2018年7月14日(土)
熊本生まれの私が故郷を離れ、西宮から奈良、神戸と移り住んだ土地には全てにおいて振り返ってみれば大いに意味あるところでした。
そして今、いつも見る光景が特徴ある鋭角に突き出した山の情景の地へと誘われたようです。
今年のはじめごろから非常に気になりだした山、・・それが桶居山です。
桶居山のほぼ真北には、天児屋根命の墓とそのラインの延長上に卑弥呼の居城であり陵墓があります。
又、その桶居山のほぼ磁北に大国主命=イエス・キリストの墓があります。
この特徴ある三角に突き出した山を東に見る位置に姫路城があります。
その姫路城は卑弥呼の陵墓に向けて築造されていましたが、天守から北には広峰山系がイエスや卑弥呼、そしてそれら王家の方々が眠る聖なる山々を守護するかのように立ちはだかっています。
そしてその山系に吉備真備が創建した廣峯(ひろみね)神社があります。
その廣峯神社の東手に、寺伝によれば厩戸皇子(聖徳太子)が高麗僧の慧便(えべん)に命じ開基した増位寺が前身であり、後に行基によって中興されたという随願寺があります。
んん~ん、もうそろそろ厩戸皇子(聖徳太子)は、蘇我入鹿であると言わなければならない時代に入ってきたと思う私ですが、ともあれ・・行基、吉備真備がこの広嶺山系から北が重要な場所であり護り祀らなければならない聖なる地であることを教えています。
当然として若き空海さまは遣唐使船に乗るまでの空白年間をこの地に身を置いての、桓武天皇、和気清麻呂率いる平安京建設の国家プロジェクトに参画していますね。
徹底的に広峰山系の北に位置する社寺の位置や建築の配置と、それらを育む山々との関係から我が国の古代史の扉が開かれることでしょう。
播磨、奥播磨が、いかに日本史・世界史において重要な場所であるかを立証しなければなりません。
先ずは、市川と夢前川の間で広峰山系の北に位置するエリアの社寺巡りを今日からしたいと思います。
上の写真一枚はインターネットより・・。
Whatever is now covered up will be uncovered, and every secret will be made known. (Matthew 10-26)
覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはない。(マタイ10-26)