金辺隧道を通り抜けると、左にゆるくカーブし,箱庭のような風景の中を軽快に走りぬけ、そして直線となり、そのまま採銅所駅構内に進入し、ホームに到着する。我々の乗った気動車は9:56分着、定刻である。
列車がホームに到着するさいの言葉の表現では、よく「滑り込んでくる」と言う表現を用いるが、ディーゼル列車はそういうわけにはいかない。エンジン音がどんどんと近づいてくるわけだからスマートさがない。しかし、これだからこそ走っていると感じることができる所以である。
駅構内はホームが浮島のようにぽつんとあるだけで、そこに駅舎がへばりついているようである。ところがこの駅舎は大正4年に建てられたもので齢90歳となることを知った。
さあ着いたぞ。駅の正面は小さな箱庭だ。左を見ると、JRを利用する人々の駐車場なのか、今日は5,6台が駐められている。その昔は貨物自動車などが荷物の搬送で行きかったであろう。
右を見ると、細い道が線路を渡り、山手へと続き、線路はトンネルをくぐって行く。ここから田川後藤寺駅まで汽車で20分足らずで行くのであるが、我々は5時間かけて歩くのである。
再度左を見やると、U氏が車で来ている。右手を大きく上げて知らせてくれている。私もそれに答えた。さあ歩くぞ。天気晴朗である。
と、思ったら。待てよ、なにか違和感があることに気づいた。(なんだろう。この先は次回へと続く)
列車がホームに到着するさいの言葉の表現では、よく「滑り込んでくる」と言う表現を用いるが、ディーゼル列車はそういうわけにはいかない。エンジン音がどんどんと近づいてくるわけだからスマートさがない。しかし、これだからこそ走っていると感じることができる所以である。
駅構内はホームが浮島のようにぽつんとあるだけで、そこに駅舎がへばりついているようである。ところがこの駅舎は大正4年に建てられたもので齢90歳となることを知った。
さあ着いたぞ。駅の正面は小さな箱庭だ。左を見ると、JRを利用する人々の駐車場なのか、今日は5,6台が駐められている。その昔は貨物自動車などが荷物の搬送で行きかったであろう。
右を見ると、細い道が線路を渡り、山手へと続き、線路はトンネルをくぐって行く。ここから田川後藤寺駅まで汽車で20分足らずで行くのであるが、我々は5時間かけて歩くのである。
再度左を見やると、U氏が車で来ている。右手を大きく上げて知らせてくれている。私もそれに答えた。さあ歩くぞ。天気晴朗である。
と、思ったら。待てよ、なにか違和感があることに気づいた。(なんだろう。この先は次回へと続く)