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カエルが楽しく笑う庭

両生類を主体として彼等を取り巻く都会の自然環境と、投稿者のつれづれなる思い

<big>第五回 浅草かえるアート展の寸描 1</big>

2013-06-10 23:37:17 | 東京風物
☆百人百色の面白さ


Dsc_0478Dsc_0482Dsc_0505t_shirtsDsc_0501_2Dsc_0520小学六年男子の説明がいい。彼の絵に、いたく感動しました。

小学二年生の時にカエルが好きになったとか。カエルgoods を集めているそうです。何の絵か分からないけれど、自由奔放でいいなあ。子供の心が見えて愉しくなります。

くじ引きの賞品である風來門先生の絵入りTシャツ隣りの、女性参加者お手製の根付けのようなカエル飾りが大いに気に入って欲しくなりました。嬉しいことに、後で私宛に送って下さる約束を頂きました。

指が細くて繊細な折り紙先生と作品です。折り紙は手指を使う頭の体操ですね。脳を活性化しそう。

入場者が描いた塗り絵を見ている人、塗り絵壁を背景に談笑している人々、似顔絵を描く人、描かれている人々の動作は平成25年6月9日(日)の昼過ぎ、浅草寺に近い本所吾妻橋河岸沿いにある展示場の中の風景でした。



<big>江戸から続く鉄砲洲稲荷神社</big>

2013-05-02 09:52:10 | 東京風物
☆戦争前に建てられた素晴らしい御社です


Dscn0201_2Dscn0189Dscn0193Dscn0194_2古い御社には多くの人々の魂が籠っているような気がします。

微に入り細にわたって先人達が丹精して拵えた芸術作品だからでしょう。

あらゆる手作業が半端で無いことが読み取られて、胸が熱くなります。


Dscn0200_4Dscn0198Dscn0199_14Dscn0203_3力石も御輿庫も神楽殿も、全てが残っている貴重な稲荷神社です。

さぞかし、昔は賑わっていたことでしょう。神社は下町っ子たちの御自慢だったのでしょう。

境内にいますと、祭礼の御囃子が聞こえてくるようです。

月一で八丁堀を訪ねる用事があることが幸いして御参りができることの幸運を、しみじみと味わっています。

新緑の季節は特に緑が茶色の社殿木肌に合って、それはそれは美しいのです。



<big>今日は灌仏会(かんぶつえ)=花まつり</big>

2013-04-08 20:41:40 | 東京風物
☆好きな寺院に詣でて甘茶を頂きました


Imgp1966Imgp1959_2Imgp1956東京都豊島区池袋に在る名刹の夕暮れ風景です。

訪れる人々が絶えた静かな時刻に、この寺院に来られたことを感謝しました。

古くて素敵な山門を入りますと、石畳の向こうに御本堂が見えます。

近づくと花に飾られた御釈迦様の誕生を祝う甘茶屋が目に入りました。お花以外は、すべて例年と同じ設(しつらえ)です。

大正年間に故あって文京区から移管された古い寺院は、幸い戦渦を受けずに残りました。

それゆえ、使われている寺院の御道具は当初からのものばかり。

旧式に右から左書きの木彫りの寺院名の揮毫と赤白の独特な形の紙かざりも、古刹に似合って可愛らしい。

素晴らしい御本堂前を独り占めできる静かな寺院で、博識な御住職から振る舞われた甘茶の美味しかったこと!

甘くて苦い漢方薬のような一杯の甘茶は、一年分の薬効があるような気がしました。

「御釈迦さま、御誕生日お目出度う御座います!」

私は心の中で、小さく呟きました。







<big>東京の下町</big>

2013-02-22 20:33:13 | 東京風物
☆昔の鉄砲洲(てっぽうず)近くです

Dscn1804_3Dscn1817_2月一で八丁堀を訪れます。

私は子供の頃から日本の古民家好き。戦争で焼け残った数少ない古民家を見付けては喜んでいました。

本当に少なくなった戦前の民家を、今日も見付けて嬉しかったこと!

単調な形のbuildingに比べてたら、何と味わいのある建築なのでしょう!

