はやしんばんぱくの、めげてめけめけ、言論の不自由ブログ

全国各地へ飛び回り、めげてめけめけめげまくり、色々書いていましたが、ブログ終わりました。過去を読めばいい!サラバじゃ~!

おわってた「みどりの星」よむ。

2014年03月29日 09時24分06秒 | 漫画・アニメシリーズ
森山中教習所、ぼくらのフンカ祭の漫画家真造圭伍氏の「みどりの星」が“終わっていた”。
終わっていた理由は、以前に当ブログでも書いた“忙しさ理由に読み切れぬ週刊誌”によるもの。
「みどりの星」が掲載されていた雑誌スピリッツを僕は愛読している。
スピリッツは今日現在2014年17号となる。
今僕が読んでいる号は11号。
買うには買うのだが、出張多いわやること多いわでマンガの時間をなかなか割く事が出来ずにいる。
マンガはだいたい風呂で読む習慣だ。入浴しながら読む、ながら読み。
以前はたっぷり読書ができた。何を優先にするか、現在の価値観によるのだろうと思う。
にしろ、マンガや小説は読みたい。日々の隙間にそれをねじこむ現状だ。

2014年11号。今朝風呂で読んだこの号で「みどりの星」は終わっていた。
いいこと、そうでもないこと、まいにち、まいにち色んな事が起こり、まーそりゃたくさん考え、進んでゆく日々である。
そんな時の「みどりの星」最終話は僕に「結局究極最後の愛」を感じさせてくれた。

宇宙を股にかけ活躍するひまわり運輸のロケットが遭難した星は、カエルのような姿をしたむちゃくちゃいいやつらと、地球人に似たやつらとが暮らす不思議な星だった。主人公であるひまわり運輸のアルバイトタカイチが星を救う伝説の「ひまわり」ってやつに祭り上げられ、不時着した星を縦横無尽に駆け巡る。恋をして、戦い、守り、切り開く、そんなSFマンガが「みどりの星」だ。
すっごーく簡略化した内容紹介(紹介になってない・笑)だが、とっても楽しい話。
詳しい内容は割愛するが、ぜひ読んでみてもらいたいマンガのひとつである。

ともすればむずがゆく、恥ずかしいと思われがちな「愛と平和」「絆」ってやつを、僕らは今だからこそ考えねばならないだろう。そう強く思った3年前の大震災。
あれから時は流れた。復興は未だ進んじゃいないという。
人の心は多かれ少なかれ変わっているんじゃないだろうか。
純粋なもの(こと)に対する人の気持ちは自分の置かれた立場の歯がゆさ故に葛藤する。
そこに愛を見つけた時、愛を巡りまた葛藤しながら成長してゆく。
いつしかおもいきることが出来る日がくるだろう。おもいきる時ってのを造るのもまた自分である。
その方法を見つけ、実行するなんて難しいようで実はすごく単純なこと。自分で引いたか引かれたか、線の向こうへ飛び込むか否か、その先に愛があるかどうかだ。

人は生きている以上幾度か、殻ってやつを破らにゃならん時に直面する。引いた(引かれた)線の向こう側へ「えいっ!」と飛び込む瞬間が訪れる。
その瞬間に、そう、それをやれるかそうでないかで、先が決まってくる。
先にもまた殻(壁)があるだろう。線が引かれているだろう。そこでまた同じことを繰り返す。そして先へ。
感動の先にはまた“うだうだ”“もんや~”そしていつもの「これでいいのか?」とした今がある。
もともとあったのか、自分や他の何かや誰かによってもたらされたのか「これでいいのか?」
これでいいならいい!違うなら違う!と自分なりの正義でもって愛を貫き通すことの大切さが実は、いきつく先にある他愛のない日常を手に入れる近道だったりする。

「そこに愛はあるのかい?」守るべきものがある。とらわれていたしょーもないことから解放されたとき、人は優しくなれる。
愛を知るには、例えば、人は成長し大人に成り上がってゆくにつれ、逆に不便になっていることに気づくべきで
たくさんの何かを手に入れている癖に不自由で不器用な生き物に成り下がっているのだとまた気づくべきなのだ。あ、極端なこといえばであるが。
一旦はちゃめちゃやって、壊してリセットする事も大切。造り過ぎると悪循環の度も過ぎる。
どうせ過ぎるなら「結局究極最後の愛」がいい。

普段あまり使わない言葉
「優しくして、優しくなれる。勇気をもって、正義を貫く。愛でもって、みんな幸せになる!胸いっぱい、めいっぱい、いっぱいいっぱいの愛」
僕らはいつでもヒーローになれるチャンスを背中に背負っているのだ。
「みどりの星」から僕はそんなことを今さら今でこそあらためて学んだ。

大好きなマンガがスピリッツでまた終わる。そしてまた、大好きになるマンガがはじまっていると期待する。
今夜また読もう。お風呂に入りながら。
♪ババンババンバンバン ア、ビバノンノン
いい湯だにゃ~♪

めけめけ~。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