昨日の終戦記念日に思うこと。戦争・終戦という社会の激変レベルの変化があったから、その時代を生きた先輩、先生方は弁証法を修得出来たのでは無いのかと。これはヘーゲルにおいてもそうであるし、そもそもの古代ギリシャという弁証法の誕生の時代もそうであったのだと(個体発生は系統発生を繰り返す)。より構造的にいえば、社会の激変ということの反映としてのアタマの中の激変= . . . 本文を読む
古典ギリシャ語では、δπλάγχνον(スプランクノン=内臓)の派生語として「あわれむ、あわれみ」があるということに、古代ギリシャ人の認識の豊かさがイメージされる。
『臓単』(原島広至著 NTS)のコラムで、「古代ギリシャ人は、「はらわたが揺り動かされるほどの感情、心の内奥から沸き起こる感情」という意味で、スプランクノンの派生語が「あわれみ、あわれむ」を意味するようになった(まさに「断腸の思い」 . . . 本文を読む
ようやくにスマッシュ・ハイクリアが打てた。長かったなあ、と。本日のバドミントン教室、練習の終わり頃になって、ようやくスマッシュ・ハイクリアが、パシッという打撃音で打てだした。2月にムエタイのための体力作りとの位置づけで始めたバドミントン。バックハンドストロークは比較的早い時期に打てたのに、オーバーハンドストローク=スマッシュ・ハイクリアは、なかなかに打てず、本日、11月 . . . 本文を読む
ゴールデンウィークに入って気温も上がり、なので雪駄のすすめ。
雪駄というとヤクザものとか品の無いイメージだが、日常的な足の鍛錬具として有効であると思える。
履いてみれば分かるが、近頃のタイル張りとか人工素材のツルツルした床の上では、足の隅々にまで、特に踵にしっかりと力と意識を込めないと、場合によっては込めているつもりであっても、滑って転倒ということになりかねない。加えて、クッション性は零に等し . . . 本文を読む
(サル=)問いかけ的認識の芽ばえ→(ヒト=)問いかけ的認識→労働、を考えている。そこを解く鍵は、もどき像とクリア像との矛盾、その矛盾に「?」「ん?」「あれ?」という認識が生まれる「あれ?」が問いかけ的認識へとなっていく問いかけ的認識と労働の問題もどき像とクリア . . . 本文を読む
国民病ともいえる肩こりについて。それは、その大元は、骨盤後傾によるものと思える。サルが樹から降りて股関節重心での二足歩行をはじめることによるメリットの一つが、上肢の解放による頭部への血流の増加がある。もっといえば、樹上生活での上肢のしっかりとした運動とともにの、樹から降りての二足歩行(股関節重心による)が。ところが、骨盤後傾は、必然的に上背部から首への緊張を、それゆえの . . . 本文を読む
昨日は『看護のための「いのちの歴史」の物語』(以降、「いのちの歴史」と書く」の、猿における「問いかけの芽生え」の記述を見ていくことで、自身の頭をしっかりと整理した、していこうとした。 そこから、これで「唐揚げ」に関わる自身の認識 = 映像を見ていける!としたところまでであった。 それゆえ、本日は「唐揚げ」に関わる自身の認識 = 映像を見ていくところから始まる予定であっ . . . 本文を読む