前々回のNo8画像の右側を望んだのが
今回の画像だ。
玄関を正面に捉えているから格子を通しての外の見え方が分かる。
一番奥まった位置に見える玄関建具と画像右手前の建具は新規に制作したもので
新しいものはなるべくデザイン的に統一し、一体感を出している
手前格子戸の奥に続く光気味の建具は
シューズクロゼット用だが、やはり古いものを使っている。
前々回のNo8画像の右側を望んだのが
今回の画像だ。
玄関を正面に捉えているから格子を通しての外の見え方が分かる。
一番奥まった位置に見える玄関建具と画像右手前の建具は新規に制作したもので
新しいものはなるべくデザイン的に統一し、一体感を出している
手前格子戸の奥に続く光気味の建具は
シューズクロゼット用だが、やはり古いものを使っている。
今回は
前回画像の左手、
ガラス格子板戸、そのガラス部分を拡大した画像だ。
模様は笹の葉だろうか、光の当たり具合で部分が際立って見えたりする。
出自は定かではないが、
おそらく古民家の土間に面した板の間とその奥の和室との境に
用いられた建具ではないだろうか。
いずれにしても細かな手仕事のなせる業で現代ではまれなケース。
これは和風住宅のケースだが
まもなく完成を向かえるシェアハウスタイプのモダンアパートメントでも
以前敷地に建っていた和風住宅の建具を全面的に再生し使用する。
欄間についても階段手摺部分に使用、一般的ではなくなってしまった、
木製建具の現代的な使い方を試みている。
右手の格子戸は玄関ホールと手前の内玄関を隔てる。
白壁の割合が少なめにして、建具から上天井辺りまでべんがらを塗り
落ち着いた暗さを出している。
明るく照らされた床の杉板には中庭からの光が来ている。
玄関格子戸、奥の舞良戸、左のガラス格子戸も古建具を使用している。
このように内玄関から見ると右手の格子戸も透けて見えるが、明るい表側から見ると
内側がまったく見えない(横浜都筑の家-No2をご覧下さい)。
落ち着く場所の条件の一つに、自分からは相手が見えて、相手からはこちらの姿が
見えないこと、だそうだが、この家の落ち着きに、格子も一役買っている。
前回画像出格子の左面がこの画像。
天井の棟木や小屋組みが和室から欄間の上をすり抜けて
玄関ホールから更に奥へと続く。
手前畳の外は墨いりモルタルの金ゴテ仕上げの土間で
ここまではまだ外部の気配を残す。左手が内玄関となる。
奥の梁が途中で切れているが、これは指し鴨居といって
建具の鴨居を兼ねているが、右にハネだし更に外部に突き出して
屋根組みを支える出桁となっている。
横浜都筑の家No1の画像がこの様子の参考になると思う。
都筑の家に戻ろう。
この家のテーマの一つは古建具を如何に利用するかということ。
玄関ホールや和室入り口の建具についてその使用例を見てきたが
これは和室の道路側に面する出格子部分の古建具。No1の画像手前部分がその外部だ。
この都筑の家は今年の年賀状にその外観写真を利用させてもらったが、皆さんからの反応はけして懐古趣味的なものではなく、むしろ新しいものとしてこの和風の建物が目に映ったようだ。
伝統的な建物も身の回りに事例がないと特に若い人たちは時代の先端を行くかのごとく目に映るのだろう。
古い建具を再利用する、可能なように工事段階で構造材の高さを決めたり、建具の高さを調整したり手間隙のかかることをやる。既製品の枠付ビニール木目建具を入れれば安上がりだが、この施主はそれを否とし、われわれも賛同する。
すまいにこだわり今まで気に入るものを手にいれるために我慢を重ねてきた施主は
文化の担い手として
えらい!
画像は横浜の山下公園を、ホテルニューグランドから見下ろした風景。
といってもあながちはずれではないほど。
実際はベトナム。ホテルマジェスティックの屋上からサイゴン川を眺めている。
マジェスティックといえばベトナム戦争の際、開高健が根拠地としていたホテルとして名高い。1925年の創業、コロニアルスタイルでニューグランド同様のクラシックホテルだ。
泊まったのは別のホテルだが、床材や家具の工場見学で昼間はびっしり埋まっていたせいか気を抜くため、ここに。
インテリアは改修されているとのことだが、大理石の床や漆喰の壁などオリジナルは比較的保存されているようだ。
それにしてもサイゴン(ホーチーミン市)は活気がある。
バイクがイワシの群れのように集団で道路を往来するせいもあるが郊外の高層マンション群や、画像ホテルから見るサイゴン川の対岸に広がるリゾートのような整備された地区を見るとその感が深い。
スーパーコンビにはあるが数は少なく、一般市民が食材を買うのは露天の売店で野菜は無論、肉も生で売っている。気温も35度あり生で大丈夫なのだろうか?
横浜駅周辺の当事務所近く、歩道を歩いていても外国語が飛び交う。
アジア各国から日本語を学びにくる若い人たちが多いせいだろう。
以前、弁当屋の店先で出来上がりを待っていた時、ベトナムの留学生と片言の会話をしたこともあり、意外と身近なところに国際都市の一面があった。