止れ3米後に

本文を入力してください

鶴来駅と機関車・電車・貨車

2009年12月11日 | 旅行記
こんばんは。

いい加減8月の旅行ネタもたまっているので・・・どうにかします。
とりあえず、高山線でキハ58に乗ったあと高岡まで出て万葉線に乗ったのですが、
そこはまたの機会に譲り、今回は北陸鉄道をちょちょいとご紹介。

ここは鶴来駅です。


鶴来駅は、石川総線の中枢とも言える駅で、車両基地が併設されております。
また、訪問時は約半数の電車がこの駅で折り返していました。

地方私鉄や路面電車の車両基地というのは、大体奥の方にその車庫の「主」とでも言うべき車両がいるものです。
その「主」は、滅多に動かない機関車だったり、既に廃車となってしまった電車だったりするわけですが・・・
ここ鶴来の車庫にもいい感じの機関車と電車・貨車がいました。

一つ目はこのED201。

昭和13年に木南車両で製造された凸型電気機関車。
能美電気鉄道デキ1として製造され、合併で北陸鉄道ED201となりました。
かつては貨物列車を牽引してましたが、昭和51年に貨物輸送が全廃となると、除雪用に転用されました。
この写真を撮ったのは夏でしたがスノウプロウは取り付けたままですね。

このほか、昭和29年東洋工機製のED301もあります。
これはまたの機会に譲ります。

次いではモハ3752。

昭和26年に広瀬車両で製造されたモハ5000型に端を発します。
製造時の配属先は加南線でした。加南線は加賀温泉郷への足であったため、車内はクロスシートでした。
時代が豊かになると、モハ5000型の後継車が登場し、昭和39年には石川総線に転じ、ロングシートに改造の上通勤通学の足として使用されるようになりました。
その後、型式が変わったり車体修繕工事を受けるなどして大事に使われてきましたが、1990年代初頭に7000系が導入されると主力からは退きました。
その後は7000系の予備車扱いでしたが・・・数年前に同タイプのモハ3751・モハ3761が廃車となってしまいました。(両車共に保存・活用されている)
それ以降、このモハ3762のみが残されてしまいましたが、これも現在は廃車のようです。
写真の通りパンタグラフは外されてしまい、見る影もありませんが、往時の北鉄を今に伝える存在として貴重ですね。

こんな電車がゴロゴロいたころの北鉄各線を旅したかった・・・はあ。

最後はホム1。

196x年西武所沢工場製の石炭車・・・らしいですが・・・。
一説によれば台枠は明治時代の石炭車とも。調べたら面白そうです。
この貨車、もう何年もこの側線の主となっているようですが・・。

これらは除雪用DL含めて編成を組んでいます。
 
近くの歩道橋より俯瞰もできます。


8月の写真を今頃UPするブログですみません。
加賀一宮も伝説になってしまったのですよね・・・。

※写真は全て敷地外より撮影しております。※

参考サイト:私鉄車両絶滅危機図鑑 Reddata Rollingstock 様
http://reddata.no.coocan.jp/reddata/index.html


ちょっと前の記事よりほとんどの画像が以前より大きくなっています。
クリックすると拡大しますので、気になる画像がありましたらどうぞ!

それでは。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