うー太が亡くなって、まだ、なんだかわけがわからない気持ちです。でもね、体調の異変はわかっていたと思う。確実に年取っておじいちゃんぽくなっていたし、良く軟便していた。歯が悪いから、月に1回か2カ月に1回かずっと切りに行ってて、その際に麻酔していたし、食べられるものもどんどん範囲が狭くなっていて、大好きだった生の葉っぱも、スティックお菓子も、クルミも、だんだん食べられなくなってきていて、ふやかしたペレットを何とか食べてて、おなか減るとたっちして口をパクパクさせてねだっていたけど、少し前の爆食という位の食べる勢いもなくなってきてた。歯を切った後の回復も遅いし、人間とうさぎでは体の大きさが違うのに、何日も食べられなかったりすると、どうしようってすごく心配だった。今回も、変な軟便して、ご飯食べられなくて、でも食べたくてパセリとか口に入れるんだけど、飲み込めなくて出したりしてたんだけど。野菜ジュースは美味しそうに飲めて、その時は嬉しそうにしていた。何度も奇跡の復活していたから、今回も大丈夫って、うー太は絶対大丈夫って思っていたの。なんかね、頑張っていたんだと思う。うー太は私が生きて欲しいって何度もお願いしていたから、本当はもっとずっと前に、体力的にはダメって時が来ていたんだと思うけど、生きてくれていたの。だけど、その時が来てしまったんだと思う。もう、本当に体がダメって時。やさいい、かわいらしいかおで、亡くなっているのに、悲壮感がない安らかで穏やかな、生きてるみたいな顔しています。悲しいよ、寂しいよってって語りたいのに、顔見ると、「うー太、大好きだよ」「うーも、かーちゃん好き」「いっぱい散歩に行ったよね。楽しかったね」「うん、公園、ピョンピョンしたね。楽しかったね」「ありがとう、うー太」「楽しかったよ、ありがとう、かーちゃん」って、楽しかったね、しあわせだったね、生きててよかったねって、ずーっと話しています。うー太がうちに来てくれてよかった。うちの子になってくれてよかった。たくさん幸せをくれました。幸せをくれるたびに、うー太も幸せになってくれていたと思います。うー太の分まで、もも太をかわいがって行かなくてはと思います。もも太は、うー太が居ないって探していて、変なのって顔しています。ご飯、うー太のふやかしペレットを食べる癖がついていたので、作ってやると喜んで食べています。本当に、うー太にはありがとうの感謝の気持ちばかりです。今まで、犬も猫も鳥も居たことがあったけれど、亡くなった時にこんな気持ちになったのは初めてです。良い子でした。かわいい子でした。優しい子でした。家族でした。私の子どもでした。いろんなものを私に与えてくれました。ありがとう、ありがとう、うー太。楽しかったね。楽しかった、一緒にいて。いっつも、うー太と一緒に居るときは幸せだった。ありがとう。