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カエルが楽しく笑う庭

両生類を主体として彼等を取り巻く都会の自然環境と、投稿者のつれづれなる思い

<big>梅雨どきの東京都新宿御苑 最終篇</big>

2014-07-08 21:32:09 | 東京風物
☆旧御涼亭(台湾閣):  皇太子(後の昭和天皇)の御成婚記念として1927年(昭和2年)に建てられた中国風木造建築は、東京都選定歴史的建造物に指定されています。




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        *

建物は、借景に負けないくらい美麗です。

建物の中からの眺めは溜め息が出るくらい自然と融合しています。

しとしと雨に濡れた新緑の美しさは、価(あたい)千金以上でした。

カメラを抱えた若い異国人男性の、うっとりしているような姿に出くわしましたよ。 

                 この編おわり




<big>葛飾柴又</big>

2014-07-02 22:52:47 | 東京風物
☆帝釈天参道沿いを散策しました


Dsc_4134_2Dsc_4135_12Dsc_4137_2Dsc_4138614_15_2私の祖父は慶応4年に、今の新宿区で生まれました。正確には、江戸尾張藩牛込原町に存在した下屋敷でです。

時は激動の時代の最中で、将軍さまに従って一家は籠に揺られて駿府へ行ったそうな。

尾張藩の幕臣達の屋敷は官軍が攻め上って(原町辺りは江戸の高台に位置します)来るような不安情勢であったらしいです。

駿府では百姓をするしかなく、江戸開府以来直参旗本の役職ではこれも叶わず帰京したら、

家屋敷は既に官軍に乗っ取られていた、という話が我が家に伝わっています。

幕府の禄を離れたとき、国から幾ばくかの国債を拝領したけれど使える代物では無かったとか。

それで一家は、祖父の祖父の後妻であった柳橋の芸妓のツテで、浅草田圃へ引っ越しましたとさ。

そのご、本所に居を構え、本所界隈で手広く部屋貸をしていた大家と娘に見初められて祝言をあげ、母親が17歳で生まれた長男は私の父親です。

我が家の親類縁者は市川から八王子間の総武線沿線に住んでいましたから、柴又には一向に縁もゆかりもありませんでした。

私にしましても何か田舎っぽい気がして、一向に興味がありませんでした。

東京を知らずして、東京を語ることは出来ません。

所属する写真倶楽部の大きな利点は、好き嫌いを問わずに見聞を広めることが可能なことです。

それに地名やイワレで、特定の地域に偏見を抱くのは詮無きことです。

小学校の高学年のとき、我が家は故あって山の手から豊島区池袋へ引っ越しました。

池袋の評判は、とても悪いものでした。

「ブクロのネエちゃん」と言われるのが厭で、住所を訊かれると「目白」と偽っていました。

今の池袋は便利この上も無い場所です。

昔の悪い評判を払拭するべく、行政が躍起となってくれています。

街中の放置自転車対策に週に一回、私も協力しています。

健康と安全のため、極力歩行を心がけているからです。

合繊性防水で履き易い靴を履き、一日8888歩を目標にしています。

歩行のための歩行でなく、用事のための歩行で大地を闊歩しています。

カバンを背負い、雨にはポンチョを羽織りGORTEX製の帽子を被って、万事愉快です。

方策次第で此の世は、どのようにも変わります。

東京内を歩くことは見聞を広めるだけでなく、健康にもいいのですねぇ。















<big>久し振りに東京駅へ行った</big>

2014-04-19 06:16:39 | 東京風物
☆どんどん変貌する東京駅界隈




昨日は八丁堀(江戸時代から戦後まで江戸/東京に存在した水路の名)に用事がありました。

帰宅時は、街の様子が掴めない地下鉄を中止。八丁堀から「江戸バス」に乗って東京駅の八重洲口へ向かいました。

江戸バスは、現金かsuicaで100円払って乗る小型busで乗り心地抜群です。

かっては皇居側の丸の内に位置する商事会社に勤めていたこともある私からみますと、現在の八重洲口側は発展途上国のよう。

東京駅構内女子用洗面所の清潔なこと。

洗面所内に傘の忘れ物が2本もありました。物が豊かなせいなのでしょう。

階段を上って目的の山手線に乗りました。

驚いたことに車両はピカピカの新車両で、内空間が従来のものより遥かに広く見えます。

座席も改善されて座り心地よく、まるでgreen車両並の快適さ。

貼り巡らされた広告のポスターの説明文が全部英字で、一瞬のこと英語圏に居るような錯覚を覚えたほどです。

兎にも角にも、車両内の乗客達の身なりが好いのです。此処にも忘れ物の傘が放置されていました。

誰も彼もが履いている靴が清潔で立派なのです。ぼろぼろの服もカバンも靴も見受けられませんでした。

「ああ~、日本は裕福なのだ」と感じました。

若い世代は、ここでもsmart phoneに夢中でした。

6年後の五輪に備えて、政府が全てを改良美化している魂胆が見え見えです。

これでは「消費税値上げは致し方ない」、と収入が微々たる私でさへ大いに納得。

うわべ、見てくれ、が改善美化され便利になっていく東京!

