2023年2月3日(金)
空海さまの母君の生誕地が特定できました。お生みになられたのは孝謙天皇ですよ。
「誰との子供ですかぁ」って・・? それは道鏡さまですよ。 見事な空海コードです!
孝謙天皇の墓と空海さまの母君の墓と道鏡の墓との二等辺三角形の重心となる場所が生誕地で『蓮生塔』の場所です。
2023年2月1日(水)
今月25日発売予定の「不死鳥のあしあと2」は着々と仕上がりに近づいています。
すっごい本です!
今までだれも知り得なかった、知ることができなかった内容です。
これも山中で地中を簡易で迅速に計測するものがなかったからなのですが、「コアロッド」の開発は、従来の考古学の常識を一変させることでしょう。
空海コードで知り得た山々に上り、山中に分け入りフィールドでの積み重ねを続けて13年の年月を要して、空洞探査・金探査器「コアロッド」が完成しました。
金探査は数㎞先からでも検知出来ます。これからの古墳調査には、コアロッドは必須アイテムです!
2023年1月30日(月)
淡海三船のお墓である奈良市高畑町1352にある比賣神社の小さな境内には神像石(かむかたいし)と書かれた札の奥に4つの石と淡海三船と池辺王と葛野王と弘文天皇と・・十市皇女と父子4代の名前。
この父子4人の中で、池辺王=道鏡とすれば、空海コードは見事につながりました。
池辺王は道鏡である!と言い切れます。
2023年1月27日(金)
24日(火)朝から奈良へと行きましたが、コアロッドで地底の金探査と空洞探査を終え、比賣神社をゆっくり見ることもなく写真だけは取り終えて待ってもらっていたタクシーに乗り込みました。誰かのうれし涙でしょうか、そのとたん小雨が降ってきました。
その日の夜、自宅でブログを書いていて、現場では見ていなかった新聞の記事を見つけて・・読んでいて・・! 白蛇が首に・・という記事にドッキリ!!
この記事には大変なドラマの情景が浮かんでくるようでした。その日は夜12時を回っても空海コードを結び付けながら頭の中では、「そこが淡海三船の墓である決定的コードを探せ・・」と次々にデータを乗せて行きました。そして・・「これだ!」と決定的データが乗せられた時にはもう午前2時を過ぎていました。そして翌朝目が覚めると神戸の街並みは、電車も一切動かない一面白い世界でした。
・・
記事の中で、
飛鳥の宮に身を寄せた十市は、戦いから6年後の678年4月7日。宮中で突然死ぬ。日本書紀はそれ以上の説明をしていないが、私は自殺ではないかと思う。父の正妻である後の持統天皇は十市に冷たかったろう。苦悩が重なり、生きる望みを失ったに違いない。
・・と、書き綴っている。
この行に私は大変憤りを感じる。
まず、持統天皇に全く無礼である。筆者は天武、持統、十市、葛野王 4人の生、没年を照らし合わせていない。葛野王は、9歳で母、十市皇女と別れている。そして爺ちゃんである天武天皇とは17歳で別れている。持統天皇と葛野王は、24歳の差で、持統天皇が703年に亡くなって3年後に37歳でこの世を去った。
持統天皇は、草壁皇子同然に我が子のように育てたはずである。
そして、そのように葛野王も私に話しかけてくる。そのことと葛野王がもっと強く私に言ってくるのは、「私の母は、自殺なんかしていません。いくら辛くても自分から自分の命を絶つような人ではありませんでした。毒殺されたのです」と。・・このことを、現代の私達に伝えるために、葛野王の墓の麓にある葛尾で日本国民に伝える為に、「名張毒ぶどう酒事件」で表出されたのでした。そして「その事件現場こそ、私達の御先祖様である第29代欽明天皇の墓なのです」と、葛野王は語りかけてくるのです。
全ては向こうの世界からの台本を、この世に出てくるときに「ではその台本を演じさせていただきます」と、皆さんが約束の上でそれぞれ演じられたことでしょう。
辛くても・・苦しくても・・、神様から頂いた台本通りに皆様が演じきられたのだと私は思っています。 ただただ台本通りに・・と言えば、私は責めを負いますでしょうか。
翌朝は、一面雪景色で電車も動いていませんでした。
2023年1月26日(木)
淡海三船のお墓にやっとたどり着きました。
場所は、奈良市高畑町1352にある比賣神社でした。
先ずコアロッドが教えてくれたのは、金1m×1m。
そして念のために銀も調べてました。結果、金に添わすように0.7m×0.7mもキャッチしました。
金の場所は位置的には消火器の真下でした。
・・と言うことで、淡海三船の墓に決定です。
それを証明するのは空海コードです!