木造で、庇(ひさし)があって、瓦が屋根に載っていて、木枠窓に取り囲まれていて......。書き出したらキリがありません。

玄関前に置いてある、風情のある植木鉢はplastic 製ではなく全て焼き物です。





<big>九段下"寿司政"1861年(文久元年)創業</big>

2013-02-12 06:12:13 | 東京風物
☆葛飾北斎が描いた「くだんさか、うしがふち」に今も残る九段下界隈です


『千鳥ヶ淵の桜を見に行く。地下鉄「九段下」駅から歩く。ゆるやかに上っていく坂が九段坂である。説明文を次に記

す。この坂を九段坂といいます。古くは飯田坂ともよびました。「新撰東京名所図会」には「九段坂は、富士見町の

通りより、飯田町に下る長坂をいふ。むかし御用屋敷の長屋九段に立し故、これを九段長屋といひしより此坂をば九段

坂といひしなり。今は斜めに平かなる坂となれるも、もとは石を以て横に階をなすこと九層にして、且つ急峻なりし故

に、車馬は通すことなかりし(後略)」とかかれています。坂上は、月見の名所としても名高かったようで、1月26

日と7月26日には、夜待ちといって月の出を待つ風習があったといいます。』 ー 引用文 ー

http://kaeru-mt.blogzine.jp/








Dscn1740_2三日前に第5回豊島デッサン作品展会場を訪れた帰途でした。

天高く、快晴で、陽がイッパイ射していました。暗黒世界を走る地下鉄を利用するのが厭でした。

遠目に見えたバス停を目指して坂を下りました。

九段坂の最下段にバス停がありました。

バスの到着を待つ間に、とくと辺りを観察しました。

二階屋ながら、辺りを睥睨するごとき重厚な風格を持つ老舗の看板を見付けました。

いつか行きたい御寿司屋さんです。帰宅してからPC で検索しました。

高田の馬場行きの都バスは、程なく来ました。

高田の馬場は明治時代前の牛込柳町に近い場所です。

牛込原町には御維新まで私の先祖の下屋敷がありました。(江戸古地図の尾張藩に先祖の氏名が載っている場所があります)

幕臣で直参旗本であった先祖が馬に乗って登城したであろう道のりを、私はバスに揺られて帰宅しました。

陽が当って暖かい陽気の中をラクチンなバスに乗って見物できるなんて、何て結構なことでしょうか?

風が冷たく厳しい寒い冬のさなか、美しい絵やデッサンに触れ、先祖へ想いを馳せたりして、何て平和で幸運で充実した時間だったのでしょうか。












<big>第5回豊島デッサン会作品展へ行きました</big>

2013-02-09 22:16:57 | 東京風物
☆開催場所は九段ギャラリーでした


Dscn1718_2Dscn1719_2Dscn1703_2Dscn1726_2Dscn1739_4知人である彫刻家の河野新氏から案内状を頂きました。

今日が最終日。午前中の仕事を終えて駆け付けました。

河野氏は素晴らしいデッサン力の持ち主です。彫刻家の素質を十二分に兼ね備えた方です。

出品者達が歓談されている光景が、様になっていました。

控えめな御人柄に珍しく、作品と一緒に写真を撮って欲しい、という御依頼がありました。

毎回カメラ持参で行くのですが、こんな御申出は初めてでしたので、一生懸命に沢山撮りました。

撮影技術を勉強中の私にとっては、嬉しく光栄な御言葉です。

果たして、良く撮れたでしょうか?







