生野地名
生野地名は、播磨風土記では応神天皇が定めたという地名伝承がある。
・・・が、この地名伝承は「いくの」とは読まなかったようです。
これは、本来、「イヤ」と読む地名だったようです。
イヤとは「始まり」を表す星座信仰が残した地名で、日本の地名のほとんどが漢字以前、星座信仰に基づいてついた地名で、現在、神社に伝わっている神代文字であり、それはアイヌ語であったりヘブライ語であったりするようです。
平家の里で有名な四国は剣山の麓にある祖谷(イヤ)に、
祖谷(イヤ)のそばから、御竜車が三つ下る。
九里きて、九里行って、九里もどる。
朝日かがやき、夕日が照らす。ない椿の根に照らす。
祖谷の谷から何が来た。
恵比寿、大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。三つの宝は、庭にある。
祖谷の空から、御竜車が三つ下る。(神代の残像P53から)
という奇妙な伝承が伝わっているとのことですが、これは女王卑弥呼が居た場所と永遠の眠りに着いた場所を私に教えているようで仕方がありません。
生野(イヤ)のそばから、御竜車が三つ下る。
九里きて、栗行って、九里もどる。
朝日かがやき、夕日が照らす。ない椿の禰に照らす。
生野の谷から何が来た。
恵比寿、大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。三つの宝は、庭にある。
生野の空から、御竜車が三つ下る。
・・・
いつも御宝を載せた御竜車は、北(天)に位置する生野から宝船に乗ってきた七福神と言われた異国の人達と共にやってきて、生野へ戻って行ったことと、御霊が眠る場所には朝日も夕日もと一日中太陽が降り注ぎ、夜には360°満天の星空になる、まほろばの地であることを教えています。
そしてイヤとは、重要なものを長期間保管する場所と言う意味もあるとのことです。
女王卑弥呼の墓の立証から、生野のユダヤの二人の大王の墓の立証をすることが私のお勤めのようです。
地元、兵庫県神崎群市川町に生まれ育ち、古代史を研究している市川慎さんの研究には独創性があり、氏は真実を深く深く掘り下げています。近々、新たに出版の予定とのことですが、私も今から新書を心待ちにしています。神々の名がたくさん登場する神話の世界ですが、キッチリと氏は現代のわれわれに・・、「そうだったのかぁ!」と教えてくれるようです。
私は、氏に出会ったことを誇りに思っています。 出会いに感謝!です。