食事を終え、七五三の記念撮影も終え、一路田川後藤寺へと向かう。風治八幡の石段を軽快に下りて行く。その後姿たるや皆嬉々たるオーラを放っているようである。やはり腹に入るものが入れば疲れなどは吹っ飛び元気を取り戻すものらしい。 実は私もそうなのだが。
田川伊田のアーケード街をそぞろ歩いて行くと、日曜日というのに殆どの店が閉まっている。日曜日にも関らずである。日曜日だから休むのか、平日はどんなものかなと疑問を抱く。
ここは昭和時代の懐かしい風景を残しており、歩くだけでも楽しいところである。そうしているうち右から来るアーケードと合流する。この右から来るアーケード街が秋月街道なのだ。この合流地点を左に取り、平成筑豊鉄道伊田線の踏切を渡るとすぐに日田彦山線のガードをくぐる。
その時代、炭鉱で栄えたこともあり、鉄路が縦横にはりめぐされていた。そのことを判らせてくれる石炭記念館が左手の高台に見える。
狭い街道の両脇には、掘っ立て小屋の飲み屋が低く軒を連ねており、この佇まいだけでもおもしろい。
街道は二手に別れ、並走しつつゆるゆると坂が始まりる。田川後藤寺までの道のりの中、いよいよ最後の峠を越えんとするのである。(写真:アーケード横の飲み屋街)
田川伊田のアーケード街をそぞろ歩いて行くと、日曜日というのに殆どの店が閉まっている。日曜日にも関らずである。日曜日だから休むのか、平日はどんなものかなと疑問を抱く。
ここは昭和時代の懐かしい風景を残しており、歩くだけでも楽しいところである。そうしているうち右から来るアーケードと合流する。この右から来るアーケード街が秋月街道なのだ。この合流地点を左に取り、平成筑豊鉄道伊田線の踏切を渡るとすぐに日田彦山線のガードをくぐる。
その時代、炭鉱で栄えたこともあり、鉄路が縦横にはりめぐされていた。そのことを判らせてくれる石炭記念館が左手の高台に見える。
狭い街道の両脇には、掘っ立て小屋の飲み屋が低く軒を連ねており、この佇まいだけでもおもしろい。
街道は二手に別れ、並走しつつゆるゆると坂が始まりる。田川後藤寺までの道のりの中、いよいよ最後の峠を越えんとするのである。(写真:アーケード横の飲み屋街)