けったらかまえる

ひとりごと

ガッカリな、その判決、この国の法律や判例、この記事

2011年05月14日 | Weblog

弱いものに対する配慮がなさすぎる。

いくら歩行者が間違っていても、道交法上は弱い歩行者
を庇って車が悪いことになるはずだが。

簡単に航路が変更できる小船が舵を切ったためと
ということで、大型船は無実と決め付ける。
無実。但し書きも無し。
検察側の立証に問題があるからといってそれが後を引き
温情が感じられない判決、それを下した裁判官の
庶民的認識の欠如。

そして、この記事。主張できる立場の人がこうだから
尚さら。
あたごに当てられ後の祭りなのか。

ガッカリな人達。


エピソ8

2011年05月14日 | Weblog

目撃情報。

横たわる人の指からリングを、
ポケットから財布を、
金庫から現ナマを、
持っていったという。

現地人ならその気が知れない。
外国人なら許せない。

エピソ7

2011年05月14日 | Weblog

まさか、ここまでこねぇだろうと油断して家にいたら、
波に飲まれた。

逃げたが、避難所に着いたので安心したところへ
波が来た。
もう一息、2階に上がっていたらと思うと無念だと。

何か忘れ物をしたと戻った人が
戻れなかった。

エピソ6

2011年05月14日 | Weblog

被災する前に災害の専門家が現地を訪れていて、防災マップを
見てこんなもの役に立たないと言ったという。

平面上ではよかったのかも知れないが、立体的に考えるとダメ
だったようだ。津波を想定しているようでしていなかった。
防災マップを無視してとにかく高いところへ逃げて下さいと
講演したそうだ。

そして被災した日、海の傍の学校では。
先生の引率を無視して中学生達は走って
校庭を突っ切って山へ逃げた。

それを見た小学生。普段から中学生が走って逃げていたら
すぐに逃げろと言われていたらしく、真似して山の方向へ逃げた。
そして皆無事だったという。

何故か岸壁傍の真新しいコミュニティセンターの建物は、
土台にしっかり固定された洋式トイレを残して
横になぎ倒されていた。
バリアフリーが災いしたのか。

エピソ5

2011年05月14日 | Weblog

支援物資

自衛隊からもらった外国製の食品は有り難かったが、
ヌードルもお粥もちょっと口に合わず、パンではやはり
つらかった。

ある老人ホームでは被災してすぐの時は、クラッカー
一枚ずつだったという
過酷な状態だったという。

中●人の方々は自分達の分として配給される食品をかなり強欲
に取り、遠慮がちな東北人には考えられなかったという。
そして彼らは避難所を出て国に帰ったようだ。

エピソ4

2011年05月14日 | Weblog

被災を免れた家はかなり幸せで、
それでもガスが来ないから自宅のお風呂にも入れず、
銭湯が復活した時は誰もがそこへ。

入り口に長蛇の列で、中に入ってもまた列が。
そして洗い場もトグロを巻くような列があったそうだ。

3週間振りに頭を洗ったら桶に出たのは真っ黒い水。
それには驚いたという。

エピソ3

2011年05月14日 | Weblog

ガスが出ないから、食事を作るのにカセットコンロで。
家族4人分を作るのにあっと言う間にカセットボンベが
なくなる。

ホームセンターに1時間並んでもお一人様3本の1セット
しか買えない。

コメが配給になったが、電気がこないのでプロパンガスを
拾ってきて外で炊き出し。

手前のコンクリートの建物のお陰でかなり助かったが、
ギリギリ手前石垣まで波が来たらしい。
油断していて家にいた方は流されたという。

エピソ2

2011年05月14日 | Weblog

電気が点かなかったのは本当に応えたという。

やっぱり電気だと。
水もガスも困るが電気が無いと気持ちが暗くなり、
夕方4:30位には薄暗がりの中でコメを研いで、目盛りを
計るのにろうそくで照らしながらの生活が辛かった。
ろうそくも仏様用の小さなものしかなくて。