相変わらずホテルの備品が目に付く。カードキーのホルダーと照明スイッチコンセント関係はデザイン的にも統一されている.色はアイボリーで小さいけれど全体のインテリアの一要素だ。日本ではまだこれという物に出会わない。
さて合唱団への合流も気になるが午前中は歩き回れる。ウイーン中心の西側がまだだ。
まずはゼンパーデポ(宮廷劇場の舞台関係倉庫1877)、資料をみると4層吹き抜けの中に鉄骨の柱と木の床が壁沿いに周り縦長の窓がその構造を浮かび上がらせる、その様子を体験したかったのだが開いていない。それらしき様子を外からうかがっているうちに、妙な物を発見。大戦中の機銃掃射の後らしいがガラスに刻印された文字は「回想への傷跡」と哲学的だ。
まずはゼンパーデポ(宮廷劇場の舞台関係倉庫1877)、資料をみると4層吹き抜けの中に鉄骨の柱と木の床が壁沿いに周り縦長の窓がその構造を浮かび上がらせる、その様子を体験したかったのだが開いていない。それらしき様子を外からうかがっているうちに、妙な物を発見。大戦中の機銃掃射の後らしいがガラスに刻印された文字は「回想への傷跡」と哲学的だ。
ウイーンはスリ被害が多発し合唱団のメンバーも被害にあったことを聞いていた。
今日は日曜日、朝9時過ぎで、市庁舎(1883)からウイーン大学(1884)へ続く裏通り近辺は小鳥のさえずりがはっきり聞こえるくらい車や人影もまばら。フト、人の気配を背後に感じたので歩をゆるめると、相手も同調、では相手を先に行かせようと止まった矢先、声を掛けてきた。止まって立ち話となればもう2.3人陰から出てくる、と聞いていたので言葉がわからぬふりをして立ち去った。(写真は市庁舎)
今日は日曜日、朝9時過ぎで、市庁舎(1883)からウイーン大学(1884)へ続く裏通り近辺は小鳥のさえずりがはっきり聞こえるくらい車や人影もまばら。フト、人の気配を背後に感じたので歩をゆるめると、相手も同調、では相手を先に行かせようと止まった矢先、声を掛けてきた。止まって立ち話となればもう2.3人陰から出てくる、と聞いていたので言葉がわからぬふりをして立ち去った。(写真は市庁舎)
シュテファン寺院を中心にした街区は上から眺めると碁盤の目のように正確に区分されているわけではなく適当に区切ったような台形や三角形だったりする。したがって変形の街区を引き連れ、様々な角度から先頭の建物は広場に顔を出す。シュテファンに向かう途中ミヒャエル広場ではコルビジェに影響を与えたアドロフロース設計のロースハウス(1911)、内務省の建物などがその見本となる。(写真右端はロースハウス)
シュテファン脇グラーベン街アンカーハウス(ワーグナー作1895)もV字の街区を引き連れる。(店舗、住宅、事務所のはいる複合建築で4日目に泊まったグラーベンホテルもこの中にある。ガラスドームのペントハウスが特色)
20年前にきたときはもっと黒っぽい外観だったが。内部は人があふれ空いている席は前の方しかない。壮大な空間の一言。柱の直径、2メートルはある。東大寺金堂の床もすばらしいがこの何百年にも渡って踏み込まれてきた側廊床石の味わいも格別だ。
「修道院中庭の改修」と資料にあるがこちら側は新築か?それにしても地味だ。サッシ割り、壁の量など街区でデザイン統一されているのか、反対側に廻って合点がいった。同じ意匠の建物の続きにオットーワーグナー設計の郵便貯金局(1906)が見えるではないか。景観の統一感はこの超有名建築が源だったのだ。残念ながら美しい曲面ガラスの内部天井は日曜で眺められず。(写真突き当たりの建物が郵便貯金局)