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カエルが楽しく笑う庭

両生類を主体として彼等を取り巻く都会の自然環境と、投稿者のつれづれなる思い

<big>豪州人 Nigel Reid からの便り</big>

2012-12-28 20:31:06 | 豪州居住八年 (1985 年~ 1993年)
MERRY CHRISTMAS and HAPPY NEW YEAR



Dear friends,


Once again the year has flown by with frightening speed. It’s been quite an eventful year for us on a number of fronts and we’ve been thankful for the great natural beauty that surrounds us. We hope your year has been a good one; and for the coming year we wish you all the very best in:
Love, Peace, Health and Happiness


Nigel, Yoko & Sean



Yoko taking a walk along the beach at Byron Bay on her 49th birthday.



My how fast they grow up! Sean turns 18 in January. He completed high school this year and is now enjoying a well earned rest after the stress of the final exams in October. He is contemplating a gap year before starting university.



Kuku-chan, our wild kookaburra, is still a regular visitor after more than 15 years, during which she has raised many young. She continues to fulfill her unofficial role as ambassador for the environment with great aplomb, delighting all our guests, young and old.



Our green tree face regularly as frogs that are so our ponds.



Water Lily



A pair of Buff-Banded Rail has recently set up home by the ponds in our Japanese Garden and continually delight us as they go about their activities, including conducting pest control on our behalf.
snake shows his he hunts for the plentiful around



Crocus Lilies blooming after a rain shower.


各文章に、それはそれは美しい写真が添えられています。

見出し写真を除いて、全てpdf で送られて来た為に当面のところ変換できなくて、ここに添付できません。

英文を載せるだけに留まりますことを謝罪いたします。




<big>美しい大地</big>

2012-12-27 21:09:02 | 豪州居住八年 (1985 年~ 1993年)
☆八年住んだオーストラリアからの便り


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Dear friends,



















Once again the year has flown by with frightening speed. It’s been quite an eventful year for us on a number of fronts and we’ve been thankful for the great natural beauty that surrounds us. We hope your year has been a good one; and for the coming year we wish you all the very best in:
Love, Peace, Health and Happiness
                     




Nigel, Yoko & Sean






1982年來の友人から、恒例のXmas 便りがe-mail で届きました。

彼と家族はBrisbane の郊外に住んでいます。文中に書かれているように、美しいところです。

他にも興味深い写真が載っています。流麗で詩的な説明文章は、彼の得意とするところです。

知的で感性に富んだ彼の文体に接する度に私は、いつも酔い痴れるような快感を覚えます。

PC 操作の都合上、次回に御見せ致しましょう。





<big> Living in Australia for eight years (1985 ~ 1993 ) No.4</big>

2011-01-21 21:49:07 | 豪州居住八年 (1985 年~ 1993年)
☆初めて買った自転車用ヘルメット


Imgp0214豪州再訪は1985 年 10 月。季節は過ごし易い春でした。

海岸沿いには名の知れない可憐な花が咲き、岩陰に野ウサギが棲んでいました。(今も居るかしら?)

少しづつ仕事をし始め、Tram に乗って市の中心地へ出ましたが程なく自転車を買って、私には超キロ距離を時おり往復しました。

ヘルメット着用は法律で義務付けられていました。鮮やかな黄色で赤い縁取りがあるものを、一目で気に入り即購入しました。

Victoria 州の製品で、美しく頑丈に作られています。買った時から25年も経っているのに何処も悪くなっていません。

豪州職人の律儀さを感じさせるヘルメットです。

その後1994年から四年間住んだ京都では、毎日のように着用していました。

このヘルメットを冠って赤い自転車で走る私を目にした京都人の驚きの表情は、異様な私の姿に負けず劣らず滑稽でした。

日本人は自転車乗車時にヘルメットなんぞ冠りませんから、私の出立ちは宇宙人のようだったようです。

月光仮面 ! とか、いろいろ言われましたが意に介せず、私は安全性を第一として京都市内を縦横に走り回りました。

1998年に帰京してから自転車に一度しか乗っていません。東京都内は豪州や京都に比べますと、交通事情は危険極まりありません。

黄色いヘルメットは、今や非常時に備えて我が家の玄関先に保管されています。



<big>我が家ネコ三匹</big>

2011-01-20 15:00:22 | 豪州居住八年 (1985 年~ 1993年)
☆寒いので、丸くなっています


Imgp8589_6Imgp8597_2快晴が続いて、ネコちゃんたちは日向ぼっこを楽しんでいます。

三匹なので、組み合わせが三通りに変わります。

今日はブシが単独で西向きの行李に入っていました。

毛布を背中に被せようとして、ちょっと御高祖頭巾風に折ってみました。

ブシの両耳を隠したら何に見えるかしら。それにしましてもネコの目付きには、只ならない気配がありますね。

アタシを何と思っているのか、何を考えているのか、ブシに尋ねてみたいです。


<big> Living in Australia for eight years (1985 ~ 1993 ) No.3</big>

2011-01-19 22:18:33 | 豪州居住八年 (1985 年~ 1993年)
☆日本文化バンザイ!


