☆心身一如という言葉もあります

1985年~1993年まで私は豪州に住んでいました。
豪州人達に経絡指圧と自彊術と日本料理を教えていました。傍らbush walking と bird watching の団体に籍を置いて、好きな趣味を存分に楽しんでいました。
SPOLITO MELBOURNE という文化祭典が催されたときは、舞踏集団である「山海塾」を追ってメルボルンへ行き「日豪プレス」という日本語新聞から依頼されて新聞記事を書きました。
「心身一如の美学」という表題で書いた山海塾の取材記事は新聞に大きく掲載され、お陰様で好評のようでした。
この表題は私の創作です。人真似が嫌いな私は、既成とか並の表題を決して使いません。
その後は、米国と英国に都合2年滞在して1995年に日本に帰国しました。
平成9年に、日本画家であった叔母が96歳で亡くなりました。貰い受けた数多の叔母の遺品の中に初頭に掲げた額がありました。
漢学者で書家であった私の祖父・春日井柳堂の晩年の揮毫です。
書列の曲がり具合が気になって、初めは余り好きになれませんでした。
別に打ち合わせた訳ではないのに、会話を交わした事が一度もない孫である私と、何か同じ接点があるような奇妙な思いを長い間ずうっと抱いていました。
一方、去る10月2日(日)東京お茶の水の「明治大学 academy hall 」で、和歌山が生んだ知の巨人と云われる南方熊楠のシンポジウムが開催され、参加申し込みを許可された二千二百人の中の参加者の一人となることが出来ました。
展示会場には故人のdeath mask 、幼少時代からの写本の一部、世界最長の履歴書、書簡類、彩色された学術書など、全て非常に細かい字で和紙に毛筆書きされた遺品類の数々。
どれを取りましても、驚愕に値する遺品です。
ガラスケースの中のデスマスクは遠くから拝見しても生々しく、私は目を閉じ事前に合掌してからマジマジと拝ませて貰いました。
展示会場内で、三回も拝見した前後の度に合掌したのは恐らく私ひとり。たかが形骸! でも私は、そうせざるを得ませんでした。会場で合掌する事に少しばかり躊躇いましたが、私に出来る最大の敬意を表したかったのです。
シンポジウムの基調講師は作家である荒俣宏氏、講師は中村佳子氏、井川憲明氏、黒田大三郎氏、和歌山県知事である仁坂吉伸氏と、そうそうたる面々。
結論は、
「物」と「心」の重なりに存在する「事」即ち 命 を見直して大切にして、末永く継続させるよう努力しよう、ということでした。
会場で私は家の居間に掲げてある祖父の書を、ふと想い浮かべました。
そして『あれは祖父の遺言だったなのではないか』と感じました。「事」=命は暗示されているのかも。
此の書の由来は、叔母からも父からも誰からも何も聴いていません。
10年以上が経って、やっと謎が解けました。
PC のkey を打ちながらでもなんでも、この書を毎日見られる有り難さを、独り静かに噛み占め始めて三日目になります。