べんがらちゃんの目

日本の美を伝えたい

受賞十回目の家

2004-10-22 21:12:56 | Weblog
受賞十回目の家(2004、優秀賞)鎌倉ニ階堂の家

建築コンクールには毎年のように応募していましたが十回目がなかなか出ず,今年は秦野,茅ヶ崎,そして鎌倉と三作品を提出、その内の一つが受賞し十回目にたどり着きました。
建築コンクールに出す意義は継続的に受賞する事で,創っている建物の質をチェック出きることです。
十回目にたどり着くまでの20年間にはバブルが弾け、地球環境配慮など時代背景もあったわけですが受賞傾向を探ると当初の七回目ぐらいまでは構造体が表に出ていない、が最近の受賞作は構造体を積極的に表現している、また建設プロセスにも深く関りを持ちリスクを徐々に解消しながらCM(分離発注方式)を確立して行く。その間、プレカット(大工さんに代って木材を事前に加工する工法)にも松竹梅があることを知りその生かし方を探るなど絶えず前に動いている要の時期に賞を頂いたように思います。
歴史的建物の保存活用活動に関っておりますと時代の波、その時々の人の都合にさらされながらも生残って行く建物とは,時代の鏡になる建物、壊すに後ろ髪を引かれるくらい愛着を覚えるもの、二度と作れないもの、などが浮びますがそのような建物を作って行きたいと思います。第一回目受賞の大磯の家、今はもうありません。力不足を痛感し、十一回目の受賞を目指します。


受賞八回,及び九回目の家

2004-10-18 16:32:22 | Weblog

受賞八回目の家(1998奨励賞,鎌倉古陶美術館)

延べ面積150坪,鎌倉時代の古陶磁器を展示する美術館ですが
入口長屋門一部がオーナー住居になっているので家と呼んでも差支えないと思います。
完成まで足掛6年を要した建物で分離発注により実現しました。福井県の古民家の移築で,すべての部材が古材で賄えず現場に届いた材料も当初の予想以上に腐食しており細部にわたり現場で再度設計を行う事となりました。余った古材は階段の手摺,床の間の床板、展示カウンタ-などそれぞれ所を得る様デザインして行きました。鎌倉時代の質実剛健な陶磁器と古民家の力強さが程良く合い外観も北鎌倉の環境に相応しい点が等が評価されました。

受賞九回目の家(2000優秀賞、港南台の家)

「京都の町屋のような趣のある住宅に住むのが憧れで、「現代の民家」という鎌倉設計工房のコンセプトは自分の中のイメージともぴったりでした。」と言う奥様。建替えは2度目だが以前の家は築後20年も持たなかったという.「だから,今回は絶対に自分達が満足できる家にしたいと思って。まず家全体に天然木を使い,土間や縁側,竹格子など,日本建築ならではのプランを積極的に取り入れました。実際に住んでみて思ったのは,予想以上に快適だった事.木や漆喰など自然素材は家の温度や湿度を程よく調節してくれるし玄関ホールの土間は蓄熱効果があるので夜まで暖かい.日本の家って実によくできているんだと実感しました。」他にも福井の実家からもらってきた囲炉裏を置いたり、庭で家庭菜園を作ったりと、この家での暮しを家族でゆったりと楽しんでいるよう。-リビングデザインVOL.18の記事です。


受賞六回及び七回目の家

2004-10-12 15:02:38 | Weblog

第六回目の家(1990,奨励賞)横浜の家
ご夫妻のみのお住い。
社内コンペを行い所長とスタッフで案を競いました。
気に入った作品をお客さんに選んでもらうという単純な方法で選択。(図面は無記名なのでどれが所長作か分らない),結果、幸にも?所長作が選ばれた。
28坪の敷地に地下も含め44坪3階建鉄筋コンクリートと鉄骨による構造,硝子張りの屋上ペントハウスからは港の花火を遠望します。周囲の街並にとけ込むのではなく,斬新な風を送る外観が評価されました。

第七回目の家(1994,奨励賞)逗子,県営久木団地

これは、3DK、33戸+集会室の神奈川県営の住宅団地です。当初二棟にわけていましたが
近隣への日照影響を減らし圧迫感も軽減,団地内相互の日照も確保するため4棟に分けて配置、その結果、中心に生まれたコミュニテイー広場とそれに続く路地が以前あった平屋住宅群の環境を思い起させ、地域住民になじみ、散歩するコースにもなっている、、など,地域との結びつきを生み出した所が評価されたのだと思います。鉄筋コンクリート造ですので杭が必要、掘っている間にコンクリートの塊が出てき、ここが昔、軍の飛行場だった歴史を物語っていました。



受賞四回及び五回目の家

2004-10-01 19:10:22 | Weblog


第四回目の家(1986、優秀賞)藤沢の家その2

親子夫婦二世帯住宅です。
両親のお母屋にご子息夫婦の家が離れのように繋がります。双方の棟を繋げているのが廊下状の細長い玄関ホール。これが適度の「スープの冷めない距離」をつくっています。この玄関ホールの上は屋上デッキになっていて2階レベルでも行来ができるようになっています。実はご子息夫婦の子供室は親夫婦の棟にあり子供達は相互の棟を行ったり来たりします。受賞当時、著名建築家の宮脇檀さんとこの住宅をテーマに誌上対談を行いました。この時のテーマはこの子供部屋のあり方、将来どうなるかでしたが、その後20年近く経ち、住まう方にも幾つかの変化がありましたが依然もとのまま住みこなしていらっしゃいます。

第五回目の家(1988、佳作)横須賀の家

第1回目の大磯の家新聞記事を海外赴任先で読まれた時、「帰国の際はこの人に家を頼もうと、考えていた。」とうかがい感動した事を思い出します。
敷地を見て驚きました。
敷地そのものが三段の階段状に分れていたからです。「斜面に沿った3階建で行くしかない」と直感的に思い1階を台所、浴室、トイレなど水周りと居間、二階を二部屋の寝室、三階を子供たちの部屋、それらが三階まで直進する階段の両脇に配置しました。二階三階といってもそれぞれの雛段の上に載るのですから直接地上に出られます。そこはほんとにプライベートな庭となり山の豊な自然を堪能できます。その後15年経ちベランダの木部は取替えましたが全体は元のまま。急傾斜地に擁壁もでき、周囲の環境も安全になりました。