これは、奇妙な話である。この2つは、時代の異なる別々の無関係な事件を接ぎ木した可能性が高い。
その真相はさておき、重要な点は、天穂日命への大国主の国譲りの物語にせよ、若御毛沼命の奈良盆地の大物主の国への侵入・建国の物語にせよ、いずれも、すでに大国主・大物主の国があった、という前提で記紀が書かれているのである。
記紀をそのまま読む限り、この国は、天皇家の前に、スサノオや大国主、大物主の国があった、という以外にない。
魏志倭人伝は、倭国はもと男王がいて、100余国を7~80年支配していたという。古代天皇の平均在位年数は統計的にみると、平均10数年である(安本美典氏の説であるが、私が計算しても、同じ結果になる)。一方、古事記によれば、スサノオ~大国主は7代である。
記紀が、この国にはスサノオ~大国主の国があった、と記述していることと、魏志倭人伝の記載とは一致しているのである。
・・・・・・・・・・・・・・(引用おわり)
【考察1】
① 石の宝殿や、古代の出雲神殿をいつ、誰がつくったのか、大国主とすれば、その偉業から並外れた統治力をもった「国王」=イエス・キリストが浮かび上がってきます。10氏族の支持と天津日嗣天皇の支持のもとでの国家的プロジェクト→イエス・キリスト
② 記紀に書かれている大国主にかかわる記載の中にある、2度死んで蘇った話、→「死と再生→イエス・キリスト」、
③ 「因幡の白兎」に出てくるの「蒲の穂」や、「ハマグリ姫(ウムギ姫)、赤貝姫(キサカイ姫)の話」は、大国主が豊富な医療的知識を持っていて、慈愛の心で民衆を救い、民衆からも慕われていたということを表しています。→「大同類聚方」日本初の医学書(全100巻)の中には、大国主の薬、スクナヒコの薬というのが多数おさめられています。)「医療の神様」豊富な医学的知識の持ち主と慈愛の心の持ち主→イエスキリスト。
※「大同類聚方」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%90%8C%E9%A1%9E%E8%81%9A%E6%96%B9
④ 出雲には、大きな繁栄を築いた王朝があり、高度な文化があった。高度な文化と民衆の結集力と偉大な指導者→
イエス・キリスト
http://shuchi.php.co.jp/article/1284
≪補足≫
石の宝殿
石生神社の由来書、並びに播磨風土記には、大国主と少彦名が作ったと書かれています。
古代出雲神殿
http://www.highlight.jp/izumooyashiro/05.html
http://blog.livedoor.jp/hohito/archives/734155.html
http://www.ican.zaq.ne.jp/rekishi/episode18.html
動画 http://www.nicovideo.jp/watch/sm6083178
上古においては高さ96mの巨大神殿があったとされています。このような何百年もの巨木をどうやって調達し、運搬し、建築したのでしょうか?国家的プロジェクトのような、確固とした目標、指導力、優秀な技術者、並びに統制のとれた巨大な労働力がなければならず、「100余国を70~80年治めた偉大な王様」が、「100余国を譲れ」といわれて「ハイ、譲ります!」といって、「見返りに、立派な神殿を立てて頂戴(?)」といって、敵に「建ててもらう」なんて、ありえますか?
明らかに、後世「乗っ取った側」が「自分たちが作ってやった」と歴史を偽造した匂いプンプンです。