かづの駄日記  ~ kadzuno・da・nikki ~

秋田県鹿角市から気ままに綴る、名も無き田舎者の喜怒哀楽、一期一会。

功を焦る

2011-03-29 08:07:56 | みちのく号の車窓から
秋田県知事が大震災被災県の知事に会って、集団移住の話をしたけれども、消極的的な回答しかもらえなく、被災者(地区)には集団移住の希望は無いと感じたと県の会議で述べたそうです。

まだ一ヶ月も経たない被災地、少し判断するには早すぎではないだろうか?

また同じく秋田のハローワークが市内の避難所に出向き、秋田での就労希望の有無を避難されている方にたずねたとか・・・結果は、今はまだ地元に戻りたいと考えているとの回答。

これもまた、相手の心情が平常になってもいないのに何を聞いているんだと感じられます。

国をあげて被災地支援をしている今、隣県秋田の動きは他県と比べて、かんばしくなく写ります。

被災者を数多く受け入れますというのはけっして間違いではないのですが、今現地では自分達の力で何とか復興をと言う被災者一人一人の気持ちが、少しづつ起きはじめています。

その気持ちを高めて、全体化する為の手段として、離れ離れになるのは辛いでしょうが、避難所弱者と言われる方々や学童を長期に受け入れて、ケアや学習の機会を提供し、被災地に戻れる状況になれば帰っていただくとかを隣接県、いわば隣人としてアナウンスを続けてもらいたいものです。

いまの支援の仕方や行動は、功を焦っているように私には写りますが・・・


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1 コメント

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コメントありがとうございました。パソコンを使える状況にやっとなりました。 (ぱこ)
2011-03-29 17:30:25
原発の一度目の爆発後二本松市の避難所に避難4泊。その後知り合いのつてで千葉に来ています。主人は今回打撃を受けた常磐線の原ノ町運輸区に残り仲間と仕事をしています。

千葉に来て一週間以上経ちました。最初鹿角に行こうかとも考えましたが一緒に行動している家族と相談して千葉の知り合いの別荘に移動することにしました。

こちらは震災の被害はほとんどなく、その後の余震も感じません。自宅や避難所で感じた空恐ろしい余震を感じることなく眠る事ができるのはありがたいことです。

主人の話に寄れば、南相馬にも人が戻ってきているとのこと。地元から離れることはなかなかできないのです。私も早く戻りたい。子供は近くの学校に編入させることにし、原発が落ち着く事を祈るだけです。
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