独り合点(ひとりがてん)

きもの業界をステージとした、ビジネスと生活スタイル、および近況。

リアルクローズ(6)

2010-08-03 | きもの
「なぜ呉服屋さんは、きものを着ていないの」というきもの生活者の疑問は、かなり根の深いモノがあるように思います。明治維新以降、近世の日本の商業を見ていると、店員さんが洋服を着ることがセンスのよさ、かっこよさ、いけてるお店を伝える制服としての機能を果たしてきたのだと思います。越後屋が三越になり、坐売りから陳列販売に変わったように,社員の衣服も時代の要望に添いきものから洋服に変わりました。
近代マーケティングの教科書には、江戸商法の原点は、三越の前身、越後屋にあると書かれています。「現金安売り掛け値なし」「布の切り売り」「商品ごとに専門の店員を配す」「即座に仕立てこれを渡す」「雨の日には傘を貸す」などなど、それまで上顧客の屋敷に訪問販売していた商法から、庶民大衆を相手にした画期的な商法に切り換え、当時同業者からの妨害も多かったと言いますが、やがて越後屋商法がスタンダードになり、江戸から明治に時代は移り、坐売り、陳列販売へと変革し、百貨店に発展してゆきます。しかし今、時代をリードしてきたデパートが長期低落に歯止めがかからず、苦戦を強いられている状況を考えると、デパートに代表される近代の商業文化やサービス、顧客ビジネスのあり方自体がもはや通用しなくなり、時代に求められる新たな商業文化やサービスのあり方が、いま問い直されているのだと思います。
いま考えなければならないのは、呉服屋さんがきものを着る、着ないの問題以前に、これからもっと多くの方にきものを着て貰うために、着たい人に喜ばれる商業サービスのあり方そのものを考えることが先なのではないでしょうか。きものが当たり前の生活の衣装だったときには、高級品を扱うお店、木綿など扱う太物屋さんなど様々なタイプの呉服屋さんがあり、きものを取り巻く様々なものを扱う小間物屋さん、草履下駄屋さん、扇子屋さん、京染め屋や悉皆屋さんなど、様々なお店があった。それらが時代の流れの中で劇的に淘汰されてきました。しかしこれからの時代、きものを着る人の利便や憧れを実現する店は、どんな商品を揃え、サービスを充実し、お店の佇まいやスタッフに求められるモノは何なのか、きもの生活者の視点から根本的に店のあり方を考え直さないと「なぜ、呉服屋さんはきものを着ないの」という問題は解決しないように思います。
”越後屋に衣裂く音や更衣え”と室井其角の俳句にあるような繁栄ぶりは、当時の庶民の圧倒的な支持を受けた商品やサービスがあってのこと。果たしてこれからの時代、圧倒的な支持を受ける呉服屋さんの新たなスタイルは何なのか、それが問題です。