はやしんばんぱくの、めげてめけめけ、言論の不自由ブログ

全国各地へ飛び回り、めげてめけめけめげまくり、色々書いていましたが、ブログ終わりました。過去を読めばいい!サラバじゃ~!

『母を逃がす』観る。

2010年11月29日 16時04分10秒 | 演劇・芸能文化シリーズ
『大人計画』本公演『母を逃がす(再演)』を観に
先日、下北半島…NO!下北沢本多劇場へ行ってまいりました。

この演目が初上演された頃、僕は演劇に夢中で狂ってお芝居したりしておりました。
当時『大人計画』というこのファンキーな劇団の芝居が大好きだった僕は
入手困難なチケットを必死の思いでゲットして
劇場へ足しげく通い観たものでした。

ただこの『母を逃がす』は、上演日程がうちの劇団の稽古とかぶっていたのと
当時『大人』のあまりの人気っぷりでチケットがプラチナ化して取れなかったってのもあり
観たかったのに観られなかった公演の1つとなってしまいました。

『母を逃がす』、この魅惑的なタイトル。
想像がブワーッと広がります。
「単純そのまま、何者かから母を逃がす為に子が孤軍奮闘する様を描いた作品で
その逃がす理由と逃がしっぷり、逃がしている状況と、時折逃がし挫折ありで
逃がしてはとっ捕まったり、逃がす術をたくらんだり
逃がすフリして、実は逃がす気なかったり
逃がしてんのに首に縄繋がってたり、母、その縄に気付かず逃がしてよ!とか言ってみたり
うるせーな、分かったよ!今逃がそうと思ってた所だったんだよ!
とかなんとか、宿題争い的悪態をついて反抗しつつも
実はちゃんと母子の通い合った愛情たっぷり、ちゃんと逃がす事に成功して
子が殺され死んじまったり、なんつってうっそぴょーん実は生きてたりとか
敵味方各々が成長したり死んだりする一種入り乱れたしつこいロードムービー的お話」
そんな風に今日まで勝手に思っていました。
現実、観られないとほら、勝手気ままなものであります。

んで、そのまま作品を観る事も無く
上演戯曲本を購入するも、購入した事を忘れて今日まで読まずに来てしまいました。
だから何の情報も無いまんま、今回の再演を観た訳です。

『母を逃がす』…僕の勝手な想像と近からず遠からず、いいや近からずといったお話でした。
おはなし・あらすじ差し控え、『クマギリ第三農楽天』という東北弁飛び交う集落で巻き起こる
様々なあれやこれやと集落(コミュニティ?)の意義と住民達の生活維持システムと気狂いと愛と輪廻と勘違いと観念と
「うちはうち!よそはよそ!」的憧れと絶望と
『逃がす』と…。

次回公演のご案内が欲しいので毎回アンケートを書いているのですが
「新作でこれくらいおもろいのかいてください」
と思わず書いてしまった程『母を逃がす』は僕にとって結構当たりだった気がします。

大人計画主宰の『松尾スズキ』という人。
ここのところのこの方の描く作品には
「商品的演劇と疲労感と悪い方の意味での期待感とのギャップ」が感ぜられ
僕の勝手な解釈で言うところの「勢い」と「救い」がまるでなかったように思えていたのです。
単純に「くたびれている」感じがしてならず
「とりあえずこれで許してちょ、ねぇ、ファンなら許して!」と
うったえかけて来ているように見えてならなかったのです。
もうこの劇団に先は無いんじゃなかろうか
世界観のドン詰まりと、観るたび思い、でもまた期待して観に行っちゃう
僕自身はそんな繰り返しでした。
今回の『母を逃がす』は
これまた僕の勝手な解釈で
ヘドロの様な現代の演劇っちゅう中での『大人』と松尾氏の立ち位置的「救い」が
何気にプンプンと感じられたのであります。

相変わらずの「引き笑い」はいただけませんでしたが
それをさっぴいても作品と演出はとても素敵でした。
『池津祥子』さん演じる母の伸びた背筋。
それと『阿部サダヲ』氏と『宮藤官九郎』氏と『荒川良々』氏との全掛け合いシーン。
三役のセリフ回しと、そのセリフの中身に込められたもの全てが
『母を逃がす』と『大人計画』を物語っていたように思いました。
あ、勝手な解釈で。

今何故『母を逃がす』?
今何故『大人計画』?
僕的に何故『大人』の笑いと松尾氏の世界観を求めてしまうのか。

僕が演劇に携わっていた十数年間と
そこを抜け出した後の十数年間とのあれやこれやの中で
時代はどう変わっていったのか。
何も変わっちゃいなかった。
変わっちゃいなくて、そこに満足しているんだか否かしらんが
繰りかえして落ち着いたフリをしているだけ。
思い切りハズれてみる時もあるのだが、やっぱり一部分はどこかこちら側におきざりにして
いつでも逃げ道をつくっていたりする訳で。

そんな時代と僕らと、うだうだ続くお芝居とお芝居の中の世界は
はっきりとしたパラノイアでしょう。

母を逃がさずして逃がしてるが逃がしきれずまた逃がそうとするんだろうな
みたいな『母を逃がす』
若者の酔っ払いだらけの下北沢を歩いて駅から井の頭線で酔っ払いだらけの吉祥寺に出て
酔っ払いだらけの中央線に乗ってしても
僕の内から消える事が無かったお芝居でした。

「…ときどき困って、ときどき笑って、概ねつまんなくて、
…飲み込んで、飲み込んで。そして生活は、続く」

ああ、久しぶりにこの手のお芝居を観て
そして置き去りにしてきたあの頃の『母を逃がす』を今に観て
「感謝」!

めけめけ~。

写真。パンフ、戯曲、チケット。


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