☆ シマちゃんから色々と教わりました




3歳になった昨年春、シマちゃんは水場もなくオスも居ない隣家に、何故か我が「カエル笑む庭」から脱出して産卵の機会を逃しました。
「今年こそ、卵を生んでもらわなきゃ!」シマちゃんと仲好しの私は、固く心に決めていました。
「笑む庭」には産卵可能なメスが4匹も居るのに、オスは、たったの一匹。苦肉の策として、あぶれオス数匹を某公園から(許可を得て)借りてきて、(勤めを終えたら公園に返します)庭に放しました。
お婿さんの鼻先が向く方向が、お嫁さんの鼻先の方向と時折ずれるのは、シマちゃんの体が太めのせいです。
最初の写真は3月5日、零時55分です。次は翌日6日の午後2時過ぎ。
産卵に備えてか、睡蓮鉢に入ったり出たりを繰り返していました。
オスの体色の変化に驚かされました。ネコの眼のように、目まぐるしく変わるのです。





急に冷え込んで、雨・みぞれ・雪まで降って冷え込んだ10日の夕方6時近く「あ~、やっと!」産卵している様子でした。
生みたての寒天質に守られた卵は茶色に見えます。黒い卵は他のメスが数日前に生んだものです。
シマちゃんは鼻孔を、僅かに水面上に保っています。
パンパンだった横腹がシワシワになっているのは、お腹に溜まり溜っていた卵が排出されて、シマちゃんの太鼓腹が縮んだから?
番いが居なくなった睡蓮鉢の左上1カ所が濡れているのは、シマちゃん夫婦が此処から外へ出たからです。
近くから観察しますと、卵嚢が一筋。シマちゃんの生み残しがシマちゃんの体から引きずられたのでしょう。
「シマちゃん、お目出度う! 長い間お疲れさま! 私の願いが叶って、こんなに嬉しいことはないわ」
pairになってから一週間も掛かって、シマちゃんは無事にメスの大役を終えました。
産卵を終えた今は睡蓮鉢そばの落ち葉に包まって、お婿さんと仲好く春眠(しゅんみん=産休)と洒落込んでいます。
カエルのメスもオスも長~い(5ヶ月近い)冬眠のあと直ぐ、水は腹部から補給しても一週間いじょう何も食べずに、昼夜にわたって全力投球しましたから。
シマちゃんは今度いつ目が覚めるのかしら? 暖かくなって動きはじめたら、ご褒美にミミズを一匹あげましょう!
* * * * *
*
誤解のないよう、以下の(長ったらしくて済みません!)注釈を加えます。
1 私は私庭に棲むカエルさんたちを「餌付けしよう」などと考えたことはありません。本来の野生が失われては、観察の意味が全くありませんから。室内での箱入り飼育でしたら、餌付けも可能でしょうけれど。私は生きものを箱に閉じ込めたくありません。広さ5坪足らずの庭でもカエルの居場所を探すのは至難のわざです。人間が想像もつかない場所に隠れていることが多いからです。カエルだって自由が欲しい筈です。カエルの身になって考えますと、一日でも箱に幽閉したくありません。
2 我が家には小さいながら土の庭があり、カエルにとって最低でも10メートル以上の行動範囲があります。廃校になった近くの小学校の池から変態上陸した子ガエル達が知らない間に、かっては現在の倍以上に広かった我が家の庭のアチコチに常に何匹か棲みついていました。我が家は密閉度が高いブロック塀でなく、大きな目の金属網で囲まれていましたから、生きもの達は出入り自由で、昔はカエルは勿論、トカゲ・ヤモリ・モグラも居ました。
3 人間の手が入っていない自然に近い環境で長年の観察結果、カエルは冬眠前にどのくらい肥ったら良いのかを把握しました。家のカエルさん達が痩せ過ぎの場合は、自然の餌をやります。私が「カエルおばさん」ということを知っている近隣の方々から、捨ててしまう芋虫などを頂くこともあります。
4 カエルには性格の違いがあって、人間に馴れやすかったり馴れにくかったりします。メスはオスに比べると温厚で順応性があるのは天性でしょう。繁殖のときの必要性格なのでしょうか。シマ子ちゃんは例外中の例外です。二年前のこと、私が夜中に庭に入りますと、怖ず怖ずと私の近くに寄ってきて可愛らしくアタシを見上げたのです。それに彼女の冬眠場所が私が出入りする唯一の勝手口前だったのも、今から考えますと不思議です。毎朝毎晩毎夜中、私の三種の神器(懐中電灯・近眼のメガネ・カメラ)持参で庭を観察するアタシを、
なんと! シマちゃんは人間のアタシを庭のどこからか観察していたのです。
5 それでもシマちゃんは一昨年の秋、我が家の庭を脱出して筋向かいの家の植え込みで冬眠しました。雄ガエルは冒険好きです。シマちゃんは雌なのに密かに遠出して車にもオートバイにも轢かれず、私に発見されるまで無事に生きていました。これは奇跡に近いことですが、彼女の聡明さが行動を助けたから、かも知れません。
6
人間と野生生物たちは如何にして共生したら良いか?
ということを、身じかな生きもの観察によって見いだすことが私の最終目標です。
そのために、私が愉しく彼等を観察すれば、他の人々も愉しくなって、やがて興味を持って、生きもの達との共存・共生に一役買って下さることを強く願い、切に祈って、私は今も観察を続けています。