谷川俊太郎 『散文』
「書くことは私にとって、それがどんな淡い光であれ、懐中電灯を点けて闇の中を歩いてゆくのに似ている。たとえそれが不毛の荒地であろうとも、ともかく私は自分の足で 歩き、ある一つの道を自分の背後に残すことになる。いや、それも実はさだかではない。何故なら私の行手には闇しかないのと同じように、私の歩いてきた背後も、私が歩くにつれて再び闇に閉ざされてゆくかのように私には思えるからである。私が照らしていることのできるのは、いつも私の周囲のほんのわずかな範囲に過ぎない。が、懐中電灯を消せば即ち私が書くことをやめれば、当然闇はますます深くなる。その闇とは何か。私の心中と言ってもいいし、世界と言っても同じことだろうと思う。そして読むという行為は、私にとって他人の電灯の光を見つけることだ」
闇の中を、懐中電灯を照らしながら歩くのが、書くという行為だという。初めから、描くべき対象が明確な輪郭で浮き上がってくるものを、言語化するのではないという。書くことは自己確認であり、自己創造になる。その苦しみに耐えられないで、電灯を消すと、闇はますます深くなる。照らし続けねばならないと。
イギリスのオックスフォードのある学者が言うには、学生から、何を書いていいかわからない、という質問に、とにかく、何かを書け、書いているうちに自分の内面が現れるからと。