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「遠矢の松」と松根油

2015年04月29日 | 村の歴史

鍋釣山を正面から見て左側、頂上付近から約80mほど下った稜線に「遠矢の松」(とやのまつ)と呼ばれている場所がある。平成19年3月発行の「続稲川今昔記 いなかわのむかしっこ」(佐藤公二郎著)には「槍が数本刺さったような枝ぶりの大松」とある。

いなかわ広報平成5年6月10日号「いなかわのむかしっこ 川連の由来と伝説」に「遠矢の松」の記述がある。(原文 佐藤公二郎 )

天喜5年(1057)前九年の役の後、源頼家、義家が出羽の国を巡視した際、賊の残党の備えるためにこの地に、仮の城を程ケ岡(保土ケ岡城、八幡館、古舘ともいう)に築いたと伝えられている。川連地区にはこの時の源義家につなんだ伝説が語り継がれている。

その一は岩清水の伝説、その二が「遠矢の松」。次のように書かれている。

「根岸の小坂山(また、鍋釣山とも)の中腹にある松の木を、とうやのまつ(遠矢の松)と呼んでいる。義家は、不思議な白鹿が通るのを見て、これを射止めんと追ったところ、そこで影を失った。すなわち神霊の示現(神仏など不思議な霊現を示しあらわすこと)だとして小祠(ほこら)を建ててこれを祭ったという。(現在、小祠はない。松は何代目のものか、戦時中、松根油の材料のため伐られた」。

下の写真の枯れた松のあるところが通称「遠矢の松」と呼ばれている場所。

「遠矢の松」枯れた松 左端はベニヤマザクラ  集落から望遠レンズで 2015.4.24

今回、鍋釣山の「遠矢の松」の場所を尋ねた。鍋釣山の西斜面の雑木林約6haは麓集落管理。昭和30年代後半まで集落の薪林で、集落に全戸参加の薪にする木の伐採は3日連続の作業だった。斜面は平均30度近い急斜面が続く。「遠矢の松」の場所は稜線になっていてやや緩い斜面になっているが急斜面に変わりがない。松は赤松。

今回、相の沢の林道から「小烏」(コガラス)の川連集落の杉林を通ると鍋釣山の頂上には比較的簡単に登れる。ただ平成4年に「天然林育成事業」実施後、手を加えていないので、鍋釣山頂上付近は雑木が密生し歩くのは困難になっている。「遠矢の松」の場所は頂上付近から下ること約80m程、海抜約380m程の場所になる。(鍋釣山は海抜444m)

70数年前 松の掘リ返された跡 2015.4.24

松根油について「Wikipedia」に次の解説がある。

「松根油(しょうこんゆ)は、マツの伐根(切り株)を乾溜することで得られる油状液体である。松根テレビン油と呼ばれることもある。太平洋戦争中の日本では航空ガソリンの原料としての利用が試みられたが、非常に労力が掛かり収率も悪いため実用化には至らなかった」。

「松根油の製造には老齢樹を伐採して10年程度経った古い伐根が適しており、収率は20%–30%にも達する。新鮮な伐根では松根油の収率は10%程度である」。

20数年前まで掘り返えされた松の木が無残な姿で見られた。現在はほとんど残っていない。下記の写真の中央部に苔の生えた松の残骸があった。当時の松の一部かも知れない。倒れた姿がマツ枯れものと違う。倒れた姿が20数年前に目撃した方向と一致する。苔の生えた石。言い伝えの「遠矢の松」の小祠(ほこら)とこの石は関係があったのではないかとも思える。急斜面の周りにこの石以外連想されるものはない。それとも戦時中、松根油の原料調達で周りの土が掘り返されて小祠と思われる場所も埋没してしまったのだろうか。

倒された松の残骸? 2015.4.24

松根油製造には松の老齢樹が適していると云われ、鍋釣山の最大樹齢と思われる「遠矢の松」が狙われ、掘り返されたものと思われる。敗戦濃厚な時代、若者のいない集落で急峻な鍋釣山
での松の木を掘る作業の苦労は偲ばれる。その後「遠矢の松」の場所の松の木は10年程前から松くい虫の被害で枯れ始めた。現在この場所で最大の松、胴回りが約3m近い推定約150年以上の木もついに枯れてしまった。倒れもせずに立っている枯れた松は13本ある。現在この場所に残っている松は直径25㎝等の2本になったしまった。猛威のマツクイムシ被害ですべての松の木が無くなろうとしている。あたりを見回しても幼木も見つからなかった。

枯れた推定150年の松 2015.4.24 

言い伝えの「遠矢の松」は戦時中の「松根油」製造の犠牲になり、平成になって「松枯れ」で歴史の舞台から消え去ろうとしている。

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1 コメント

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弟子にしてください (金子会館)
2015-05-03 16:46:59
昭和21年の内務省発行地図によると鍋釣山北側のほぼ仙道の稜線上に大木マークがあります。

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