東京の墨田区で生まれ、中野区で育って、豊島区に住む私は、まるでオノボリさんになったような気分でした。

竜宮城から帰った浦島太郎の気持ちが、よ~く分るような体験でした。













<big>東京都内に残る古い建物</big>

2014-03-20 03:01:15 | 東京風物
☆それぞれ捨て難い、趣のある美しい日本建築です



Dsc_3293_5Dsc_3291_7Dsc_3279_11♪ 私が大好きな日本の古民家です。

戦火を免れたのでしょう。東京都北区高台の一等地に東(南?)を向いて建っていて今も現役のようです。

この家を手掛けた大工さん達の素晴らしい仕事振りと矜持が偲ばれます。

係わった仕事師と発注者にとって此の家の完成は、さぞかし誇らし気だったことでしょう。

私は専門家ではありませんが何時の日か、もっと近くで全てを拝見したい、と願っています。

♪ 「亀の湯」という名前も床しい銭湯です。大道りに面してシッカリと建っています。

間口が広くて堂々としています。人間に例えて言えば横綱級です。

一度見たら忘れられない風格があります。廃業前に一度は「亀の湯」さんで入浴しなくちゃ。

♪ 林立するビルに挟まれて残っている戦前の薬局です。明らかに廃業しています。

東京の東池袋、かっては根津山と呼ばれた広大な一角を向いて、古くなっても可愛らしい薬局屋さんに声を掛けたいわ。「頑張って!」(些か意味不明ですが)



♪♪♪ 総じて、昔の建造物には好ましい個性がありますねぇ。classic car のように。私は大好きです。





















<big>お江戸浅草今昔ものがたり</big>

2014-02-08 04:01:52 | 東京風物
☆まるで私は「お登りさん」になった気分でした


Dsc_2830sky_tree_2Dsc_2832_2Dsc_2836_7「浅草かえるアートの会」の会合が、2月2日(日)の午後2時から、浅草の文化観光センター(仲店通りの出発点にある、一見してゴミのようなbuilding )の4階で行われました。

新年会は場所を移動して、見晴らし場所と喫茶がある最上階で行われました。

最上階に着いて暫く、私は私の目を疑いました。

写真のような景色を目にしたからです。

オノボリサンもいいところ!!!

東京に生まれ、東京で育ち、今も東京に住んでいながら......。

ここを、今迄、知らなかったとは!!!



それにしましても、ここにも無味乾燥な箱型のビルが多いこと!

恐れ多い雷門を眼下に見下ろして善いものなのでしょうか?

写真を撮るのも、写真をweb-blog に載せるの、気が引けてなりません。

ビルに囲まれて窮屈そうな浅草寺と五重塔!

