かづの駄日記  ~ kadzuno・da・nikki ~

秋田県鹿角市から気ままに綴る、名も無き田舎者の喜怒哀楽、一期一会。

無事を信じています。

2011-03-16 10:21:10 | みちのく号の車窓から
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大震災から6日目、鹿角は雪の朝です。

東北は昨夜から強い寒気が来て、震災に遇われ甚大な被害の地区も容赦のない寒さになっています。

3月10日にその前日9日の地震の様子を書き込みました。今思えば、この大震災の前ぶれであったのでしょうか?

11日14時46分、けたたましく携帯鳴りました。緊急地震速報。宮城県沖のメールです。

その数秒後、今までに感じた事の無い強く長い揺れに襲われ、会社は自家発電に切り替わりました。

その時点で、これはとんでもない事態なんだと自覚し外を見ると、周りのビルや信号機の明かりは消え、ビルから逃げ出す人で歩道は一杯に・・大きな余震が来る度に女性の悲鳴が聞こえました。

テレビでは津波に対する警戒を呼び掛けが繰り返しされて10分後位に、太平洋沿岸部に設置している定点カメラからの映像に驚愕しました。

仕事で何度も行き、見慣れた港が次々に津波にのまれて行く生の映像です。

時間が過ぎ、ヘリコプターが映す宮城県名取の津波の威力にはもう言葉を失いました。

一体何が起きているのか・・これは映画やドラマじゃない・・現実なのだ

知人のご好意で運よくその日の内に自宅へ戻り、余震に怯えながらの家族との一夜は。電気も無く通信は規制されラジオからの情報を朝まで流しながら過ごしました。

横たわり目をつぶると、テレビで見た映像と宮城勤務時代にお世話になり、名取や塩竈と海沿いに住んでいる方の顔や、仕事で何日も滞在した岩手沿岸部で印象的だった地元の方々が次々に出てきてしまうのです。

翌日からも宮城の方とは連絡は取れず、電気復旧と同時につけたテレビからは次々に被災の状況が報じられる中、仙台荒浜に数百人の遺体とか、他の海岸にも100単位の遺体漂着の情報に不安が増すばかりでした。

電気が戻り、何度かパソコンからブログへの書き込みを試みましたが出来ず、昨日名取の方と連絡が取れ、ご家族皆さまも無事との事にやっと張り詰めていた気持ちにいくらかの余裕ができ、本日更新です。

まだ連絡のつかない七ヶ浜町の先輩、貴方のことだから、自分の事はさておき、被災された方のお世話に奔走されていると、名も無き田舎者は信じています。

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