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カエルが楽しく笑う庭

両生類を主体として彼等を取り巻く都会の自然環境と、投稿者のつれづれなる思い

<big>御年96歳の先輩</big>

2014-01-30 19:52:11 | 日記・エッセイ・コラム
☆美しい老いもあるのですね




Dsc_21491970年の8月19日に若かった私は、この写真の方の御住まいに伺いました。

この方の御父上である師範に会って、自彊術を習う為です。

8畳の奥座敷で、久家恒衛大師範から自彊術を学びました。それから44年も経ちました。

この方は御歳96歳になられました。

写真は昨年10月29日に私が撮ったものです。

動画は池袋テレビさんが今年1月28日に撮影しました。

御歳にしては元気な御声と、シッカリした記憶力に驚かされます。




http://ikebukurotv.com/people/19-ikeppl/1095-ppl20140129taka


<big>想い出の続き ー前編ー</big>

2013-04-21 20:24:08 | 日記・エッセイ・コラム
☆記憶の糸を手繰(たぐ)って


Imgp2008今日は四月には削ぐわない低い気温で、おまけに雨まじりの寒い日でした。

私庭の満開のオオムラサキツツジの花房は、冷たい雨に叩かれて首を垂れていました。(状況写真です)

考えてみますと、私が幼かった日々の記憶の中にある年輩者の殆どは既に故人になられました。

生まれた人は誰でも鬼籍に入るので、これは当たり前のことなのですが。

お向かいの家の御主人は確か九州出身の方でした。子供だった私の目から見ても人格者に見えました。

私の両親は御夫妻を尊敬していたに相違ありません。

小学校に入学して初めて貰った通信簿を、お向かいの家の旦那さまに御見せしたのは只の一回だけ。

何故ならば、通信簿を御見せした年に急逝されたからです。今では、見て頂いて本当に好かったと思っています。

母から通信簿を見せるように言われたとき、私には厭だとか、恥ずかしいとかいう感情はサラサラありませんでした。

木の御門の呼び鈴を押して立派な御庭に入って、縁側の外から縁側に座った旦那さまに手渡して見て頂きました。

両親に見せたように、ごく自然に見せました。通信簿を手にされた御姿と御顔の表情と言葉が、朧げながら鮮明に思い出されます。

結婚されて小さい御子さんがある一人娘さんの三人家族と同居されて居られましたから、5・60歳代ぐらいだったのかしら?

黒っぽい御着物を召された旦那さまの端正な横顔が、今でも目の奥に浮かびます。

家の大黒柱を失った二世帯家族は間もなく何処かへ引っ越されてしまって御屋敷は空き家となり、暫くのあいだ私の心にポッカリと穴が空いたようでした。











<big>物心一如</big>

2011-10-04 06:45:32 | 日記・エッセイ・コラム
☆心身一如という言葉もあります

Imgp2156_41985年~1993年まで私は豪州に住んでいました。

豪州人達に経絡指圧と自彊術と日本料理を教えていました。傍らbush walking と bird watching の団体に籍を置いて、好きな趣味を存分に楽しんでいました。

SPOLITO MELBOURNE という文化祭典が催されたときは、舞踏集団である「山海塾」を追ってメルボルンへ行き「日豪プレス」という日本語新聞から依頼されて新聞記事を書きました。

「心身一如の美学」という表題で書いた山海塾の取材記事は新聞に大きく掲載され、お陰様で好評のようでした。

この表題は私の創作です。人真似が嫌いな私は、既成とか並の表題を決して使いません。

その後は、米国と英国に都合2年滞在して1995年に日本に帰国しました。

平成9年に、日本画家であった叔母が96歳で亡くなりました。貰い受けた数多の叔母の遺品の中に初頭に掲げた額がありました。

漢学者で書家であった私の祖父・春日井柳堂の晩年の揮毫です。

書列の曲がり具合が気になって、初めは余り好きになれませんでした。

別に打ち合わせた訳ではないのに、会話を交わした事が一度もない孫である私と、何か同じ接点があるような奇妙な思いを長い間ずうっと抱いていました。

一方、去る10月2日(日)東京お茶の水の「明治大学 academy hall 」で、和歌山が生んだ知の巨人と云われる南方熊楠のシンポジウムが開催され、参加申し込みを許可された二千二百人の中の参加者の一人となることが出来ました。

展示会場には故人のdeath mask 、幼少時代からの写本の一部、世界最長の履歴書、書簡類、彩色された学術書など、全て非常に細かい字で和紙に毛筆書きされた遺品類の数々。

どれを取りましても、驚愕に値する遺品です。

ガラスケースの中のデスマスクは遠くから拝見しても生々しく、私は目を閉じ事前に合掌してからマジマジと拝ませて貰いました。

展示会場内で、三回も拝見した前後の度に合掌したのは恐らく私ひとり。たかが形骸! でも私は、そうせざるを得ませんでした。会場で合掌する事に少しばかり躊躇いましたが、私に出来る最大の敬意を表したかったのです。

シンポジウムの基調講師は作家である荒俣宏氏、講師は中村佳子氏、井川憲明氏、黒田大三郎氏、和歌山県知事である仁坂吉伸氏と、そうそうたる面々。

結論は、「物」と「心」の重なりに存在する「事」即ちを見直して大切にして、末永く継続させるよう努力しよう、ということでした。

会場で私は家の居間に掲げてある祖父の書を、ふと想い浮かべました。

そして『あれは祖父の遺言だったなのではないか』と感じました。「事」=命は暗示されているのかも。

此の書の由来は、叔母からも父からも誰からも何も聴いていません。

10年以上が経って、やっと謎が解けました。

PC のkey を打ちながらでもなんでも、この書を毎日見られる有り難さを、独り静かに噛み占め始めて三日目になります。