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キング牧師の演説口調は大いに勉強になった

2018-07-26 14:51:15 | 現代史
黒崎真著 『マーケティン・ルーサーキングー非暴力の闘士』
非暴力をなすために、ロールプレイで白人と黒人の役を決めてするとは、徹底している。そして、キングのノーベル平和賞の賞金をすべて、寄付し、死んだときの資産は貧困ラインすれすれだったとは。
そして、キングの演説口調はリズミカルで、同じ言葉を何度も繰り返す。我々が朝礼をしたり、何かの時に話す時に参考になった。

 1 キングは自宅の壁に、ガンディーの存在を感じられるように、肖像画を飾った。キングはこのガンジーにあこがれて、非暴力を学んだ。
 
 2 キングは、三世代にわたる牧師の家系に生まれる。バプテスト教会の牧師であった。

 3 キングは、三点において、共産主義はキリスト教信仰とは相容れないとした。
第一に、神の場所を認めない唯物論的歴史解釈において
第二に、「目的は手段を正当化する」という倫理的相対主義において
第三に、個人の自由を軽視する政治的全体主義においてである。
 しかし、階級なき社会への関心は正しいとした。

 4 キングはコレッタと結婚するが、価値観を共有した。キングは、中産階級の出自で自分で勝ち得たものではないから、南部で黒人教会で大衆のために奉仕したいという。同じ思いがコレッタにもあった。

 5 説教を通じて、会衆は、神におる解放が一瞬到来した感覚になる。会衆は語られる内容だけでなく、、説教者の語り口、リズム、反復、口調の中に、「神に臨在」を確認。説教者の語りに対して、会衆は、「そうです(yes)」「繰り返して(repeat that)」「アーメン」などを語り返す。それが会衆が説教の中で「神の臨在」を確認していること説教者に知らせる方法だった。
こうして、キングはデクスター教会での第一歩を始めてた。
 6 キングの説教のスタイルは、最初は、準備原稿をゆっくり読む。そして徐々に、原稿を離れ即興的になる。口調も速くなり、感情的になる。抽象論を語らず、日々の経験や生活に即して語った。

 7 敵をいかに切り崩すかが重要。非暴力の抗議者を敵が暴力で攻撃すると、敵の道徳的正統性は失われる。そして、内部分裂となる。メディアを活用すると、世界世論を味方につけられる。メディアの前では、敵も無制限の暴力を慎む傾向になる。こうした柔術的メカイズムが自衛へとつながる。

 8 キングはニューヨーク市のハーレムで自著に署名中、精神錯乱の黒人女性に左胸を刺される。
 幸い、手術が成功し、キングは、人を刺す行為に及ぶほど苦しんでいた女性の状況を思いやり、その女性を「許す」と述べた。
 非暴力を自らの生き方としたキングを公的に知らしめた。
 9 非暴力哲学を実践するために、黒人たちは、ロールプレイをする
 南部白人役の者は、参加者に「このニガー」「猿」「神は白人だぞ」と罵る。小突く、顔からケチャップをかける。顔に唾を吐く。椅子を揺らして引きずる。参加者は冷静を保ち、礼儀正しい言葉を使い、非暴力を貫く訓練をする。
 ロールプレイの参加者は、毎回、どんな反応をしたか、感情を持ったか、非暴力を貫くには何が必要かを参加者同士で話し合う。これを繰りえ返し、自己統制ができるようになる。
 
 参加者は身を守る方法も訓練する。相手が殴りかかってくると、両手で頭部を抱え頭蓋骨を守る。顔を傷つけないように両肘をくっつけて目の前に持っていく。
 相手が引きずり倒し蹴ってきたら、身体を丸めて膝を顎まで引き寄せて、胸部や腹部を守り、両手で頭部を守る。一人が殴られていたら、相手に向かうのではなく、殴られている者に覆いかぶさり、殴打の衝撃を和らげる。こうして、黒人の参加者は公民権運動を牽引していった。
 
 10 キングはワシントン行進をする。リンカーン像を前に演説をする。「私には夢がある」I have a dream演説。もし、準備原稿通り済んでいれば、11分で終わるはずだった。しかし、準備原稿を読み終わる寸前に、思い立ち、アドリブで五分間の演説を加える。これが歴史的演説となる。
 「私たちは明日も困難に直面するでしょう。しかし、私には夢がある。(そうですyes) それはアメリカの夢に深く根差している夢です。私には夢があります。・・・・・いつの日か、自分の四人の子供たちが、皮膚の色によってではなく、人格の中身によって評価される国に住むようになるであろうという夢です。」
 音階的抑揚を伴う「私には夢がある」のリズミカルな反復。キングと聴衆の絆は一段と強まる。
 11 1964年10月、キングはノーベル平和賞を受賞する。12月のノルウェーの演説で、「この賞は公民権運動に関わった全ての人々が獲得したものである。」だから、キングは賞金5万4千ドル全額を、公民権諸団体と関連する特別基金に寄付をした。
 
 12 キングは個人の自衛原理自体を否定しなかった。組織的な抵抗運動において、非暴力の方が道徳的にも戦術的にも実際的であった。
 一方、マルコムXは非暴力を無抵抗と捉えた。だから、キングとマルコムXは公民権運動を自衛を公式に加える点で、キングと意見が合わなかった。

 13 キングはついに、暗殺されるが、彼自信、死の二か月前に教会で説教をする。死はつねに、時間の問題だと考えていた。自分の葬儀の時には、こう言って欲しいと語る。
 「私はだれかに、キングは他者に仕えるために命を捧げようとしたと言って欲しい。(そうですyes)・・・・誰かを愛そうとしたと言ってほしい。飢えた人に食べさせようとした、(そうですyes)・・・・・もし、皆さんが私は目立ちたがり屋だったと言いたければ、どうか正義のために目立ちたがり屋だったと言って欲しい。私は後に遺すいかなる金も持つつもりはない。後に遺す立派で贅沢な人生の品々も持つつもりはない。私はただ、捧げ尽くした人生を遺していきたい。(アーメン)それが私の言いたいことのすべてだ。」と。
 実際、キングが凶弾で倒れた時、キングの預金口座には、当時六人家族の貧困ラインとされる年間所得とされる五千ドルしかなかった。