7/15日(日)
安佐北区民文化センターで行われた「あさきた神楽公演」を見てきました。
安佐北区は35,5度と猛暑日でとても暑くて疲れました。
第3回公演
あさきた神楽公演 12時開場 12時30分開演
[出演]
宮之木神楽団 (安佐北区)
[演目」
1、紅葉狩り
平安時代、京の都を追われ、信州戸隠山へと流罪となった女があった。
その名を紅葉といい、生まれながらに「第六天魔王」の加護を受けた紅葉は、身に着けた妖術を
以って、近隣の村々を荒らし、財を掠め、その手は、その名「紅葉」の如く、血に染まっていった。
その頃、中納言「平維茂」は、都を離れ三河、遠江と狩りの旅に興じ、戸隠山の錦に心奪われ
道にふみ迷ってしまう。
一軒の山屋あり女主の誘うままに紅葉狩りの酒宴に杯を重ねる。
維茂主従が酔いつぶれると、女たちは、黒髪を振り乱し、夜叉の形相を現し、その五体を引き裂かんと
とびかかる。
一命危うき時、維茂の日頃から信心寄せる八幡大菩薩が現れ、主従に神剣を授け、維茂主従は
鬼の岩屋で激闘の末、戸隠の鬼女を見事成敗するのです。
2、寿永の乱
寿永の乱は、平安時代末期の治承4年(1180)から6年にわたる大規模な内乱である。
三種の神器は安徳天皇のもとにあり、三種の神器を後鳥羽天皇側に迎え入れる平氏と和平するか
交戦して実力で奪取するか朝廷内の意見は割れ、武力攻撃による三種の神器奪還へと意図が固まる
義経軍は摂津の国一の谷陣を構える平氏を攻撃する。
堅牢な陣地であったが義経軍の奇襲により平氏軍は四国屋島に脱走した。
一の谷で敗れた平氏軍は讃岐屋島に陣を構えていたが、義経の奇襲で海上へ逃げる。
ここで平清盛の妻、二位の尼が厳島神社の神主から授かった扇で平氏の勝敗を見極めたいとの
提案をし、一艘の小舟で「この扇を射抜いてみよ!」と挑発をした。
下野の国の那須人、那須与一に射抜くよう命じ、見事に射抜き平氏を追い落とした。
屋島の戦いの後、平氏軍は長門へ撤退する。
長門海峡の壇ノ浦で最後の戦いが行われた。
知盛は義経を道連れにしようと舟に乗り移るが、義経は舟から舟へと飛び移り八艘飛びで交わす。
やがて平氏の敗戦も濃厚となるに従って、平氏の武将は海へと身を投じていき、
安徳天皇と二位の尼も三種の神器とともに入水した。
この戦いで平氏は滅亡した・・・・・
「寿永の乱」が終了したのは午後3時、1時間の熱演でした。
世にいう「源平合戦」を神楽化したもので宮之木のオリジナルです。
初めて見る演目です。
一の谷の「ひよどり越え」?
「鹿が飛び降りるのに同じ四つ足の馬が飛び降りれないわけがない」という義経のセリフが印象に
残った新しい神楽を堪能しました。
只、帰路のこの日の一番熱い盛りのバス、電車移動はもうぐったり、びっしょりの汗でした。
この暑い時期での神楽を舞う人の奮闘は計り知れませんが・・・
安佐北区民文化センターで行われた「あさきた神楽公演」を見てきました。
安佐北区は35,5度と猛暑日でとても暑くて疲れました。
第3回公演
あさきた神楽公演 12時開場 12時30分開演
[出演]
宮之木神楽団 (安佐北区)
[演目」
1、紅葉狩り
平安時代、京の都を追われ、信州戸隠山へと流罪となった女があった。
その名を紅葉といい、生まれながらに「第六天魔王」の加護を受けた紅葉は、身に着けた妖術を
以って、近隣の村々を荒らし、財を掠め、その手は、その名「紅葉」の如く、血に染まっていった。
その頃、中納言「平維茂」は、都を離れ三河、遠江と狩りの旅に興じ、戸隠山の錦に心奪われ
道にふみ迷ってしまう。
一軒の山屋あり女主の誘うままに紅葉狩りの酒宴に杯を重ねる。
維茂主従が酔いつぶれると、女たちは、黒髪を振り乱し、夜叉の形相を現し、その五体を引き裂かんと
とびかかる。
一命危うき時、維茂の日頃から信心寄せる八幡大菩薩が現れ、主従に神剣を授け、維茂主従は
鬼の岩屋で激闘の末、戸隠の鬼女を見事成敗するのです。
2、寿永の乱
寿永の乱は、平安時代末期の治承4年(1180)から6年にわたる大規模な内乱である。
三種の神器は安徳天皇のもとにあり、三種の神器を後鳥羽天皇側に迎え入れる平氏と和平するか
交戦して実力で奪取するか朝廷内の意見は割れ、武力攻撃による三種の神器奪還へと意図が固まる
義経軍は摂津の国一の谷陣を構える平氏を攻撃する。
堅牢な陣地であったが義経軍の奇襲により平氏軍は四国屋島に脱走した。
一の谷で敗れた平氏軍は讃岐屋島に陣を構えていたが、義経の奇襲で海上へ逃げる。
ここで平清盛の妻、二位の尼が厳島神社の神主から授かった扇で平氏の勝敗を見極めたいとの
提案をし、一艘の小舟で「この扇を射抜いてみよ!」と挑発をした。
下野の国の那須人、那須与一に射抜くよう命じ、見事に射抜き平氏を追い落とした。
屋島の戦いの後、平氏軍は長門へ撤退する。
長門海峡の壇ノ浦で最後の戦いが行われた。
知盛は義経を道連れにしようと舟に乗り移るが、義経は舟から舟へと飛び移り八艘飛びで交わす。
やがて平氏の敗戦も濃厚となるに従って、平氏の武将は海へと身を投じていき、
安徳天皇と二位の尼も三種の神器とともに入水した。
この戦いで平氏は滅亡した・・・・・
「寿永の乱」が終了したのは午後3時、1時間の熱演でした。
世にいう「源平合戦」を神楽化したもので宮之木のオリジナルです。
初めて見る演目です。
一の谷の「ひよどり越え」?
「鹿が飛び降りるのに同じ四つ足の馬が飛び降りれないわけがない」という義経のセリフが印象に
残った新しい神楽を堪能しました。
只、帰路のこの日の一番熱い盛りのバス、電車移動はもうぐったり、びっしょりの汗でした。
この暑い時期での神楽を舞う人の奮闘は計り知れませんが・・・