はやしんばんぱくの、めげてめけめけ、言論の不自由ブログ

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『Sunny』読む。

2012年02月12日 09時13分11秒 | 漫画・アニメシリーズ
松本大洋『Sunny』1巻を読んだ。
単行本を購入し、そのままずっと読んでいなかった漫画の中の1冊だ。

松本大洋を読むのはかなり久しぶりである。
読んでいる僕は、何だか大学生時代を思い出していた。

懐かしいなぁ~この感覚。
昔、僕の周辺でとっても流行ったような世界観ニュアンス。

『Sunny』を読みはじめ、数ページ読み進め
変わらぬ松本大洋のこの世界に
ちょっぴりの恥ずかしさと、それよりもう少し多い安心感を覚えた。

自分の中で複雑な感情がうごめく。
昔に戻ってゆくような、嫌でもあり、楽しくもあるよな感覚だ。

松本大洋を知った頃、僕は演劇のど真ん中にいた。
奇しくも僕は松本大洋と同じ大学に通っての演劇三昧な日々をおくっていた。
その頃僕は、小さな子供(ガキ)や、女の子が懸命に生きる世界ってのを題材にした脚本をよく書いていた。

はじめて松本大洋の漫画を読んだ時の衝撃を未だ忘れない。
僕の中身をグルリえぐるかのように入り込むよな強い感覚だった。
つまり、当時の僕に剛速球どストライクだったのだ。

しかし不思議なもので、僕も演劇から離れて
今から遠い昔の当時を思い出してみると
結構その世界って「無い」のである。
ちょっと生温くて、こそばゆくて、恥ずかしいのである。

ただ分かっていることは
当時は夢中で一途だったということ。
生きることを必死で模索して、頑張っちゃっていたということ。
若さが、いつまでも続いて、時間は、余っていると思っていたこと。
青春?っぽい、人間臭さ?っぽいやつ。
それが「恥ずかしさ」の正体であるということだ。

おっさんになった今
松本大洋を読む。

昔が、僕の脳裏をグルリえぐるかのように入り込む。
読み進めてゆくにつれ
恥ずかしさが、消えていった。

今の僕にも
これは「あり」である。

時代は1970年代だろうか
大阪のとある施設が舞台。
施設で、子供達が、懸命に生きている。
そんな内容の漫画である。

今、僕は演劇をやっていない。
デザイン科を出て、芸術系の大学を出たのに
絵も描いちゃいない。
会社を経営している。
14年勤めた会社を譲り受け、悪戦苦闘の日々を送っている。

今、僕は色々な悩みに、日々直面し
その悩みを、日々さばいてこなして進んでいる。

それら、悩みや、物事を引き起こすものは全て
「ひと」である。
何かに悩むことは、大抵ほとんど、つまりは「ひと」で悩む。

大人になった今
なんちゅうか、また頑張っちゃっている僕がおり
そこに「恥ずかしさ」が満載の僕がおるわけ。
だから、とっかかりに、つっかかりはあったけど
松本大洋の漫画「Sunny」が
結局スルリと入って来たのかもしれない。

今、僕はまさに
大学時代のあの頃のように
おっさん、青春しちゃっているのかも。

青春て…
そんな事をすんなり言えちゃうのも
松本大洋の漫画を欲したきっかけだったりするのかもしれない。

変わる僕
変わらぬ松本大洋の漫画
ブレずにいるプロ
そこが、帰れる場所となる。
安心と同時に
何だか、助けられたような気分だ。

『Sunny』
子供が懸命にもがく
大人な漫画です。

めけめけ~。

写真。Sunny。


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