Imgp0204私は漢字が好き。平仮名が好き。筆文字が好き。万葉集が好き。

アデレイドで親しくなった Rosemary Savic 。両親はオーストラリアに移住したドイツ人とユーゴースラヴィア人。知的で野趣に富んでいる20代後半の女性でした。

気が合って、多くの時間を一緒に過ごしました。或る日、ローズは私に言いました。

『貴女は日本に生まれて良かったわね』「どうして?」『だって、漢字が読めて、書けて、お習字も出来て、着物も着られるし、日本料理が出来るし、その他いろいろ......』

日本の伝統文化は素晴らしいです。筆でしたためた万葉集は素晴らしいです。

高校生時代に血が繋がらない遠縁の老夫婦(若い頃米国に移住されました)から「アメリカに留学したいなら面倒を看ましょう」という願っても無い申し出を受けました。

日本には学びたい伝統文化がイッパイあるのに、アメリカには取り立てて何もありませんでした。言語は伝達の手段。英語をbrush up するためだけに行くのは勿体ない。不遜にも、「アタシが行くときは、日本文化を教えに行く時だ」と直感しました。

時が過ぎて不遜な言葉を忘れた頃に、パリに住むフランス人の友人から指圧を教えに来てくれないか、と誘いを受けましたが断りました。

その後、豪州のSydney に在った East West Centre から熱心な要請を受けました。

三度目には、「誘ふ水あらば、いなむとぞ思ふ......」と豪州に行く事を決意しました。

写真は、父親の筆書き文字を愛していた私が、父が70歳を越えた晩年に私の目の前で書いてもらったものです。

ぶっつけ本番で、全く筆を選ばず、一気呵成に書いてくれました。









<big> Living in Australia for eight years (1985 ~ 1993 ) No.2</big>

2011-01-17 05:47:26 | 豪州居住八年 (1985 年~ 1993年)
☆South Austaralia, Adelaid, Grange, Esplanade

ESPLANADE= スペイン語で平坦地。転じて、海岸の遊歩道。


Imgp857022we_go_to_the_seashore22_21985年10月から、南氷洋に面した南オーストラリア州アデレイド市郊外グレインジ(町?)の海岸沿いの家に、住む羽目になりました。

ここは、同年の1月から3ヶ月間シドニーで指圧と体操を教えた時の生徒の一人の、生活拠点でした。

広さ十畳位のbed room が四部屋、広い台所に隣接した浴室、ちょっとしたlaunge room に、海と海岸を望むporch がある家で、豪州人五人と平家建て一軒家をshare しながら生活することになったのです。

私が小学校4年生の後半から英語を習い始めてから、20年以上経っていました。

或る日、家から海岸を眺めていましたら左に掲げた写真と同じような光景を目にし、衝撃を受けました。

* 此の写真は、恐らく油絵を印刷したものでしょう。大正時代末か昭和時代初期に印刷された日本の初級英語の教科書に載っていたものです。

私が家の中の本という本を読み尽くしたあと-なぜ家に在ったか今も知らない-この古い教科書でalphabet とローマ字を自発的に独習していました。

恐らく両親は此の事を知っていたに違いありません。小学生の時に、今のように英語を習うことが一般的ではなかった時代に、私を英語会話学校へ通わせてくれたのです。

「将来は英語が必要になる」、と予想した両親の決断かも知れません。

その御蔭で中学高校を通して英語の抑揚と発音が正しくできたことが、私の密かな誇りでした。中学で少しばかり英語の先生の補佐が出来た時は、とても嬉しかったのを覚えています。

* 絵は子供の頃から好きで、この絵も好きでした。

私の家が引っ越をすることになった時、古い教科書類を始末しなければなりませんでした。それで、絵だけを剥がして残しました。それから約五十年。こうして、その時の小さな絵(8x8cm)は今も私の手元にあります。

タイ製の、青くて美しい絹製の縁額に入れて大切に保管しています。

折った印刷紙の端に “WE GO TO THE SEASHORE" P.101 と印刷されているのを、今回初めて見付けました。

何か私の未来(今は過去になりましたが)を予言していたようで、非常に思い出深い絵です。

遊び心で、西洋の子供三人が海辺で遊んでいる油絵の印刷絵を、日本の手織り博多帯の端切れの上に飾ってみました。












<big> Living in Australia for eight years (1985 ~ 1993 ) No.1</big>

2011-01-15 09:57:45 | 豪州居住八年 (1985 年~ 1993年)

☆ 久し振りに "ENYA" (エニャ。エンヤではありません)の Shepherd Moonを繰り返し繰り返し聴きました

彼女の歌を初めて耳にしたのは、当時住んでいたAustralia Sydney の友人宅。1991年。恰も「天界の調べ」のように私の耳に響きました。tape は翌年1992年、所用で訪れた英国 London 市内の楽器店で購入しました。

Imgp8530_enya_no_21994年、 日本に帰国したとき日本人がエンヤと言っているのに驚かされました。英語圏ではエニャでした。

彼女が来日したときのradio interview 番組で、自分自身をエニャと言っていました。少なくてもエニャに近い発音でした。

Sydney で私は山登りの会(Bush Walking Club) に入っていて、最低でも週末に一度は参加しました。

Gore-Tex (ゴーテクス)雨具は必需品でした。日本ではゴアテクスと言うのですね。これにも驚きました。

Enyaの音楽には今でも惹かれます。幾種類かのphrase が脳に染み込んで離れません。

心が落ち着いて、私は平和な気持ちになります。

日本の演歌は張り切り過ぎ、絶叫唱を聴くと、気疲れします。

ですから、私は The Beatles も好き。呟くような囁くような歌い方がいいですね。