<big>とげぬき地蔵尊</big>

2013-02-01 20:35:18 | 東京風物
☆巣鴨の御地蔵様は、御年寄りの原宿です


「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれるこのお寺、正式には曹洞宗萬頂山高岩寺といいます。

慶長元年(1596年)に江戸湯島に開かれ約60年後下谷屏風坂に移り巣鴨には明治24年(1891年)に移転してきました。

ご本尊は「とげぬき地蔵」として霊験あらたかな延命地蔵菩薩です。

こちらの地蔵菩薩様は秘仏ですので残念ながら拝見させていただくことはできませんが、そのお姿を元に作られた御影

(おみかげ)に祈願してもご利益があるとされています。こちらは高岩寺のご本堂で授与されています。











Dscn1658_6Dscn1653_3東京都豊島区巣鴨の御地蔵様界隈は、絶えず賑わっています。

いつも参拝者が多く、従って参拝者向けの店舗が多いのです。

趣向を凝らした珍しい品々が売られていて、見飽きません。

高岩寺の御本堂と洗い地蔵は、常に善男善女で溢れています。

でも私は在りし昔の面影を求めて、昨日は御本堂の裏へ廻ってみました。






Dscn1650_8Dscn1652_6初めて見る高岩寺の裏には庭付きの民家がありました。

高い塀の向こうは伺い知ることは出来ませんでしたが、昔風の御玄関があります。

玄関続き道路側の植込みには美しいた木々が植えられています。

特に気に入ったのは、写真に撮れなかった鑞梅(ろうばい)の古木がイッパイ花を点けていたことです。

都会の喧噪の中で、ふくふくと芳香を放っていました。

私は大満足でした。鑞梅の香りが大好きですから。

お寺の裏は、表より私向きでした。

一流庭師の手が入っている裏庭には格別な風情があります。

この二種類の不思議な形の菰(こも)が何の木に巻かれているのか、未だ不明です。





<big>大名庭園で使用される藁製品</big>

2012-11-03 19:32:23 | 東京風物
☆ゴザと菰(こも)



Imgp0740_4Imgp0761_5Imgp0733_5細い一本橋に、稲藁を編んだゴザが敷かれてありました。

初めて見る私の目に、とても新鮮に映りました。ゴザの特性を余す所なく利用した適正品。

ゴザが敷かれているのを知っているからでしよう、大柄な御婦人が大股で歩いて橋を渡っています。安心しきった様子です。

ゴザは滑り止めと適度な弾力性とを併せ持っていますから、幅の広くない橋から滅多に落ちる事はありません。

松の木に巻かれている「こも巻き」は大名庭園の冬の風物詩です。

防虫効果が少ない、ということで廃止されつつあるらしいのですが日本情緒たっぷりで、幼い頃の郷愁を誘います。

私の生家は江戸開府当初より江戸東京住いで田舎が一軒もありません。が、私は物心ついた時から田舎(農家)に憧れていました。

田舎には魅力的な藁製品がイッパイ。そして、田舎独特の匂いが空気中に漂っていて私を魅了しました。

本物の砂利道と、落ち葉とドングリと、藁製品がある六義園には幼い頃に嗅いだ懐かしい田舎(昔の農家)の匂いが、ところどころに流れていました。














<big>溜め息が出る稀代の名園「六義園」</big>

2012-11-03 04:39:19 | 東京風物
☆風景の何処を切り取っても美しい




Imgp0731Imgp0732前編と異なる写真機で撮影した六義園の画像です。

水面から凸出した岩々の上に、複数の亀が甲羅干しをしています。

一羽の白鷺が亀の仲間に入ったり出たり、船遊びの船を繋いだ屋形屋根の上で羽繕いをしたり。

左端下に見えるのは橋で、橋を支える丸い大きな岩が陽を受けて何やら妖しい光を放ち。

岩々も樹々も白鷺も鏡のような水面に写されて、まあ~、まあ~、この世ならぬ桃源郷の雰囲気満々。





Imgp0762Imgp0763反対側から観た橋風景です。

年輩の御夫婦らしき二人連れ。

それなりの風情がありますねぇ。

いつも二羽で行動する野鳥みたいな感じ。

男性お一人でも手摺のない自然橋を渡るときには、自ずと御人柄が滲み出て来るよう。



Imgp0755Imgp0770_2庭園の西側の疎水沿いにモミジが群生しています。

紅葉を観て楽しむ為のアズマヤが程よい所に立っています。古くて昔話しに出てきそうな佇まいです。

写真機の性能が違うと、ススキの群生も様子が一変します。

かって私が南半球の豪州に八年間住んでいたとき、非常に懐かしかったのは日本の櫻とススキと梅雨でした。

繊細な色・形・匂い・を持つ櫻。風に優雅に靡くススキ。しとしとしと、と絶え間なく絹糸のように降る雨、等々は日本独特の風物です。

次に日本春欄、ホトトギス、山吹、に続き、そして何よりも日本の黒土でした。

日本の黒い土壌をコンクリートで覆い尽くす現代の建築様式を見て深く嘆くのは、私だけなのでしょうか?