こんな眺望にしてしまった人間の強欲、俗悪性の固まり、美意識欠如を嘆いて余り有ります。

















<big>女性有名人と握手をしました</big>

2014-02-06 20:54:45 | 東京風物
☆デヴィ・スカルノ夫人とです

Dsc_2930_2Dsc_2933_3今日の午後、池袋駅から埼京線で二つ目、十条駅商店街にある小鳥屋さんへ行きました。スズメの餌を買いに行ったのです。

まさか、十条駅前広場で東京都知事候補者の選挙演説が行われていたのに出喰わすとは、予想になかったことです。

真面目人間そうな候補者の隣でマイクを手にしていたのは、紛れも無くデヴィ夫人でした。

演説が御上手なのに感心しました。押し付けがましくなくて好感が持てるものでした。

演説終了後に演台を降りて、商店街を歩きながらの握手交換時間になりました。

握手攻めの女性たちの間隙を縫って夫人に近着き、俗っぽく私も右手を差し出しました。

白い木綿の手袋を着用した夫人の指は、とても華奢な感じでした。

「演説が御上手ですね」と告げると、ビックリされた様子で目を大きく見開かれました。

握手をしたまま可成り長いあいだ無言でしたが、私をまじまじと見詰めておいででした。

悪い感じはされなかった、と確信しています。

賞賛の言葉を掛けられるとは予想外のことだった、と想像します。

スズメさん有り難う、今日の午後アナタ達の御蔭で絶世の美女と握手ができましたよ。







<big>きのう渋谷へ行った</big>

2013-12-28 10:11:01 | 東京風物
☆映画を観に

芸術家夫妻の生 き方が、此のたび映画になったことを知った。
New York に40年住んでいる日本人夫婦と息子さん。

初めて目にした個性的な二人に、私は釘づけになった。
TV を持ち合わせないので、ひたすらPC で検索して情報を掻き集めた。

やがて、どうしても映画を観たくなって、矢も盾もたまらず渋谷へ向かった。
映画館を探しながら、何十年振りかの渋谷裏道を歩いて唖然とした。

スペイン坂辺りの、土だった地面は全て石で舗装されている。
渋谷の此の辺りは数十年前まで田舎風景が広がっていたのである。

こんなことは、どうでもよいこと。

恥ずかしながら、私は今回初めて御二人を知った次第。
ある意味で、彼等から衝撃的なパンチを食らった感は否めない。

どこ迄も天衣無縫な旦那に、しっかり者の奥さんが主人公。
意表をつく前衛芸術行動は驚異的で面白い。



http://www.parco-art.com/web/museum/exhibition.php?id=616



苦労をかけさせられた妻の辛辣な言葉とは裏腹に、天使のようなあどけなさ。
飽きさせることがない物語り展開に、まだ二十代の若き監督の才能を見た。

渋谷駅前の賑わいに、私は肝を抜かれるばかりであった。
それに引き換え、池袋西口駅前は寂しいぐらいの静寂さも驚きであった。




















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<big>武蔵野の落ち葉</big>

2013-12-01 20:41:38 | 東京風物
☆秋の匂いは落ち葉の匂い


Dsc_2379_2井の頭自然文化園で「水辺の生きものを守る』という講演会が昨日ありまして、参加しました。

講演の内容は次回に紹介させて頂きます。

講演が終わって会場である彫刻館の出口を出たとき、えも言われぬ芳香が私の鼻を刺激しました。

東京の昔の秋の匂いでした。

それは、今考えますと落ち葉(主にケヤキ)の匂いだったのです。落ち葉と土が交じった匂いかも。

昔の東京には四季の匂いがありました。

が、緑が失われ、木造の家が減り、河川が埋め立てられ、地面という地面がコンクリートで固められるようになって、四季の匂いは消滅しました。

井の頭公園は武蔵野の一部です。

東京は、かっては武蔵野国でした。私が生まれ育ったのは武蔵野国です。

何年振りかで、武蔵野の大地に漲る秋の匂いを嗅ぐ機会に恵まれて、懐かしかったです。

「水辺の生きものを守る」という素晴らしい講演に参加した御蔭で、私は願っても無い大きな御褒美を頂いたようです。



<big>手水舍の反省文</big>

2013-11-30 19:52:27 | 東京風物
☆反省文は心に沁みました


Dsc_2350_4鉄砲洲の稲荷神社は大正12年(1923年)の関東大震災では大きな被害を蒙ったが、昭和10年(1935年)以降本殿や神楽殿が再興され、現在の形が整った。

昭和20年(1945年)の東京大空襲では被害を免れ、昭和初期の神社の形式を今に伝える。


この神社の立派な手水舍に掲げてある反省文には、

威張るときには   神に捨てられ

欲張るときには   金に捨てられ

嫉むときには    友を持ち得ず

怒る時には     己を失うのだ


と書かれてあります。

とても良い反省文だと、感心させられました。









<big>東京都中野区の哲学堂公園 その2</big>

2013-11-03 10:07:03 | 東京風物
☆何を隠しましょう、哲学堂公園は私が小学生のとき初めての遠足で訪れたところ。その時の印象は川が汚れていたことです。


Dsc_2187Dsc_2214Dsc_2195世界の歴史上の六賢者を祀った六賢台が緑に映えています。

上手に並べられた地境用の自然石が美しいこと!

まるで世界大陸地図のような苔の広がり。

私は地面を這う萌葱色(もえぎいろ)のコケが好きです。

隅っこでなく堂々と道の真ん中で残念、靴で踏まれている痕跡あり。












Dsc_2212Dsc_2269Dsc_2268これからが紅葉の季節です。

哲理門の屋根全体を写しました。

公園に沿って、流水が澄み切っている妙正寺川が流れています。

カモの群れが泳いでいました。

今は昔とは打って変わって、川底の石さへも見ることが出来ます。



<big>第二回かえるアート文化祭・最終篇</big>

2013-10-17 20:18:14 | 東京風物
☆個性的な生産者に個性的な顧客さん達


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他では見られない風景がありました。

黒板に紙の花を使ってカエルさんの絵が作られてありました。

小学生の豆画伯が二人参加していたのですが、母親を交ぜて御互いに親しく交流していたようです。

いいですねぇ。とても微笑ましい光景でした。

会場の裏口風景です。

最後は、夕闇近い旧小学校の入り口です。



<big>わが町の秋祭りを愛す</big>

2013-10-02 05:08:24 | 東京風物
☆御祭りに参加しない、御祭りを観ない、のは勿体ない!


