漫画・アニメシリーズ
もっのすげー久々に、漫画単行本を発売日当日ねらって買った。
ついこの間、当ブログの記事にも書いた松本大洋『Sunny』第2巻だ。

1巻はといえば、、、買って読まずに(読めずに)ほったらかしていたクセに
2巻は早々購入、早々読むったぁ、これ単純に、ハマったって事だ。

読んでいない友人知人にも、是非読んでもらいたいと思う漫画が
最近はいくつかある。
例えば、ビッグコミックスピリッツ連載中の『あさひなぐ』とか
この『Sunny』とか。。。

読んでどうの、っちゅうまでのことは
つまりは、感じとることってのは、人それぞれの感覚だろうが
その、それぞれの感覚ってやつを
どこからでも確実にえぐるだけの鋭さを持っている漫画であると
この『Sunny』等に対して思うわけだ。
幅広く、面白いのである。

漫画を読むときに、無意識であれ、あれこれと想像をふくらませて読むだろう。
例えば頭ん中で絵に色をつけてみたり、登場人物の声色をつけてみたり
ストーリーの先をよんでみたり、もし実写になったとしたら誰が演じる?とか充て役を付けてみたり。
だから漫画がアニメになったときや、ドラマまたは映画になったときなど
「原作のほうがいい!」という評価を下しがちになる。
ギャップである。自分の中の想像がベストなのだ。

僕も、そんな想像をパンパンにふくらませながら漫画を読む。
この『Sunny』に対してもそうだ。

けれどもこちらの漫画の場合は、また更に1歩2歩と、想像が勝手に一人歩きをしてゆくもので
とっても不思議な感覚にみまわれる。
もう既に、ドラマか何かを観ているような錯覚におちいるのだ。

コマ割、セリフ割、そして描写の裏の描き方、表情などが
まるでおもろい絵コンテと脚本のドッキングバージョンであるかのようで
漫画が既に実写に近いクオリティを発揮し
更にそこから先、こちらの経験に基づく世界とシンクロするようなリアリティまで存在している。
パラパラと、動き出す。
登場人物の表情が活き活きしていて
絵とセリフからサブテキスト(言葉の裏側の気持ち)までもがはっきりと伝わってくる。
『Sunny』の場合、とある施設で懸命に生きる子供たち
そして先ほど書いた『あさひなぐ』の場合は、高校薙刀部で懸命に青春を生きる女の子たちの
その絵面が、モノ言わん事まで話してくれているかのようなのだ。

それは現実そうというわけではなく
漫画が読み手の想像力をそこまで刺激してくれているという事である。
もっていかれる、のである。

決して重っ苦しくない、なにかものすごく巨大なメッセージと説得力を感じる。
作者の、「今」「何を」描きたいのか、描くべきなのか、というものだ。
僕らからすれば、「今」「何が」したいのか
「何を」すべきか、に相当する。

「今」伝えたいことがあるのなら、「何を」伝えるべきなのか
人それぞれ様々あろうかと思う。
読み手のそこの感情を上手い手法で、沸き立たせてくれる。
作者の意図が力強く、でもってクールに表現されている楽しい漫画なのだ。

「自分はこの世で、はたして何ができるのだろうか」
「今までの自分、そして今の自分、で、これからの自分のやるべきこと」
個々のそこんトコロを存分にくすぐってくる漫画のひとつが
「今」僕の場合は『Sunny』だったのである。

第2巻の第1話で
「例え完全に間違いだと分かっていたとしても、それを正しい!と言いきってあげることが
仲間の心にとってどれだけ大きな収穫となるか。
一般が曲論と言えど、その答えは、僕らの間では、正論でいいのだ」
ということを再確認させられた。
過去、僕に欠落していた大きなマイナス部分である。

おもいきり笑えて、おもいきり泣ける、感情をゆさぶる漫画は
この世にたくさんたくさんあるし
これからもたくさん生み出されてゆくだろう。
人が人に、何かを伝えたいと思う感情と、伝わらないもどかしさがある限り。

めけめけ~。

写真。『Sunny』第2巻の限定版はなんとチョロQ付きなのよ~♪


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