消火器の真下7.2mあたりに金と銀が在るようです。
2023年1月24日(火)
21日(土)名張駅前のレンタカーを借りて高塚山の高塚神社へと行きました。
そしてそこから東の麓にある葛尾へと行きました。そこでコアロッドが金の反応を示すか否かの調査でした。
反応は畑の中ではないかと想像していましたが、神社とお寺の前の広場中央にコアロッドは反応を示しました。石室の大きさは10m×10mほどで、金は3.5m×3.5mほど反応しました。・・どうしてこの場所へと行ったかは、空海コードが「第29代欽明天皇の墓」だと言うことで調査に行った次第でした。その根拠の空海コードは後日示したいと思います。
下の写真で丁度おじさんが立っている場所の下が金の反応する場所でした。(約束より)
江戸川乱歩の像が駅前にあったのも私には偶然とは思えませんねぇ・・。
2023年1月10日(火)
8日、JR奈良駅に12:00武部さんと待ち合わせしていた。
そして光仁天皇の墓へと連れて行ってもらった。
予想通りに黄金をキャッチした。 石室の中央に黄金を囲むような配置は、推古天皇の墓を思い起こさせるものだった。
そしてその後は、ただただ空海コードの凄さに放心状態の私だった。
ホテルにチェックインしたのは4時で、光仁天皇の墓の造営の様子を想像しながら沈みゆく夕日とその変化をボーッと眺めていた。・・つづく
2023年1月9日(月・祝)
淳仁天皇の墓から淳仁天皇陵までと淳仁の父である舎人親王の墓までとは二等辺三角形を描きます。
孝謙天皇の墓と淳仁天皇の墓と舎人親王の墓は一直線に並んでいます。
新年早々、空海コードは冴えていますよ~~!
2022年12月21日(水)
藤原百川の墓と和気清麻呂を祀る和気神社と行基の墓は、2:1:√3の直角三角形。
藤原百川の墓と、和気神社と恩知神社は、1ラジアンを用いた直角三角形である。
宇佐八幡宮神託事件で和気清麻呂が大隅国へ流された時、藤原百川が、清麻呂の忠義と正直に感心して、清麻呂のために秘かに仕送りを続けていたと言う。
清麻呂は藤原百川に大変な恩があることでしょう。これらの空海コードを描かせていろいろ私に教えることは、先日、神護寺から私について岡山まで本当に清麻呂君は行ったのかもしれませんねぇ。
私の不思議な物語の最初の頃、夜の真っ暗い時間に恩智神社の近くの社に連れて行かれて、大太鼓をドンドンと打ち鳴らす不思議な儀式めいたものを体験したことを今になって思い出します。
不思議な物語は最初から今も続いているようです。不思議すぎますねぇ。
2022年12月8日(木)
12月3日(土)三上山の雌山に上った。そこには草壁皇子の墓が在るとの空海コードは描き終わっていたので、確かめるべく調査にやっと行くことができた。
そしてそれは十分に確かめることができた。
いつもより私は、時間をかけて丁寧に調査をした。
その間に、前田さんと三津谷君は、近辺の調査に行って帰ってきて、「立派な磐座があります・・」との報告をもらったので、石室の調査が終わってから連れて行ってもらった。するとそこには、見るからに立派で、何か重要な方位を教えているように思えたので、コンパスグラスを取り出して控えて帰った。
そして事務所に帰ってその方角を調べると・・見事です!