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Dsc_1817_3Dsc_1851_2Dsc_1822Dsc_1824Dsc_1831*     *     *     *     *
老いも、若きも、幼きも、金色に輝く御神輿を担いだり、触ったり、崇めたりした一日でした。

御祭り好き、御神輿好き、の人々にとっては絶好の秋晴れ日でした。

地元の御祭りを軽蔑していた私の若い頃とは打って変わって、御神輿を追っかけしたい現在心境の私がいます。

町会によって異なる印半纏(しるしばんてん)を、腰につけた巾着を、肩から下げた巾着袋を、普段は見られない男性達の脚を、幼い子供達の装いと動作を、じっくりと誰に憚ることなく見放題なのは実に愉しい。

日本人には法被(はっぴ)と鉢巻きがよく似合うものだ、と感心しっぱなしの一日でした。









<big>昨日は氏神様の御祭りでした</big>

2013-09-30 20:14:02 | 東京風物
☆毎年撮る御祭りの写真はマンネリ化しています


Dsc_1827_4Dsc_1864腰の巾着袋が鯔背(いなせ)です。

登り龍刺繍柄のようです。

形のよい臀部に巻いた布(半纏帯というらしい)の色合も、ハッピの柄も、粋です。

御神輿も担ぎ手も神酒所(みきしょ)前の公園で休憩体勢に入る寸前のことでした。

何故か裸足(はだし)の坊やが御神輿担ぎの先頭を走って行きました。

呼子笛をくわえたまま。

御祭りの参加者のなかでも最も元気。大いに将来が愉しみな坊やの微笑ましい姿に、胸を打たれました。



<big>東京盛夏の植込み</big>

2013-07-17 19:15:08 | 東京風物
☆太陽がいっぱいなので、水がいっぱい必要です

Dsc_0685Dsc_0705_2Dsc_0711_6植込みに一本ある柑橘類の木に所狭しと産みつけられたナミアゲハチョウの卵です。育つのは、この内の僅か。

ニガウリの花は小さいけれど強い芳香を漂わせますので、早起きの愉しみです。

形の良い手頃な大きさのキュウリが3本も生りました。




Dsc_0718629Dsc_0750_4Dsc_0792蔓性のニガウリは杉板塀まで触手を伸ばしています。

見事な連なりミニトマトが育って我ながらビックリ。近所の方に差し上げましたら大層喜ばれました。

雨が降ると何処からともなくヒキガエルさんが姿を現し、カエル好きの私を喜ばせてくれます。



<big>第五回浅草かえるアート展 2</big>

2013-06-11 18:11:45 | 東京風物
☆予想を遥かにこえる優れた作品が集まりました


Dsc_0395_2Dsc_0398_2Dsc_0414_4Dsc_0401Dsc_0408_5かえるアートの会のロゴマークです。会員と一般から募集しました。

決定したのは鈴木織恵さんの作品です。「カ・エ・ル」発音時の口の形が意表を突いています。色も良くカエルさんも可愛くて素晴らしいマークです。

(私も応募したかったのですが肝腎な絵が描けません。意匠だって今一。ただ、ロゴマーク作成の発案者は他ならぬ私です(誇)、誰も言ってくれないので敢えて自分から(恥))

似顔絵を描いてもらっているのは、新進の若き挿し絵画家さんで若干25歳。ういういしさがいいですねぇ。背景は受付で、若い女性と男性が詰めていました。

親子で塗り絵の御絵描きをするなんて、いいですねぇ。私の場合は、親子で御習字でした。

縞模様の手ぬぐいの上は、紙粘土と水彩絵の具を使った「ガマ親分とちびズ」です。

何故だか私が、とっても好きな作品です。

次は七宝焼を制作している神奈川在住の男性作品で、カエルが波間に顔を出しています。仕上がり表面が美しい作品です。

「神奈川沖浪裏」を真似て創られたのでしょう。私が敬愛する葛飾北斎画伯が見たら苦笑ものですね。

浪の形に苦心の跡が見えます。北斎流絵画の見事な曲線に肉迫しています。