<big>きのう、東京都文京区にある名園「六義園」へ行きました</big>

2012-11-02 04:45:18 | 東京風物
☆以前に行ったのは、ビルの林立が目に入らない頃でした

Dscn0739_5Dscn0752_2Dscn0751_8Dscn0754_3Dscn0744江戸期造園の余りの見事さに、私は我を忘れ言葉を失いました。

紅葉前の物静かな一時です。











Dscn0764_2Dscn0785Dscn0814_2Dscn0821_18Dscn0824これを見る為に私は今日ここに来たのではないか、と思わせる庭師の憎き演出! 日本藁細工の極致です。



<big>猛暑日の墓参</big>

2012-08-29 01:38:01 | 東京風物
☆菩提寺の本堂入り口御門前にネコちゃんが


Dscn0130_2Dscn0136昨日8月28日、東京の最高気温は前日と同じく34度でした。

年に一日だけの祖父の祥月命日の日でした。

本家の長男は数年前に、次男も今年7月に亡くなりました。此の暑さでは墓参する人が居そうもありません。

せめて、本家を継ぐ子孫ではない孫の私が御参りせねば。少し暑さが柔わらいた4時過ぎに家をでました。

都会なのに歩いて行けるのです。徒歩で全行程が30分足らず。

帽子を冠り日傘をさして池袋駅を通り過ぎ雑司ヶ谷を目指します。菩提寺の閉門は5時ですから、残された時間はギリギリです。

過去に改宗した菩提寺の御門脇に、日蓮上人の御言葉が毛筆で書かれて掲示されていました。

曰く「悪の中の大悪は、我が身にその苦しみを受く......」

意味を知ってか知らずか、掲示板の下で休んでいたネコちゃんが私を諭すような表情でこちらを向きました。

親戚縁者を併せて、毎回五束の御線香を複数の墓前に手向けるのが私の習わしです。猛暑なので、生花は止めてシキビだけにしました。

暑い空は快晴で、広い墓地上空の澄み切った青さが目に沁みました。帰途に用足しを済ませて家に帰ると、近隣の新築家屋の上に月が美しく光っていました。

「墓参して良かった」とシミジミ感じました。江戸時代からの先祖と祖父母と父母と長兄の墓参を兼ねて、参拝できましたから。








<big>涼風 (りょうふう)</big>

2012-07-24 21:53:38 | 東京風物
☆和風は凉しげ


Dscf2115Dscf2117Dscf2124Dscf2130先月の6月17日に浅草寺を詣でました。その日は境内を少しばかり、こまめに回りました。

初めて大草履を見て、その大きさにビックリ。たかがワラでも、こう大きくなると重くなるのですね。

解体した古寺の屋根瓦を土の地面に埋め込んだ庭です。当然のこと雨水が染み込みます。地球に優しい舗装。それに、模様の美しいこと! で私は長い間、見とれていました。

古い侘住まいの建物がありました。全て和風です。割烹店でしょうか?

日本家屋は夏向きに造られているのですね。隙間だらけの建具。間を重んじる空間。

風が吹き抜けるように設定されているのですね。吹く風に優しく造られている日本建築。

天から降る雨に優しい屋根瓦、地面を流れる水に優しい石畳。見ているだけで涼しくなります。

一方、現代のアスファルトやコンクリート道路や建物に当った風や雨を思いやると、気の毒になります。

自然石のように丸みがありません。固くて平坦で、当って痛くはないかしら?

まだ、凹凸のある我が家のモルタル壁のほうが少し益しかも。

雨さん、なるべく私の家に降って! 風さん、なるべく私の庭を吹き抜けて、私の家を涼しくして頂戴な!




<big>東京浅草、本吾妻橋 river side gallery </big>

2012-07-10 20:33:04 | 東京風物
☆川沿い展示館、入り口風景


Dscf2280_1_3Dscf2281_2墨田川を往く遊覧船の船着き場の下で、本所吾妻橋そばにある区営の展覧会場。

「第4回浅草かえるアート展」は三日間、この階段下のウナギの寝床のような所で開催されました。

万が一墨田川が氾濫したら、この窪地は水浸しになることでしょう。

館内の床は冷たく湿度が高くて、まるで地下壕のようです。

いかにもカエルが好みそうな条件を備えています。

その昔この一帯には浅い水たまりがあって、色々な種類のカエルさん達が棲息していたに違いありません。

人間に生活の場を追われたカエル達の遺恨が今になって「かえる展」を催させている、と思わせます。 


Dscf2284_3_3Dscf2282_4最終日の7月1日(日)行き交う人が多い入り口で、絵を描く人寄せが行われました。

広島から遥々やって来た若い女性参加者は、絵筆を使わずに指に絵の具を付けてキャンバスに塗っていました。

迫力がありましたよ。

絵描きさん達は作品と同様に、個性的なのがイイですね。

それぞれ異なる味わいがあって、見ていて愉しくなりました。

ネコやカエルの習性に似て、人間達も動くものに目が惹き付けられるようです。



<big>浅草は、観音・空木・かえる展</big>

2012-06-20 20:15:11 | 東京風物
☆かえる尽くしの催があります




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                   ご挨拶

 私たちは「かえる」をモチーフに様々なアートを作っている「かえるアートの会」と申します。
今回の「かえるアート展」では、アナログ、デジタルイラスト、写真、ぬいぐるみ、立体造形、Tシャツ、工芸、その他あっと驚く展示も用意されています。

 お子さんと親御さんが一緒に遊べるイベントも用意させて頂きました。
東京スカイツリーの見学がてら、お立寄り頂ければ幸いに存じます。

              2012年6月吉日
              かえるアートの会 一同
              連絡先e-mail: nmtmr@f2.dion.ne.jp
               
 





挿し絵画家で絵本画家の田村風來門(かぜらいもん)さんは、かえる画家を自称。




かえるを描いたら当代日本一!




玉ノ井で生まれ、浅草に住み、かえるを愛する風來門さん主催の「第4回の浅草かえるアート展」が、じき開催されます。




場所は台東区一等地の隅田川の本所吾妻橋隣りで、Tokyo Sky Tree が人々の目を集め圧倒する景勝地です。




有り得ないことですが、江戸時代の浅草ッ子が途轍もなく馬鹿でかい高塔を見たら、目を回すに違いありません。私でさへ近くから見上げる度に、肝を抜かれそうに感じます。




出品作品はカエルがくっ付いていれば何でも良い、ということです。




私は、絵を描かない描けない人なので、かえる絵の用意はありません。




カエルを始め両生類について基礎知識のない人々が多いので、野生動物の食物連鎖上で重要な位置を占めるカエルを知って貰う為の事をします。


「かえるアート展」と浅草について更に詳細を知りたい方は、下記を御覧ください




nmtmr@f2.dion.ne.jp






































<big>東京浅草「雷門」</big>

2012-05-29 09:53:20 | 東京風物
☆暫く振りに浅草寺を訪ねた

Dscf1727Dscf1728527_16Dscf1733_2粋な高札が立っていた。英文の翻訳入で。見物客は外国人が多い。

東京で一番古い札所とか。説明があると興味が一段と増す。有り難みも増す。

何度も火災に遭いながら命脈を保っている観音様は、有り難い気がする。

風神雷神なのに雷神ばかり有名で、とうとう「カミナリモン」と言えば、ここを指すことになったらしい。

固有名詞の威光と威力の大きさに驚く。

弐体の御神体は、美しく迫力満点。

参拝客に入り口で睨みを利かしている。

立体芸術作品の影響力をヒシヒシと感じさせられる。


Dscf1729Dscf1732_4Dscf1737記念撮影する人々が数多。みんな無邪気な観光客。今や、浅草は近くに聳え建つsky tree と併せて活気ある名所に変貌しつつある。

これを喜ぶのは現代人だけでなく古代人も。

私の祖父は御維新ご浅草田圃に住み、13・4歳で元老院の小舎人を拝命し、雷門を経て毎日歩いて院(霞ヶ関辺り)へ通った。

少年の脚で片道2・3時間の行程の帰途には、浅草寺御本堂前で一休みするのが習わしだったとか。

鳩ぽっぽ用の豆売りオバサンが少年だった祖父を見掛ける度に労いの言葉を掛けてくれた、と私の父に語ったそうな。

本所生まれ育ちの私の父は若い頃ポンポン蒸気(船)に乗って浅草へ遊びに、よく行ったそうな。

父が愛した浅草界隈は、私にとって縁も所縁もある懐かしい場所でもある。